2010年11月17日

教会について 2−39

p248〜255


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3.教会論的意味



  聖餐式には様々な局面があり、それぞれ非常に意義深い
ものですが、歴史的には、やはり贖罪論的な面、また救済論
な面だけが、「不当に」強調されて来たきらいがあります。
たとえば、すでに「VII.教会の働き」の、「B.教会自身
に対する働き」で簡単に触れたことではありますが、聖餐を
論じる時に必ず取り上げられるIコリ11:17−34でパ
ウロが語っていることは、しばしば救済論の「不当な」強調
によって歪められて理解されています。



  それは、特に27節から30節への言及で、パウロが語
る「主の体と血に対して罪を犯すことになる」という罪は、
具体的に何を意味しているか、私たちは自分のどのような点
について、吟味しなければならないのかということに関わり
ます。多くの人々は伝統的に、これを、主を信じていない者、
未信者が主のみ体の象徴であるパンを食べ、血潮の象徴であ
るぶどう酒を飲むことであると理解し、会衆の中に厳しい自
覚を喚起して、自分が本当に主を信じている者であるかどう
か、深く吟味するように促し、未信者が聖餐にあずかる事が
ないように細心の注意を払います。その結果、主を信じてい
ると自覚出来ている者と、自覚出来ていない者との間に厳し
い線を引き、会衆の中に差別を持ち込んでいます。



  主を信じていない者が、主のみ体と血潮の象徴であるパ
ンとぶどう酒を口にするのは、主に対する冒涜であると感じ
るのは、すでに触れているように、まさにカトリックの化体
説の残滓です。パンとぶどう酒に何か魔力的な力を信じてい
るからです。たとえカトリック教会が主張するように、パン
とぶどう酒が文字通りキリストの体と血潮に変化するのだと
しても、そして、たとえ未信者がそれを口にしたとしても、
呪いや罰を受けることなどあり得ないのです。キリストの裂
かれたみ体と流された血潮は、人々の救いと祝福のためであ
り、決して呪いと裁きのためではないからです。たとえ聖餐
のぶどう酒が床にこぼれたとしても、それは神への冒涜には
なり得ません。ぶどう酒が象徴する本物のキリストの血潮は、
十字架の上にも、岩の上にも流されたのです。物質がどこに
流れるかと言う問題ではないのです。



  また、このような救済論の強調から教会論が歪められ、
いわゆる聖餐式の「オープン」と「クローズド」の問題も起
こしています。オープンというのはたとえ自分の教会の会員
ではなくても、キリストを救い主と信じているならば、ある
いは洗礼を受けているならば、聖餐にあずかることを許すも
ので、クローズドは、自分の教会員以外には聖餐にあずから
せないことを言います。これは単に教会の管理上の問題では
なく、普遍的教会というものを正しく理解していないという、
教会論の欠陥から来るものです。



  パウロがIコリ11:17−34で主張していることは、
普通の常識ある聖書の読  み方をすると、すなわち神学的
先入観に捕らわれずに、素直に読むと極めて明快です。パウ
ロが口を極めて非難しているのは、愛餐会において弱い者や
貧しい者を無視して、自分たちだけで満腹している豊かな者
たちの愛のなさ、思いやりのなさに対してであり、そのよう
な形で主のみ体に分裂を持ち込む危険性を孕んでいる者に対
してです。そのような「貧しい者をはずかしめ」る態度が、
「神の教会を軽んじ」る事であり、その教会のために、また、
その教会がひとつであるために流された血と、裂かれた体に
対して罪を犯すことになると言っているのです。29節で言
われている「み体」とは、十字架にかかった主のみ体ではな
く、22節にある「神の教会」のことなのです。すなわち、
パウロはここで教会の愛餐会という具体的な場で行われてい
る、愛と思いやりのない行為を鋭く非難しているのであって、
会衆の中にいる信者と未信者を厳しく区別することではない
のです。実際のところ、パウロは愛餐会の食べ物が、すなわ
ち、主の裂かれたみ体と流された血潮を象徴するパンとぶど
う酒が、未信者にも行き渡ることに何の不安も感じていない
のです。このような場に、未信者がいる可能性は、パウロは
充分認識していたはずだからです。(14:23)



  パウロが聖餐について語った時、彼の主な関心は救済論
や贖罪論にではなく、教会論にあったことに、いま一度注目
すべきです。(参照・Iコリ10:14−22) それは、
贖罪論や救済論を軽んじることではなく、教会論の大切さに
陽を当てることです。パウロは、同じ杯から飲むという行為
は、同じキリストの血にあずかっているという霊的事実を象
徴するものであり、同じパンから食べるという行為は、キ
リストを信じる者はすべて、同じキリストの体にあずかって
いるという、深遠な霊的事実を表現するものであり、さらに
はキリストのみ体である、ひとつの教会に所属する者である
という、奥義を示すものだと教えています。すなわち、キリ
ストを信じている者はみな、同じキリストの愛によって愛さ
れ、同じキリストの贖いの血潮によって贖われ、同じキリス
トのみ体である教会にバプタイズされ、同じ命によって生か
される有機体となっているという事実、私たちは運命共同体
であるという事実を、声高に主張しているのです。そして、
この霊的事実を象徴する聖餐の場において、事もあろうに、
教会を分裂させる差別、冷淡、無関心が罷り通っていること
に、激しく憤っているのです。神の教会が「軽んじ」られて
いることに、激しく痛んでいるのです。(v22)

  

  くどいようですが、強調しておきます。聖餐にあずかり、
同じパンから食べ、同じ杯から飲むという行為が、キリスト
のみ体である教会の霊的一致を生み出し、ひとつの体とさせ、
有機的繋がりを生み出し、機能させるのではありません。目
に見える聖餐という儀式が霊的事実を作り出すのではなく、
目に見える聖餐の儀式は、すでに起こっている見えない霊的
出来事、霊的事実を表現し、思い起こさせ、理解させ、それ
を大切にさせる心を起こさせるのです。



4.宣教論的意味
 


  聖餐はまた、「主が来られるまで、主の死を告げ知らせ
る」ものです。(Iコリ11:26)これは、聖餐にあずか
るたびに主の死を思い起こさせるという、教育的な機能を持
った宣教論的意味と、さらに積極的に、聖餐の場に居合わせ
た未信の人々にその意味を説明することによって起こる、伝
道的な機能を持った宣教論的意味があります。



  イスラエルの子供たちは、年に一度の大切な祭りの時、
美味しくない固いパンを食べさせられて、「お母さん。今日
はお祭りなのに、どうしてこんな美味しくないパンなの?」
と聞いたことでしょう。すると母親や父親は、そのいわれを
語り、イスラエルの歴史を伝え、神がどんなに素晴らしい奇
跡を持ってイスラエル民族を救ってくださったかを教え、神
に対する信仰の重要性を、心の中にしっかりと植え付ける事
が出来ました。同じように、聖餐の場に同席するクリスチャ
ン子弟は、父や母にその意味を尋ねることでしょう。両親は
この時、しっかりとキリストに対する信仰を継承させていく
努力をしなければなりません。また、その場に居合わせた未
信者も、「いったいこれは何ですか? どのような意味があ
るのですか?」と尋ねることでしょう。その時、信仰を持っ
ている者たちは、それがどのような意味を持っているのか。
特に、尋ねたその人にとってどのような意味があるのか、丁
寧にしかも積極的に説明し、キリストの死とその意味を伝え
て行かねばなりません。聖餐は、福音なのです。言葉によら
ない、象徴的行為による福音なのです。私たちの教会の信徒
たちがこのことを、すなわち、聖餐の宣教論的意味を知って
いたならば、私たちの聖餐式に少なからぬ変化が起こるので
はないでしょうか。また、未信者が聖餐にあずかることも少
なくなりますし、そのような説明を聞いた後に、あえて未信
者のままで聖餐を口にする者は、福音を拒絶した者としての
裁きを受けることになるでしょう。また、聖餐式を執り行う
権利を、按手礼を受けた者たちだけに制限し、福音の伝達者
である伝道者たちから、聖餐の権利を剥奪する取り決めが誤
っていることも明白です。もし、伝道をするようにと信徒た
ちを励ますのであれば、その信徒たちでさえも、聖餐式を行
う権利があることを認めるべきです。



5.終末論的意味



  聖餐は「主が来られるまで」主の死を告げ知らせるもの
です。ここに、聖餐の終末論的な意味があります。私たちは
聖餐にあずかる毎に、「これは主が来られるまで」のことな
のだと、主がおいでになるその時への期待を大きくするので
す。このような期待を持つのは私たちだけではありません。
主ご自身が、大きな期待を持っていてくださるのです。



  聖餐をお定めになった時、主は不思議なことをおっしゃ
いました。マタイはそのお言葉を、「私の父の御国で、あな
たがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどう
の実で造った物を飲むことはありません」と記録しました。
マルコもほとんど同じように記し、ルカは「過ぎ越しが神の
国において成就するまでは、二度と過ぎ越しの食事をする事
はありません」と書き、さらに「神の国が来る時までは、わ
たしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありませ
ん」と、伝えています。



  過ぎ越しに関して、神様のご計画があり、完全な過ぎ越
しの成就は未来に属することであることが明らかですが、い
ま重要なのは、キリストはみ国において過ぎ越しの食事をす
る時まで、ぶどうの実から造った物を飲まないとおっしゃっ
たことです。この過ぎ越しの食事が、「小羊の婚宴」と同じ
ものである可能性もありますが、ともあれ、「神の国が来る
時までは」、キリストはぶどうの実から造った物を飲まない
とおっしゃったのです。甦られて栄光のみ体をお持ちになっ
たキリストにとって、ぶどうの実から造った物を飲まないこ
とが、実際どれほどのことなのかは私たちには分かりません。
しかし、イスラエル人にとって、ぶどうの実から造った物を
飲まないという宣言は、日本人の酒絶ちとは比べ物にならな
いほど、大変なことであると思わせたに違いありません。ま
さに魚絶ち、味噌汁絶ち、醤油絶ち以上の厳しい修行だった
に違いありません。


  しかしキリストは、そこまでして、神の国の到来を期待
し、待ちかねていらっしゃるのだということを、弟子たちに
お伝えになったのです。初代のクリスチャンたちは「マラナ
タ」、すなわち、「主よ、早くおいでください」という祈り
の言葉を、挨拶の言葉と変え、神の国の到来を期待しました。
しかし、キリストはそれ以上に期待しておられるのです。



6.パンとぶどう酒
  


  聖餐に用いられるのは、パンとぶどう酒です。しかし、
パンとぶどう酒でなければならないのでしょうか。たとえば、
パンの無い文化もあります。サツマイモではいけないのでし
ょうか。私が宣教師として働いていたフィリピンの山岳奥地
では、パンはありませんでした。協力伝道者が無理をして、
里からパンを持参したことはありますが、個人的には「サツ
マイモでも良いではないか」と思ったものです。



  さらにぶどう酒となるともっと大変です。世界中の多く
の国々ではぶどう酒がありませんでした。交通や流通が進ん
だ現在でも、ぶどう酒の無い国や地方がたくさんあります。
果物ジュースでは駄目なのでしょうか。あるいは果物さえな
い砂漠の地方、たとえばモンゴルでは、最も一般的な飲み物
である馬乳酒では駄目なのでしょうか。聖書を見ると、パン
とぶどう酒に特別な意義があるかのように、思えなくも無い
のですが、多分それは、イスラエルの文化においては、その
気候と作物と食文化において、パンとぶどう酒が欠かせなく、
一般的だったからでしょう。



  実際のところ、私たちの教会のほとんどは、聖書のよう
なパンとぶどう酒を用いていません。私たちの教会はピュー
リタンとメソジスト、ホーリネスの影響を強く受けた、アメ
リカの福音主義の流れを汲みます。一時的とは言え、禁酒法
が成立したような国家で発生し、その制定に極めて熱心だっ
た人々の精神を受け継いで、成長した教団に所属しています。
ですから、アルコール分を毛嫌いします。従って、ぶどう酒
は用いない伝統になっているのです。変わりに「ぶどうジュ
ース」を用います。ぶどうジュースと言うのはやっかいな代
物で、すぐ醗酵して酒になってしまうため、特別に処理をし
たものでなければなりません。フィリピンの私たちの教会が、
めったに、少なくても田舎の教会は、めったに聖餐式をしな
いのは、何とか手に入れることが出来るぶどう酒が禁じられ
ている上、ぶどうジュースは絶対と言えるほど、手に入らな
かったからではないかと考えたことがあります。信徒には飲
ませないで自分だけで杯を飲み干し、酔っ払ってしまってい
るカトリックの司祭を、不道徳とみなし、ぶどう酒はご法度
なのです。ですから私たちの教会では、「ぶどう酒ではなく
馬乳酒ではどうか」と言うモンゴルへ派遣された宣教師の問
いに、首を縦に振る人は非常に少ないことでしょう。たとえ
微量でもアルコールが含まれていることがまず問題で、ぶど
うから造られた物ではないことも指摘されるでしょう。



  一方、私たちの教会の多くは普通の食パンを購入して、
始めからサイコロのように切って配ります。あるいはカトリ
ック教会のように、小さなウエハースを購入して配っている
教会もあります。これで良いのでしょうか。これで、本当に
聖餐の意義が表現されるのでしょうか。自分のことを持ち出
して恐縮ですが、私の場合はいつも、家内が種を入れないま
ま煎餅のように焼くパンを用います。パン種の入ったものは、
やはり本来の姿ではないと思うからです。(参照・Iコリ6
:6、7)  聖餐式の時にそれを取り上げ、信徒の目の前で
裂いて分け、信徒がまたそれぞれ千切りとって食べるのです。
ひとつのパンから食べ同じキリストの体にあずかると言う、
聖書の教える意味を明らかにするためです。(Iコリ10:
17) 単純に、出来るだけ聖書の記述に近くしたいのです。

  

  私は、本格的な聖書の解釈などには縁遠い、開拓伝道者
に過ぎませんから、あまりたいした事は言えないのですが、
ただ、出来る限り単純に聖書の記述に近いやり方をしようと
考えています。ですから、ぶどうジュースも使わずに、ぶど
う酒を使います。禁酒の主張をここまで持ち込むのは、やり
過ぎであり聖書の軽視だと思うからです。イエス様は明らか
にぶどう酒を飲みましたし、ぶどう酒をお造りにもなりまし
た。使徒たちも間違いなくぶどう酒を飲んだことでしょう。
パウロはテモテに飲むことを勧めています。コリントの教会
の愛餐会には、酔っ払っている者さえいましたが、ぶどう酒
を飲むこと自体を禁じてはいません。



  私たちの母団体にあたる、アメリカのアッセンブリーズ
・オブ・ゴッド教団が中心になってまとめあげた、「New
Life Study Bible」という英語の聖書の説明には、イエス
様が飲み、また造ったぶどう酒は、アルコール分の無いぶど
う酒であったなどと言う、陳腐な説が数ページにも渡って書
かれていますが、自分たちの主義主張のために、事実を曲げ、
聖書の中に都合の良い読み込みを行ってしまうという、醜い
ことが行われたのは非常に嘆かわしいことです。聖書がぶど
う酒と言っているのですから、ぶどう酒で良いではないです
か。それが私たちの立場のはずです。だからと言って、ウエ
ハーでの聖餐式を無効だと言うのでも、食パンの聖餐式には
参加しないと言うのでもありません。ぶどうジュースの聖餐
にも喜んで参加いたします。



  一方、ぶどうと言うことに固執する人は、ぶどうが元々
小さな粒で成り立ち、それがつぶされてひとつの液体になり、
改めて分配されることに、ばらばらの人間が救われてひとつ
とされ、ひとつの命にあずかるという意義があると主張しま
すが、それもいささか「読み込み」過ぎていると言わねばな
りません。聖書はそのようなことに触れていませんし、それ
では蜜柑でも良い事になります。もしそれほどのことに意義
を見ようとするならば、ぶどう酒は、ひとつの杯から回し飲
みにしなければなりません。公衆衛生の観念が発達して、そ
れがなくなったなどと言うのは言い訳に過ぎなくなります。
神であられる主イエス様は、公衆衛生を知らなかったのでは
なく、無視しておられたのだからです。
 


  目に見えない霊的真理や事実を象徴する事物、すなわち
洗礼式や聖餐式、そしてそこで用いられる物や行為というも
のは、出来る限りその象徴する霊的真理や事実を彷彿とさせ
るものであるべきです。ぶどう酒には血の色を連想させる効
果があったのだと思います。ですから、白ぶどう酒ではなく、
赤ぶどう酒を用います。ひとつのものを分け合うという霊的
真実は、ひとつのパンを裂くという行為によって示されます。
しかし、ぶどう酒がぶどうジュースになったからと言って、
聖餐が無効になるのではありません。赤ぶどう酒が白ぶどう
酒になったからと言って、聖餐の力が無くなるのでもありま
せん。ですから、たとえばモンゴルのような砂漠の国の田舎
で、ぶどう酒はおろか、果物ジュースも手に入らないよう中
では、水でも良いのではないでしょうか。馬乳酒でも良いの
ではないでしょうか。勿論、私はモンゴルにおける水や馬乳
酒の、道徳的、宗教的イメージについては何も知りませんの
で、あくまでもたとえばの話です。もしも、かつて巡回した
フィリピンの山奥で、もう一度聖餐式をする機会が与えられ
るなら、彼らの主食であるサツマイモと水で行いたいと思い
ます。すると、遠くから里の人間がわざわざパンとぶどう酒
を持って行かなくても、彼らだけで、聖餐式が出来るからで
す。



  私たちは、ここでもう一度、「伝統」から物事を論じる
悪癖から脱して、あくまでも聖書の教えから論じることを強
調しなければなりません。教会論をはじめすべての神学がそ
うですが、特に、礼典においてはそのことを強調し過ぎるこ
とはありません。私たちの多くが、聖書のみ言葉に考察の基
を置かないで、自分たちの教会の伝統を盾に、不毛の議論を
続けているからです。聖書が、伝統を守るための道具とされ
てしまっているのは、実に情けないことと言わねばなりませ
ん。



あとがき



  何年たっても遅々として成長しない、地方の開拓伝道に
身を置く一介の伝道者が、恐れ多くも、自分の不足や失敗か
ら学んだことを通して、同労者諸師のお役に立てればと願っ
て、やさしく具体的な教会論を書いてみようとしたのですが、
書き疲れて読み返してみると、やはり、自信をもってお勧め
出来るほどの内容には、ほど遠いと言わざるを得ないようで
す。まさに竜頭蛇尾の見本です。ここまでお読みくださった
方には、「お気の毒」とお詫びをしたい気持ちで一杯です。
とは言え、このようなものでも、必ず役に立つという気持ち
もなくなっていません。それは、まともな教会論が存在しな
い現状では、このようなエッセイの寄せ集めのような論でも、
無いよりはましだと思うからです。どうか、もっときちっと
した学びを積んだ方たちが、この論をきっかけとし、これを
切り刻み、批判し、反論し、さらにしっかりとした「論文」
を書き上げて下さるようにと願うものです。




  まったくの言い訳になりますが、仕事の合間合間に書き
続けていくと、どうしても論が不明瞭になったり、記述が反
復したりするところが出て来てしまいます。特に私のように、
全体の構成などを考えず、直ちにワープロに向かい思いつく
まま書き始める、「ものぐさ」の文章ではそれが多いようで
す。誤字脱字、日本語の間違いなどは笑ってお赦しください。
また、面倒でもそれらを指摘してくだされば、誠に幸いに存
じます。直ちに修正したいと思います。厳しく添削をしてく
ださる方や、きちっと校正してくださる方がいないままのひ
とり仕事ですので、大いに助かります。さらに、批判、改善、
訂正、反論、示唆、その他どのようなものでもお送りくださ
れば、大変うれしいことです。


お読みくださった方の上に、神様の豊かな祝福がありますよ
うに。












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2010年11月16日

教会について 2−38

p243〜248


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6.洗礼の時期



  バプテスト系以外の大多数の教会は、幼児洗礼を行って
います。それはどのように説明されても、カトリック教会の
残滓に過ぎないことは明らかです。彼らは、パウロのピリピ
での働きの例などを取り上げて、幼児洗礼を正当化しようと
します。つまり、パウロは看守の家族「全員」にバプテスマ
を授けたのであり、その中には当然子供も幼児も含まれてい
たはずだというのです。しかし、聖書が用いる「全員」とい
う言葉は、しばしば文字通りの「全員」、ひとりも残さずと
いう意味ではなく、「おしなべて」という意味であることを
知らなければなりません。私たちはむしろ、洗礼を受けた者
たちが必ず信仰告白をしているか、信仰告白をすることが出
来る人たちであったことに注意を向けるべきです。聖書は、
幼児が洗礼を受けた例をひとつも示していません。それをも
って、「なかった」と判断することはませんが、「あった」
と主張することはさらに無理なことです。



  ある人たちは、洗礼は新約聖書の割礼であると主張して、
(参照:コロ2:11) 割礼が幼児に対して行われていた事
実を挙げます。しかしパウロが洗礼を割礼と呼んだのは、ま
ったく別の意図、すなわち人の手によるかよらないかという
対比のためであり、文字通り、洗礼を新約時代の割礼である
と考えるのは正しくありません。ましてや、割礼は男子だけ
の儀式であり、洗礼は男女両方に対する儀式です。到底同じ
ものではあり得ないのです。




  聖書の例を見る限り、洗礼には明白な信仰告白が必要で
あるとは断言出来ないまでも、自主的な信仰を必要としてい
たことは明らかです。すなわち、信仰の表現が出来る年齢で
あるということが条件となります。ただし、聖書の例からは、
幼児だけではなく、子供が洗礼を受けたという事実を見出す
ことは出来ません。使徒の働きの記述では、多くの場合は成
人男子の数だけが数えられていますが、女性も洗礼を受けた
事実は明白です。(16:15) そうして見ると、子供が
受けた可能性は否定出来ません。またユダヤ人の習慣として、
子供たちが、早い時期から信仰告白を明確に行うことが推奨
されていたことから想像すると、子供たちの洗礼は大いにあ
りそうな事と言えます。



  現在、信仰告白を条件とする多くの教会では、また、幼
児洗礼を認めている多くの教会でも、大人になってから初め
て福音に接しキリストを信じると告白した人々に対しては、
洗礼を受けたいと願う人々をかなり長期間にわたって待たせ
るのが普通です。信仰告白をより確実なものとさせるため、
あるいは「悪い行い」を止めて、クリスチャンとしての証が
立つようにさせるため、そのような処置が取られているので
すが、



  このようなやり方も、聖書の中に例を見出すことが出来
ません。敢えて考えるならば、パウロが、コリントのクリス
チャンたちにはあまり洗礼を授けなかったという事実は、こ
れと関係があるのかも知れません。異教社会の中で育った者
が福音を信じるという場合、非常に長い期間が必要ですし、
聖霊がその人物の中に働いていることを証明する「クリスチ
ャンとしての成長」も、長時間の観察が必要です。道徳的廃
頽が凄まじかったコリントに滞在した数ヶ月の間に、パウロ
は、聖霊の内住を確信出来る信徒を、まだ群れの中に見出せ
なかったのかも知れません。



  しかし、現在多くの教会が、ある特定の道徳的標準を設
けて、洗礼を受けるための条件としたり、洗礼講座の学びを
して試験を行い、60点以上取らなければ洗礼を受けられな
いと決めてかかったりするのは、聖書の基本的教えに反する
ものです。自分たちの教会に、不道徳で証にならないクリス
チャンを作らない努力は認めますが、クリスチャンの信仰の
成長は、教会や地域社会が枠付けして期待するような形では、
起こらないことが多いのです。たとえば、「酒は絶対の不道
徳」と考える教会では、酒を飲んでいる人はたとえどのよう
に人生観が変わり、憎しみを取り去られ、愛に満たされるよ
うになり、偽りを言わなくなり、誠意をもって人と接するよ
うになったとしても、洗礼を受けることが出来ません。また、
クリスチャン信仰を聖書理解や神学の理解に強度に結びつけ
るのも、正しい信仰理解ではありません。個人的になります
が、私の次男は30歳になりますが、知能は5歳前後です。
聖書の教えも神学も、ほとんど理解は出来ません。しかし、
神様を崇め、イエス様を愛し、聖霊に信頼して、毎日祈りな
がら生きています。この次男が試験を受けても5点も取れな
いでしょう。カトリックのサクラメンタルな神学に反発した
プロテスタント教会の多くが、聖書主義を主張することによ
って主知主義神学に陥ってしまい、恵みを忘れてしまってい
るのです。



  聖書を見る限り、洗礼の時期がだらだらと遅らせられて
いる例はありません。明確な信仰が認められるならば、洗礼
が授けられていたと判断されます。しかし実際問題として、
目に見えない信仰が、目に見える日々の生活の中で表現され
なければ、教会としてその人物に洗礼を授けることは出来ま
せん。聖霊がその人物の中で働いておられること、その人物
が確かにキリストにバプタイズされ、キリストの命がその中
に漲っているという事実が、形をとって表現されてこなけれ
ば、教会は、洗礼を授けるべきではありません。しかし、も
しその人物の中に、明白な信仰告白があり、キリストにバプ
タイズされているという確実な証が見られるならば、その時
点で、出来るだけ早く、その教会や地域の倫理観とは関わり
なく、また、その人物の聖書理解や神学的知識に関わりなく、
洗礼を授けられるべきなのです。教会は、洗礼を授けること
によって、個人に起こった霊的出来事を公に確認するのです。



  正しいクリスチャン信仰の成長は、実質的にも象徴的に
も、霊的現実としてもこの世の組織の決め事の上でも、しっ
かりとキリストに繋がり、キリストのみ体である教会に繋が
っていてこそ、可能になるものです。霊的誕生をした者が、
正しい神の家族という環境に入れられなければ、本来望まれ
る成長を遂げることは不可能なのです。神の国に生まれた赤
子は、生まれた瞬間から、神の国の正しい養育を受けられな
ければならないのです。神の国の正しい養育は、教会という
共同体、神の家族以外に与えることが出来ないものです。で
すから、教会は人が救われたならば、その救いを神のなさっ
たこととして怖れと慄きを持って認め、また天において起こ
る大いなる喜びを自分たちのものとして、時間のずれが起き
ないように出来るだけ早い時期に洗礼を授け、正式に教会員
として迎え入れ、必要な養育を与え、健康な成長を促すべき
なのです。私たちは知らず知らずの内に、放蕩息子の兄のよ
うになってしまってはいないでしょうか。



7.洗礼の方法
 


  幼児洗礼を認めているほとんどの教会は、同時にいわゆ
る滴礼あるいは潅礼を認めています。それは、単純に、生ま
れたばかりの幼児を、水に沈めてしまうことが出来なかった
ためと考えられます。カトリックの一般的信仰の中では、洗
礼を受けるということが救いの必須条件だったために、どう
しても生まれたばかりの子供に洗礼を授ける必要が出て来ま
した。幼児死亡率が非常に高かった時代には、生まれたその
場で洗礼を授ける場合も少なくなかったのです。そのために、
出産の場にはしばしば神父が呼ばれていましたし、特例とし
て、助産婦が神父に代わって洗礼を授けることさえ認められ
ているのです。ですから、滴礼や灌礼が認められてきたのは
当然の帰結であったと言えます。



  もちろん、現在、滴礼や潅礼を認めている教会はそのよ
うな点を強調するはずもなく、それぞれ、滴礼や潅礼の正当
性を聖書から証明しようとしています。ところが聖書の中に
は、洗礼の方法が果たしてどのようなものであったかについ
て、述べているところはありません。洗礼と訳されているバ
プテスマという言葉の意味と、洗礼の実例の記述から推し測
る以外にはないのです。バプテスマという言葉が、染料の溶
かれた水の中に布を浸す時に用いられる言葉で、文字通り
「どっぷりと浸す」という意味であることは、バプテスト教
会を始め浸礼を主張する教会の強い拠り所となっています。
勿論これに反対する立場の人々の議論もありますが、原語の
意味からの議論では決定的に浸礼に有利です。また、そのよ
うな意味を込めて、パウロがこの言葉を用いて、信徒が教会
に、またキリストご自身に結び合わされる、神秘的有機的繋
がりのことを語っていることは明白です。バプテスマという
言葉が、単に潅ぐとか撒き散らすというような意味では、わ
ざわざ「ひとつの体にバプタイズされ」という言葉を選んだ、
パウロの教会論は成り立たないのです。



  また、聖書に記述されている洗礼の具体的様子から見て
も、完全に水に浸す洗礼の方法が否定されるものはありませ
ん。滴礼や潅礼を主張する人たちは、たとえば、当時のエル
サレムで、成人男子だけで3千人もの人々が一度に洗礼を受
けることは、物理的に不可能であったと言います。(使徒2
:41) エルサレムとその近郊には、それほど大勢の人々
に一度に浸礼を施すことが出来るような、多量の水がある場
所はなかったからです。したがって彼らの受けた洗礼は滴礼
であったと、彼らは推測します。しかし、それは3千人以上
の人々が、1日のうちに洗礼を受けたと解釈するところから
生まれた推論に過ぎません。使徒の働きの記述から見ると、
3千人以上の人々がその日1日のうちに受洗したと考える必
要はありまあせん。また、浸礼を主張する人たちが論証に使
う、ヨハネ3:23の「水が多かった」という記述は、水の
量が多くて浸礼に適していたということではなく、水源がた
くさんあったという意味であると説明して、浸礼には適して
いなかったと言おうとしていますが、水源がたくさんあった
という理解は正しいとしても、それが浸礼の否定に繋がると
は思えません。



  もちろん洗礼は、それ自体に何かの力があるものではな
く、象徴として大切な役割を果たしていたと考えるならば、
たとえ滴礼であろうと潅礼であろうと、それで洗礼の意義が
完全に失われてしまうと、考えるべきではないと言えます。
浸礼にこだわる人々は、水に沈めることが葬りを意味し、水
から引き上げられることは甦りを意味すると考えるためにそ
うするのですが、どうやらこれは、パウロの言おうとしてい
たことではないことは、すでに説明した通りです。実際、あ
る特殊な場合には、滴礼や潅礼のような方法が採られていた
可能性を、否定する必要はありません。しかし、使徒時代の
すぐ後のクリスチャンたちが、岩を十字の形に深く切り掘っ
て、それを洗礼槽として使用していたという歴史的事実が、
残された多くの遺跡によって証明されていることから考えて
も、初代の教会においては、洗礼は浸礼によって行われてい
たと考えるのが無難です。またパウロが言う、キリストのみ
体へのバプテスマと言う概念、霊的事実を象徴する儀式とし
ても、どっぷりと水に浸すのがもっとも相応しいと考えられ
ます。

 

  もし今ここで述べたような洗礼の理解が、誤っていない
とするならば、キリストはその大宣教命令の時点から、教会
設立を前提としたご命令をお与えになっていたことが明白で
す。洗礼というものが、単に贖罪論的にまた救済論的に論じ
られるならば、それは個人の人間の救いの歴史に関わる重要
な事で終わってしまいますが、教会論的に論じられて、キリ
ストにバプタイズされたことを象徴し、キリストのみ体であ
る教会にバプタイズされたことを表明し、またその事実を教
会が認め、交わりの中に具体的に受け入れて行くことである
と理解すると、キリストは、パウロがやがて聖霊の啓示によ
ってそのような理解に到達するであろう事をご存知の上で、
「バプテスマを施し」とおっしゃったと考えられるからです。



B.聖餐式
  


  聖餐式についても、歴史的にいろいろな考え方が発展さ
せられて来たことは、周知の事実です。今ここでそれらの様
々な考え方に論及する必要はありません。ただ私たちは、カ
トリックの化体説を、聖書に立脚せず魔術的要素を混入させ
た考え方として拒絶し、ルターの立場を、カトリックの迷信
から脱出し切れていない、非聖書的見解として退け、カルビ
ンの主張も、まだしっかりと聖書に立つことが出来ないでい
る折衷的理解と判断し、聖職者的な聖書の読み方をしなかっ
たツイングリが主張した象徴説を、基本的に受け入れている
ものです。とは言え、聖餐にあずかるということは、単なる
象徴的儀式に加わるというだけで終わるのではなく、真実な
意味で裂かれた主のみ体と流された血潮を思い、感謝してそ
れを受けるならば、そこに特別な意味で主がご臨在を現して
くださることを信じるものであることを、加えておきたいと
思います。しかし、繰り返しになりますが、聖餐式はあくま
でも霊的真実を目に見える行為で表現する儀式であり、その
儀式が目に見えない霊的真実を作り上げるものではなく、そ
の儀式が霊的真実の強化に直結するものでもないことを、明
確にしなければなりません。



1. 過ぎ越しの祭りとの関係



  主が聖餐を制定してくださった時、それは、過ぎ越しの
食事の場のことでした。それは偶然そのようになったのでは
なく、キリストがその日が来ることを渇望してお定めになっ
たのです。(ルカ22:15) イスラエル人はすべて、昔、
主がイスラエル人をエジプトの奴隷状態から解放してくださ
った事実を忘れないために、特別に過ぎ越しのパンを作り、
それを食べました。それはまさに記念としての意味を持った
ものでした。



  イスラエルがエジプトでの奴隷の身分から解放されたと
いう事は、予表論(タイポロジー)などをあまり受け入れな
い神学的立場の人々によっても、キリストの贖罪の死とそれ
による罪人の救いの予表であると考えられています。過ぎ越
しの出来事全体が、キリストによる救い全体を予表するもの
なのです。屠れた小羊は勿論キリストを指し示すものであり、
鴨居に塗られた血はキリストの血潮を意味し、モーセの言葉
を信じてその血を鴨居に塗るという行為は、私たちがキリス
トを信じ、その流された血潮が私たちの救いのためであった
と信じる、信仰を現すと理解されています。



  イスラエル人たちは、自分たちが奴隷の身分から解放さ
れた者だと言う、歴史的事実をしっかりと記憶し続けるため
に、わざわざ種を入れないパンを作り、それを食べる祭りを
国民挙げて毎年繰り返したのです。主がこの過ぎ越しの食事
の場を選んで、聖餐の制定を行われた背後には、聖餐には過
ぎ越しと同じ意義があることをお伝えになったのだと考える
べきです。小羊の血がイスラエルを救ったように、神の小羊
イエスの血は、信じるすべての罪人を救うことになったので
す。また、種を入れないパンを食べるという行為が、過ぎ越
しの事実を思い出し感謝を捧げ続けるために、重大な意義と
機能を持っていたように、聖餐という行為は、小羊イエスの
血潮によって私たち罪人は救われたのだという、厳粛な事実
を常に思い起こさせ続ける機能を持つものです。そして新約
時代の記念である聖餐が、旧約時代の記念としての過ぎ越し
の祝いと決定的に異なっているのは、屠られたキリストの霊、
御霊がそこに臨在することによって、聖餐を単なる過去の事
実あるいは歴史的出来事の、記念以上のものにしてくださる
ことです。すなわち、過去の出来事が現在に継続して効力を
発揮しているという事実、キリストの贖いの力は過去のもの
となってしまったのではなく、現在もその同じ贖いを現実し
てくださる力であるという事実を表しているのです。



2.贖罪論的意味



  そう言うわけで、聖餐の最も重要な意義は、贖罪論的な
ものです。ぶどう酒は、キリストが罪人のためにお流しにな
った血潮を象徴し、パンは裂かれたキリストの肉体を意味す
るのです。これを飲み、食べるという行為は、キリストが流
してくださった血潮を自分の命として取り込み、キリストの
裂かれたみ体を、自分の癒しのためであったという事実を受
け入れることなのです。私たちはその打たれた傷によって癒
されたのです。



  聖餐における、「飲む」、「食べる」という行為は、信
仰の象徴であり、信じるという内面の動きを、外面的行為を
もって告白しているのです。キリストは、そのような言い方
をすると必ず誤解を生み、反対する者たちをますます勢い付
かせ、従う者たちを躓かせてしまうことを明らかにご存知の
上で、あえて、ご自分を信じるということを、ご自分の肉を
食べ血を飲むという表現で強調なさいました。信仰を持つと
いう内面的な心の行為を、外面的な「飲む」、「食べる」と
いう行為で表現したのです。(ヨハネ6:48−66)自分
を決定的に不利な状況に押しやってしまうことを、百も承知
の上で、キリストが敢えてそのような表現をなさったのは、
これが、やがて行われることになっていた聖餐式制定に繋が
る、重要な教えであったからに他なりません。聖餐は突然の
思い付きによる制定ではなく、始めから予定され、準備され
た上での重要な制定なのです。



  とは言え、キリストを信じない者が聖餐のパンを食べ、
ぶどう酒を飲んだところで、それが信仰の行為になるのでは
ありません。口で告白して救われるからと言って、ただ、オ
ウム返しのように告白をさせたところで、それが救いに至る
ものにはならないのと同じです。また逆に、信仰を持ってい
ない者が聖餐のパンを食べ、ぶどう酒を飲んだところで、そ
れが呪いになったり罰当たりになったりすることもありませ
ん。先に述べたように、そのような考え方は、聖餐を魔術的
にしてしまったところから来るものです。そう言うわけで、
聖餐を聖餐として成り立たせる、絶対になくてはならない要
素は、信仰です。厳かな祈りの雰囲気も、荘厳な音楽も、黙
想のひと時も大いに結構です。しかしそれらは無くてはなら
ないものではありません。牧師の祝福の祈りさえ絶対必要条
件ではありません。司祭の祝福によって、パンとぶどう酒が
キリストの体と血に変わるという、カトリックの教えを信じ
ているならば話は別ですが、聖書の教えからはそのような結
論は出て来ません。











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2010年11月15日

教会について 2−37

p236〜243

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3.キリストがお命じになった洗礼



  甦られたキリストは、弟子たちに洗礼を授けるようにお
命じになっただけで、その意味についてはお語りにならなか
ったようです。したがって弟子たちは、外形においてもキリ
スト在世当時と変わらない洗礼を授け、その意味においても、
罪の許しの象徴、あるいは新しい信仰と人生へのイニシエー
ションの印として、継続して行ったと思われます。それは、
ペンテコステの日のペテロの説教にも伺い知ることがますし、
(使2:38)エチオピアの宦官へのピリポの洗礼にも見て
取れます。ペテロをはじめとするキリストの弟子たちは、多
分、かなり長い間この洗礼の理解に留まっていたのではない
かと思われますが、その本当の意味を理解したのはパウロで
した。



4.パウロが理解した洗礼
 


  パウロは、キリストがお命じになった洗礼をアナニヤか
ら受けた時、当然、罪の許しと新しい信仰と生活への、イニ
シエーションとしての洗礼を受けたはずです。その時の彼の
理解は、他の弟子たちとあまり変わらず、むしろ初心者とし
て、不明確なものだったと考えられます。ところがパウロは
神の奥義、すなわち、それまではまだ誰にも与えられていな
かった、真理の啓示を受けました。  そしてその奥義の大部
分は、教会に関するものでした。パウロの受けた奥義の啓示
を、贖罪論的にまた救済論的に語るだけでは充分ではありま
せん。むしろ教会論的に語ってこそ、その真の姿が明白にな
ると信じるものですが、この洗礼に関わる彼の理解も、奥義
の啓示としての教会論の中で理解されるべきものです。



  パウロが本当に重要な事柄として語ったのは、個々人の
救いに関する事柄も然ることながら、むしろ、共同体として
の教会でした。彼の著作を素直に読む限り、パウロは、個々
人の救いの歴史の中における洗礼の大切さについて語ること
よりも、教会という共同体に加えられる「バプテスマ」につ
いて、より高い関心を払って語っているように思えるのです。
救いという、ひとりの人間にとってこの上ないほど大切な事
柄について、パウロが語っているという理解には異論があり
ません。しかし、パウロの「バプテスマ論」を読むと、視点
というか関心は、個人にではなく共同体にあるように読める
のです。



  さて、そのように考えると、「洗礼」という日本語が正
しい翻訳であるかどうかという問題が発生して来ます。洗礼
という訳は、罪を洗い流すという意味を強調し、また、それ
が儀式であるということを示しています。これに対してバプ
テスト教会は異議を唱え、罪を洗うというのは洗礼の主たる
意味ではなく、もっと大切なのは、バプテスマという原語が
持つ「浸す」という意味に関わる、死と甦りであるから、
「浸礼」と訳すべきであると主張して譲りませんでした。そ
の結果、日本語聖書の多くは両方の意見を尊重して、「バプ
テスマ」という原語をそのまま残すことにしたのです。しか
しいま本当に問題なのは、パウロが「バプテスマ」と言って
いる時、はたしてそれは、水の中に浸す葬りの儀式を意味し
ているのか、あるいは水を注ぎかける洗いの儀式のことを語
っているのかということではありません。



  Iコリ12:13を読むと、私たちは聖霊によってキリ
ストのみ体に「バプタイズ」されたのだと、パウロが語って
いるのに気付きます。日本語の翻訳では「ひとつの体になる
ようにバプテスマを受け」となっていて意味が曖昧ですが、
ギリシヤ語原典によると、「私たちはひとつの御霊によって、
ひとつの体の中にバプタイズされ」となっています。ここで
パウロが用いている「バプタイズされ」という言葉は、「洗
礼を授けられ」とも、「浸礼を施され」とも、訳すことがな
いものです。パウロが語っているのは水に関わることではな
く、また儀式に関わることでもなく、聖霊がひとりひとりの
信徒すべてを、例外なく、キリストのみ体である教会に、バ
プタイズしてくださったという霊的事実、霊的次元に起こっ
た現実についてなのです。



  同じように、ガラ3:27でパウロが語っているのも、
日本語では「バプテスマを受けてキリストにつく者とされた
あなたがたはみな」と訳されていて、あたかも「人の手によ
る儀式としての洗礼を受けて、キリストにつく者とされた」
と理解されがちですが、原語で見ると「キリストの中にバプ
タイズされたあなた方はみな」となっています。すると、
「聖霊による霊的事実として、キリストの中にバプタイズさ
れた者」と理解するのが正しいことが解ります。この、キリ
ストの中にバプタイズされるという考え方は、パウロが好ん
で用いた「キリストにあって」という表現に通じるものです。
ここでも日本語では「あって」という少々曖昧な表現になっ
てしまいますが、ギリシヤ語では「キリストの中で」という
はっきりした言い方になっていて、英語でも「in Christ」
と訳されています。パウロに取っては、キリストのみ体であ
る教会にバプタイズされることと、キリストご自身にバプタ
イズされることに大きな違いはなかったようです。実際パウ
ロは、Iコリ12:13の一節前において、教会をキリスト
と言い切って、教会とキリストを同一視し、キリストのみ体
にバプタイズされることは、キリストにバプタイズされるこ
とであるとさえ語っているのです。パウロに取って、キリス
トにバプタイズされていながら、キリストのみ体にバプタイ
ズされていないことなどあり得ず、キリストのみ体にバプタ
イズされていながら、キリストにバプタイズされていないな
どということも、あり得なかったのです。これらはふたつの
別個のことではなく、同一の事柄のふたつの面に過ぎないの
です。



  このことをしっかりと理解して、パウロの「バプテスマ」
に対する言及を見ると、今まで理解されて来たものとは異な
る理解が生まれてきます。たとえばローマ6:2−6に記さ
れているパウロの「バプテスマ論」は、もはや洗礼論でも浸
礼論でもなくなってしまいます。彼がここで語っている「キ
リストにつくバプテスマ」は、人間によって施される水に関
わる儀式ではなく、聖霊によってキリストにバプタイズされ、
同時に、キリストのみ体である教会にバプタイズされること
であると、理解されるからです。人の手による洗礼と言う儀
式によって、キリストの死にあずかるのでも、またその甦り
にあずかるのでもなく、聖霊が私たちをキリストにバプタイ
ズしてくださることによって、私たちはキリストの死にあず
かり、キリストの甦りにあずかる者となるのです。パウロが
語っていることは水の儀式ではなく、聖霊が霊的次元で成し
遂げてくださる神秘的な事実なのです。 



  これはまた、コロ2:11−12でパウロが語っている
こととも調和します。12節でパウロが語るバプテスマは、
水に関わるバプテスマではなく、聖霊が働いてくださるバプ
テスマのはずです。原語では11節と12節はひとつのセン
テンスですから、11節で言われている「人の手によらない、
・・・キリストの割礼」は12節のバプテスマのことです。
そしてこのバプテスマは人の手によらないバプテスマ、すな
わち、聖霊によるキリストへの、あるいはキリストのみ体へ
のバプテスマであり、「人の手によって」水を用いて行われ
る洗礼でも浸礼でもないということです。私たちは、元より、
洗礼という儀式によってキリストの死と甦りにあずかる者と
なるとは理解していませんでしたが、洗礼という儀式が、
「信仰によってキリストの死と甦りにあずかる者となったと
いう事実を象徴的に表現する」という言い方も、充分ではな
いということになります。むしろ私たちは、「聖霊によるキ
リストの中へのバプテスマ」によって、キリストと繋がり、
その死と甦りにあずかる者となるのであり、その事実を象徴
するのが、人の手による洗礼と言う儀式であるというべきな
のです。



  では、パウロに取って、水によるバプテスマはどのよう
な意味を持っていたのでしょう。パウロが水のバプテスマに
ついて明確に言及しているのは、Iコリ1:13−17、
10:21−4、そして15:29の3回だけです。これら
の言及の中からパウロの理解を探すと、まず、第一の言及で
は、パウロは水のバプテスマを福音宣教ほどには重要視して
いなかったことがわかります。それは、洗礼が救いのための
絶対必要条件ではないと考えていたことを教えてくれます。
洗礼が救いのための条件であったならば、パウロは決してこ
のような言い方をしなかったでしょう。第二の言及では、モ
ーセに付くバプテスマという表現で、雲と海という物質を水
のバプテスマになぞらえています。これによってパウロは物
質によるバプテスマが、真の霊的なバプテスマの象徴である
ことを示しています。第三の言及では、当時、水のバプテス
マが間違った理解で実践されていたという事実を示していま
す。



  さらにまた、ルカが記録したパウロの言行録によると、
パウロ自らが、信じた者たちに水のバプテスマを授けていた
ことがわかります。(使16:15、33、18:8、19
:5) 重要なのは、パウロがエペソの信徒たちと交わした
会話です。(19:1−7) ここにおいてパウロは、ヨハ
ネのバプテスマとイエスのみ名によるバプテスマが、まった
く異なったものであることを示し、クリスチャンにはイエス
のみ名によるバプテスマが必要であること、また、そのバプ
テスマを受けることは、さらに聖霊によるバプテスマを受け
ることへの、通常の段階であることを教えています。



  キリストへのバプテスマ、あるいはキリストのみ体への
バプテスマと、水のバプテスマの関係を、パウロがどのよう
に理解していたかは、彼の語った、モーセに付くバプテスマ
への言及の中に、少なくても基本的部分を伺い知ることが出
来ると考えます。それはすでに述べたように、雲と海という
物質によるバプテスマが、モーセに付くという霊的なバプテ
スマを象徴するということです。物質が霊的な事実を指し示
す象徴となっているのです。そしてパウロは、このモーセに
付くバプテスマを、キリストに付くバプテスマの予表と理解
していたことにも、注意をしなければなりません。水のバプ
テスマは、聖霊による、人の手によらない本当のバプテスマ、
キリストに付くバプテスマ、キリストのみ体に付くバプテス
マを象徴するものなのです。



  キリストは、単純に、それまで繰り返されていた水のバ
プテスマを、継続するようにお命じになりました。それは、
やがてパウロが啓示によってその意味を明らかにすることを
ご存知の上で、それを前提としてお命じになったはずです。
そのように考えると、キリストがヨハネのバプテスマをお受
けになったこともまた、将来のバプテスマの理解を前提とし
てのことだったのではないかと思わされます。キリストはバ
プテスマを受ける人々とご自分を同一視され、彼らの長子と
なり、また頭となってくださったのではないでしょうか。そ
のように考えると、パウロに取って教会論がいかに大切であ
ったかと言うことが明白になり、私たちもまた、教会論をも
っと大切にしなければならない、というより、教会をこれま
で以上に大切にしなければならないということがはっきりし
ます。ただし、パウロの洗礼観についてのこの議論は、私の
ような素人の聖書解釈では歯が立たないところがありますの
で、しっかりとした学者にその議論は譲りたいと思いますが、
単純な聖書の読み方から読み取ったことを表明して、専門家
の議論を待ちたいと思います。



5.洗礼の意味 
 


  すでに、パウロが理解した洗礼の項で幾分触れましたが、
改めて、洗礼の意味について考察してみましょう。



a.洗い



  洗礼と訳されているバプテスマは、確かに洗うという意
味を持っています。パウロも自分の洗礼を省みて、彼に洗礼
を授けたアナニヤの言葉を引用しています。 「そのみ名を
呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」
初期の弟子たちの間では、洗礼の第一の意味は、やはり罪の
悔い改めの象徴であり、(使2:38) そこから、罪を洗
い流し清めるとい理解に繋がって行ったのは明らかです。水
が洗い清めるという宗教感覚と繋がっているのは、イスラエ
ルの歴史に見られる感覚というだけではなく、多くの民族の
中に共通に見られるもので、日本においても禊という言葉が
ある通り普通の感覚です。



  パウロはまた、エペソ5:26やテトス3:5において
も、洗礼が洗い清めることに関係しているような言い方をし
ていますが、これらの言及の厳密な解釈は困難です。たとえ
ば、Iコリ6:11においてパウロは、私たちを洗って下さ
るのは聖霊であるとも語っているのです。ともあれ、パウロ
は洗礼の水が実際に私たちの罪を洗い流したり、体を清めた
りすると主張しているのではなく、キリストの贖いによって
もたらされる、罪の清めを象徴していると語っているのでし
ょう。また、ヘブル人への手紙の著者は、「きよめの洗いに
ついての教え」という表現を用いていますが、(6:2)こ
れは洗礼に関する言及とも考えられ、その場合、洗礼が清め
に関わるものであることを示すものと考えられます。ただし、
洗礼以外の洗いの意味にも取れますので、確実ではありませ
ん。(参照:9:10) さらにヘブル人への手紙は、イスラ
エルの幕屋での祭儀を通して、クリスチャンの救いについて
教えていますが、その中で、「体を清い水で洗われた」と語
り、(10:22) クリスチャンの体が心と共に清められたこ
とを教えていますが、これは明らかに幕屋の中にある洗盤で
の儀式を想定して語り、実際上は洗礼のことを語っているの
かも知れません。ここでも、清い水が文字通り体を清めると
いうことを言っているのではなく、象徴として語っているの
だと理解されます。



b.信仰の告白 



  聖書には、キリストのみ名による洗礼を信仰告白と結び
つけて語っているところはありませんが、洗礼の実例の状況
は明らかに信仰告白の様相を帯びていました。それは自分自
身に対する確認としての、行為を通しての告白であり、さら
に、他の人々に対する明確な意思表示としての告白でした。
キリスト在世当時の弟子たちのバプテスマの場合も、さらに
キリストの昇天後のクリスチャンたちのバプテスマの場合も、
ヨハネのバプテスマの場合と同様に、罪の悔い改めの告白が
伴っていたと見るべきです。また新しい生活へのイニシエー
ションとしても、明白な告白をもって行われるものでした。



  一方ペテロは、ノアの洪水を洗礼の予表として示した上
で、あたかも、洗礼が救いをもたらすものであるかのような
表現を用いながら、実質的には、洗礼は体の清めさえも行な
うものではなく、むしろ、「正しい良心の神への誓い」とし
て行われるものであると語っています。(Iペテ3:21)ペ
テロも、洗礼が清めの意味を持っているものであることは認
めながら、実質的な清めは洗礼によって行なわれるのではな
いと伝え、洗礼はあくまでも象徴的なものであり、その象徴
的行為をする時の心の状態、神に対する態度の大切さを教え
ているのです。



  ではバプテスマが、単に罪の悔い改めと清めの象徴、あ
るいはキリストに従う人生のイニシエーションとして行われ
ていた初期の段階を過ぎ、パウロに与えられた啓示などを通
してより高い理解に至ったころ、人々はどのような意味でバ
プテスマを受けるようになったのでしょう。私たちは普通、
キリストが私たちの身代わりになって死んでくださったこと
と、私たちの初穂として甦ってくださったことを信じ、その
信仰を告白する儀式として洗礼を理解して来ました。そのよ
うな意味で、バプテスマによって、キリストの死と甦りが自
分の死と甦りであることを告白していたのです。しかしすで
に見たように、ここにはパウロの理解と少しばかりの隔たり
があるように思います。パウロの理解に従うならば、水のバ
プテスマは、私たちがすでにひとつの御霊によって、キリス
トに、また、キリストのみ体にバプタイズされているのだと
いう事実を、象徴し、その事実を告白する行為であるという
ことになります。そして、キリストにバプタイズされている
からこそ、キリストの死と命に連なるものとされているので
す。少なくても、パウロの教えの影響を強く受けていた教会
では、このようなパウロの理解が一般的になっていたのでは
ないでしょうか。それは、パウロの最も初期の書であるガラ
テヤ人への手紙にすでに記されており、 コリントの教会でも
知られていたと考えるべきであり、パウロがまだ訪ねたこと
がなかったローマの教会でさえも、すでにパウロの影響を受
けた人々によって伝えられ、受け入れられていたと考えるの
が妥当であると思われます。
   


c.教会の承認 



  キリストとキリストのみ体にバプタイズされたという霊
的事実は、霊の次元で起こったリアルな事ではありますが、
多くの場合、その霊的事が起こった「場」であるクリスチャ
ン本人でさえ、気付かずにいることが多いような、密かな事
でもあるのです。イエス様がおっしゃるように、「風はどこ
から来てどこへ行くのか」解らないのです。しかしながらそ
の事は、遅かれ早かれ、当人が気付き、周囲の者も気付くべ
きものです。なぜなら、キリストにバプタイズされた者は、
必ずキリストの命の漲りを感じるからです。聖霊に生かされ
ているという実感を持つようになるからです。事実、キリス
トの命のゆえに、新しい生き方を始めるようになるからです。
それは自動的ではありませんが、自覚を持って生きるならば
必然的なことなのです。



  そこで教会は、その人物の中に、キリストの命が漲って
いること、その人物の生活が新しくされたこと、あるいはそ
の人物の信仰告白が真実であることを認めたならば、その人
物がキリストのみ体である教会に、聖霊によってバプタイズ
された者であるということを、水のバプテスマによって公に
認め、その人物を正式に仲間として迎え入れるのです。こう
して水のバプテスマは、この時から正式に教会の交わりに入
るイニシエーションともなるのです。ですから、水のバプテ
スマは、神がなさったことを教会が確認する作業なのです。
神がなさることの先取りではありません。すなわち水のバプ
テスマが人に新たな命を与えるのでも、キリストの死と復活
に与らせるのでもありません。あくまでも神が行ってくださ
ったことを、確認する作業なのです。
 










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2010年11月14日

教会について 2−36

p231〜236


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D.選択すべき政治形態



  すでに幾度も強調したように、教会の政治形態は教会そ
のものではなく、あくまでも教会の形態に過ぎません。それ
は時と場所、文化と状況によって常に変化して行かなければ
ならないものです。ところが、教会の政治形態と言うものは、
一度確立されてしまうとそれを変えるのは非常に困難です。
多分、教会の様々な付随物の中で、最も変えるのが難しいも
のだと思います。しかし、これほど文化と状況によって変え
られなければならない付随物も少ないと言えます。教会が効
果的に政治を行い、その命をみなぎらせ成長していくように
するためには、その土地の文化と状況に合った政治形態が必
要なのです。



  すでに触れたように、フィリピンは大変選挙の好きな国
民です。自分に管理指導の能力があるかどうかではなく、人
気と面子のために選挙をしているのではないかと感じてしま
います。日本の選挙も褒められたものではありませんが、フ
ィリピンの場合は異常です。カトリックという絶対主義・全
体主義・権威主義の中で長い間生きてきたこの国の人々には、
アメリカや北ヨーロッパのような民主主義はまだ育っていま
せん。多分、多くのカトリック国は、フィリピンに似た状況
の中にあるのではないかと思います。カトリックの全体主義
・権威主義は人々から民主的な思考能力を奪い、歴史的には、
共産主義と言う異なった権威主義・全体主義に陥って行きま
した。(オーソドックスも含め)世界中の共産主義化した国
々の多くが、カトリックかオーソドックスです。幸か不幸か、
フィリピンは共産化こそしませんでしたが。長期にわたる多
くの共産ゲリラの活動が、国情不安定の最大原因のひとつで
した。



  民主主義と言う基本を知らない人たちが選挙を行うと、
とんでもないことになるのです。それでも、一般世界では、
選挙を行いながら民主主義の何たるかを教えて行かなければ
ならないのですが、それを大多数の国民が理解するためには、
非常に長い年月が必要です。このような文化、状況の中の教
会が、会衆政治形態を採り選挙を行うと、その誤った選挙情
熱のために、その見栄と面子のために大混乱に陥るのです。
従って、すべての信徒を含めた選挙を原則とする会衆政治は、
フィリピンのような社会状況の中では賢いやり方ではありま
せん。そう言う私たちの日本の民主主義も怪しいものです。
思いやりで癌の告知をしない国に、つまり自分が事実に直面
し、その事実にどう対応するかという、基本的人間の責任を
果たせずに、他人の思いやりを期待しなければならないよう
な文化の国、基本的人間の責任を負わせないような心遣いを
美徳とするような文化に、本物の民主主義は育ちません。民
主主義とはしっかりとした自己の確立を前提とするものです。
間違ってもらっては困るのですが、私はこのような自己の確
立を提唱しているのではありません。ただ、民主主義につい
て語っているのです。



  また、たとえ民主主義の原則をかなり理解している人々
であったとしても、聖書の教えを余り理解していない人々が
選挙を行うのも、勧められません。聖書の世界観、価値観、
神観、人間観などが理解され、教会観もしっかりしていなけ
ればなりません。もちろん、あまりハードルを高くすること
は考え物ですが、少なくても、基本的なことは理解している
のが原則です。ましてや、選ばれる方は候補者として、しっ
かりとした資質を備えていなければなりません。そこで、使
徒の働きの中に記された教会歴史上最初の選挙のように、選
挙の前に有資格者を推薦する必要性があるのです。ですから、
特に開拓途上の教会、信徒たちがまだ信仰的に幼い教会は、
会衆政治形態を避けた方が良いと判断されるのです。

  パウロは開拓教会を残して去る時、選挙で長老たちを選
ばせず、彼が任命して行きました。先に述べたように、例外
的な監督制の形態です。ただしこれは、教会がまだ幼く未熟
であったという理由のためだと判断されます。教会が全体と
して成熟して行くにつれて、選ばれる資質を備えたクリスチ
ャンたちが出現し、選ぶ方もまた、ある程度の成熟度を持っ
て選ぶことが出来るようになります。とは言え、パウロが第
一伝道旅行において長老を選任したのは、時期尚早であった
ことがすぐ後になって明らかになりました。パウロでさえも、
教会の指導者の選任の時期については、誤りを犯したのです。



  確かにパウロは、異邦人への使徒として、異邦の土地に
多くの教会を建てました。そしてそれらの教会の、初期のク
リスチャンたちの多くは、以前から熱心に会堂に集っていた
ユダヤ人であり、またたとえ異邦人であったとしても、ユダ
ヤ教に改宗していた者や、少なくてもユダヤ教に惹かれてユ
ダヤ教の学びをしていた者たちでした。つまり彼らは、文化
的に、福音を受け入れる素地が出来ていた人々でした。神に
ついても、旧約の律法についても、すでに深い理解を持って
いました。やがて出現するメシヤを待ち望んでさえいました。
ですから、彼らは短い期間の伝道で救われることが出来たの
です。このような人々の中にはすでに、会堂の中で長老だっ
た者もいたことでしょう。長老になる資質を備えていた人も
いたでしょう。パウロはそのような人々を見つけ出しては、
「新しい宗派の会堂」とも誤解されていたに違いない、新た
な共同体の長老、指導者として任命したのです。パウロは長
老制度に慣れた人々の間で、長老制度を敷いて行ったのです。



  ところが、このように福音を直ちに理解し、信じること
が出来たこれらの人々は、内側に大きな危険性を抱えていた
のです。それは、間もなく表面に現われて来ました。それが
割礼の問題です。ユダヤ人であった、また、改宗してユダヤ
教徒となっていた、あるいはなりかけていた彼らは、ユダヤ
人の優越性を当然のように信じていたことでしょう。神はユ
ダヤ人のみに救いをもたらすと主張する割礼主義者は、彼ら
の優越感をくすぐったのです。彼らは教会に加わろうとする
人々に対して、まずユダヤ人にならなければならないと主張
し、割礼を強制し始めたのです。これがパウロの頭痛の種と
なり、ガラテヤ書を書く理由となり、さらにはエルサレム会
議の召集理由となって行ったのです。


  この例は、文化的にはかなりしっかりしていても、また
福音の真髄をかなり理解していたとしても、クリスチャンと
しての経験の浅い信徒は、教会の指導者としては向いていな
いと言うことを示すものです。パウロは自分の失敗を直ちに
理解したようで、第二伝道旅行からは、長老の任命にはもう
少し時間をかけ、注意深くなって行ったように読み取れます。
そして、自分の若い弟子テモテには、信徒になってまだ間も
ない人物を長老に任命しないようにと、指導しています。



  こうして見ると、聖書は特定の教会政治形態を定めてい
ないことが明白です。文化的背景、社会状況、信徒の成長具
合など、多くの要因を良く判断して、どのような形態が相応
しいかを選ぶべきであると判断します。たとえば私たちの母
教団に近い存在であるアメリカ・アッセンブリーズ・オブ・
ゴッド教団では、長老形態と監督形態も部分的には残してい
ながら、基本的に会衆形態を採っています。フィリピンでは
それをそのまま取り入れて、失敗をしました。しかし日本に
おいては、非常に監督制に近い長老制、あるいは長老形態を
そこここに用いた監督制として発展して来ました。それは、
日本と言う民主主義がまだ芽生えもしないでいた土地で、会
衆制を採ることの危険性を、当時の指導者たちが心得ていた
からでしょうか。あるいは教会がまだ幼いと判断したからで
しょうか。あるいは初期の指導者たちの多くが、監督制の教
会から移って来た人々だったからでしょうか。ともかく、ア
メリカやイギリス、オーストラリアの会衆主義の政治形態を、
私たちの先輩は拒絶したのです。もちろん、監督制に近い教
団運営は様々な葛藤を生み出しましたが、全体としてはよく
機能して来たと言えるでしょう。かなり多くの教職が今、少
しずつ大人の信仰に近付き、僅かずつながら、もっと緩やか
な長老制へと移行したいという気持ちを、表現しているとこ
ろです。それだけではなく、民主主義政治が最も良い政治形
態だと教えられ、それを鵜呑みにして来た若い世代の教職の
間には、教会の政治も民主的に行なわれるべきであると、短
絡的に考える人たちもかなりいるように見受けられます。民
主主義を個人主義の発露と考え、 個人の権利をかざして、
「自分たちにも発言させろ」という叫びを持つ人が多くなっ
ているのは残念なことです。教会は、個人の権利を主張しあ
う場ではないからです。



  ある教団は、個教会の集合に過ぎません。商店街の協同
組合のようなものです。自分の利益が第一で、協力するのは
あくまでも自分に益があるからであり、自分に益するところ
がなければ離脱してしまうのです。ある教団は、専制君主の
ような監督や総裁と言われるような人が、権威を振るい、小
さな者や弱い者が無視され、取り残され、泣かされる、まさ
に日本的共同体と成り下がっています。 そして、そこでは
「長いものには巻かれろ」、「臭いものには蓋をしろ」の文
化がまかり通るのです。



  キリストにあってひとつであると言う、霊的意識が高く、
構成員のひとりひとりがキリストの謙遜を身に着けていれば、
たとえどのような組織形態、政治形態を採ろうとも、教会や
教団は、キリストのみ体としての性質を遺憾なく現すことで
しょう。しかし、霊的意識が少しでも低くなると、組織や政
治形態の不備が、キリストの霊によって生かされる教会、あ
るいは教団という共同体を、少しずつ窒息させて行くことに
なるのです。



  ですから、長老制形態を採ったからと言っても、教会を
構成する人々の霊的資質が低ければ、決して上手く機能する
ことはないでしょう。それでも長老制は監督制の危険と会衆
制の弱さを、ある程度覆うことが出来る制度であると考えら
れます。また、教団や個教会が単なる人為的な集団ではなく、
キリストのみ体であると言う事実を、最も表現し易い形態で
あると思われます。ただそのようなことよりも、教会はその
存在する文化と状況に合わせた形態を取ると言うことが大切
です。そして、もっとも大切なことは、エルサレム会議にお
いて参加者が感じた、あの聖霊の臨在の確認です。人の意見
だけによるのではなく、聖霊が共に参与して話し合われ、決
定されて行くということの重要性を認め、熱心に聖霊の臨在
を求め、その臨在を強烈に感じながら物事を進めることです。



]V.教会と礼典



  カトリック教会には、秘蹟と呼ばれる七つの礼典があり
ますが、プロテスタント教会では、一般的にふたつの礼典を
認めているだけであるということは、よく知られています。
多くの教会論が取り扱う内容には、必ず礼典の項目が含まれ
ていることからもわかるように、伝統的プロテスタント教会
にはそれぞれ特徴的な礼典論があります。ただ、伝統的プロ
テスタント教会というのは、まだまだあらゆる点で、カトリ
ック教会の「卵の殻を尻にくっつけている雛」のようなとこ
ろがあり、特に礼典論においてはそれが顕著です。聖書主義
を掲げたプロテスタント教会ではありますが、その聖書主義
というものの発展生育が、まだまだ足りなかった頃に形成さ
れた神学であったために、今、私たちが見ると、とても聖書
主義の神学とは考えられないような面がたくさんあるのです。
私たちは、そのような伝統的なプロテスタント教会の礼典論
については、すでに様々な機会に学んで来たことですから、
一応、基本的な理解を持っているということを前提にして、
改めて、聖書に示されている礼典について学んで行きたいと
思います。



A.洗礼式



  カトリック教会では伝統的に幼児洗礼を行って来ました。
宗教改革を行ったルターもカルビンもこの伝統を受け継ぎま
した。しかしアナバプテストと呼ばれる神学的素人の一団は、
その素人らしい率直さで聖書を読み、幼児洗礼の無効を宣言
し、自意識を持った者の信仰告白を前提とした洗礼を主張し、
かつてカトリックの洗礼を受けた人々に、再び洗礼を施すよ
うになりました。しかし残念なことに、アナバプテストの人
々はカトリックからもルターからもカルビンからも迫害され、
多くの殉教者を起こしてしまい、当時のプロテスタントの主
流になることが出来ませんでした。しかし、その流れはピュ
ーリタンに引き継がれ、現在のバプテスト教会に注ぎ込まれ
ています。私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の神
学は、極端な予定論とディスペンセーション(時代真理)は
別として、基本的にバプテストの神学を継承するものである
ことから、洗礼論においても、原則的にバプテストの立場に
立つものです。
 


1. キリストがお受けになった洗礼 

 

  キリストがお受けになった洗礼は、バプテスマのヨハネ
が授けていた洗礼で、一般には「悔い改めの洗礼」と呼ばれ
ていたように、罪を悔い改める決意を表現していました。そ
れはまた、あくまでも心の決意を儀式という行動によって表
現するものであって、洗礼自体に何か特別な力があったわけ
ではありません。ですからヨハネは、表面だけは悔い改めを
装って、洗礼を受けようとしてやって来ていた当時の宗教家
に向かって、悔い改めにふさわしい身を結ぶようにと、厳し
く警告しているのです。



  ヨハネが授けていた洗礼は、当時の社会の一般的な慣わ
しを利用し、それに悔い改めの意味を加えたものと理解され
ます。当時のユダヤ教の中には、ヨハネの洗礼の模範になっ
たものがありました。また、当時のグレコローマンの文化の
中にも、類似した習慣が伺われます。ユダヤ教の中では、た
とえば、普通、律法学者と呼ばれている聖書の写本を作る作
業をしていた人々が、仕事を始める時、あるいは「神」とい
う言葉を書き写す時に、自分の体を水で清めたという習慣が、
罪を悔い改めるところから罪を清めるという理解に至る、バ
プテスマのヨハネの洗礼の意味の一面に関係したと考えられ
ます。(参照:ヨハネ3:25)また、異邦人たちがユダヤ教
に改宗する時に受けた儀式の中のひとつに、洗礼があったこ
とは特筆に値します。異邦人としての過去の人生に別れを告
げて、ユダヤ人としての新しい人生を迎えるという、いわゆ
る契機の儀式、イニシエーションとしての洗礼が、罪を悔い
改めて、神のみ前に清く生きる人生を始めるという、ヨハネ
の洗礼の意義に通じるところがあったと考えられます。キリ
ストがお受けになった洗礼は、このようなものだったのです。



  しかしキリストが洗礼を受けられた場合は、ヨハネが意
図した悔い改めの象徴としての洗礼に止まらず、さらに深い
意味を含んでいたと理解すべきです。なぜなら、キリストは
罪人ではなく、ヨハネ自身が告白しているように、ヨハネの
洗礼を受ける必要のないお方だったからです。それにも拘ら
ず、キリストが敢えてその洗礼をお受けになったのは、その
ようにして、罪人とアイデンティフィケーションをお持ちに
なるためであったと考えられています。しかし、ここで私た
ちは、キリストがこのようにして洗礼をお受けになったのは、
単にご自分を罪人と同じ立場に置かれたというだけではなく、
もう一歩進んで、将来建てられるであろう教会の、頭となる
ためであったという可能性にも、気づいておくべきだと考え
ます。もちろんヨハネの洗礼は、後の、キリストのみ名によ
る洗礼とは意味が異なっており、ヨハネの洗礼を受けた者が
キリストのみ体に繋がることはあり得ないのですが、キリス
トはそこに、ヨハネの意図しなかった象徴的な意味を持たせ
ておられたことは、充分に考えられることです。キリストが
お受けになったヨハネの洗礼が、単にヨハネの洗礼に終わら
ないことは、聖霊が鳩のようにお降りになって、天から声が
あったことによっても明らかです。この時から、キリストは
単なる人となった神ではなく、聖霊によって力ある業を行わ
れる神となったのです。ここにおいてもキリストは、自分の
力ではなく聖霊の力によって働くという、クリスチャンの基
本的生き方の模範となっているのです。



2.キリストがお授けになった洗礼



  キリストが実際に洗礼を授けておられたかどうかは不明
ですが、キリストの代理として、弟子たちが授けていたのは
確かです。(ヨハネ4:1−2)ともあれ、キリストが何ら
かの意味で洗礼を用いておられたのは確かです。この時の洗
礼を、後にパウロが理解した「キリストにつくバプテスマ」、
あるいは「キリストの死にあずかるバプテスマ」と同じもの
とは考えられません。なぜならこの時は、まだキリストは死
んでおらず、ましてや甦っておられないからです。そして聖
霊もまだ来ておられなかったからです。キリストの死と蘇り
にあずかるということだけならば、旧約の人々もキリストの
十字架で救われたと同じような意味で、キリストのご計画の
先取りとして可能だったとしても、まだ聖霊がお降りになっ
ておられず、聖霊の直接の干渉なしには「キリストにつく」
事は不可能だったはずだからです。パウロの理解では、キリ
ストにつくバプテスマを受けてこそ、キリストの死と甦りに
あずかることが、本当の意味で霊的現実となるのです。では、
この時キリストが授けておられた洗礼は何だったのでしょう
か。多分、バプテスマのヨハネが授けていた洗礼と基本的に
は変わらない、悔い改めのしるし、キリストの弟子として新
しい人生を始める、イニシエーションとしての洗礼であった
と考えるのが無難です。しかしまたこの洗礼は、やがて甦ら
れたキリストがお命じになった洗礼を、予表するものであっ
たと言えるかもしれません。キリスト在世当時の洗礼と、甦
りの後のキリストのみ名による洗礼が、まったく異なるふた
つの洗礼と理解するのは困難です。弟子たちもまた、キリス
トの死と蘇りによって洗礼の意味が変わったなどとは考えず
に、むしろキリストによって教えられ実行していたものを、
継続して行っただけのことと考えられます。












posted by MS at 00:00| Comment(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

教会について 2−35

p224〜230


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]U. 教会と政治形態



  自分たちの教会の形態や形式を教会そのものと勘違いし、
それをほかの国や異なった文化にまで持ち込んでしまう問題
は、教会の政治形態において最も頑固な形で現われて来ます。
カトリック教会だけではなく、多くの伝統的なプロテスタン
ト教会もまた、自分たちの教会の政治形態を、単なる存在形
態ではなく、本質的な事柄、あるいは教会そのものの一部と
捕らえて、変更不可能な重大事項と理解しているからです。
イギリス国教会(聖公会)がその監督政治を変えることは、
「エチオピア人が肌の色を変えることが出来ないくらい」不
可能でしょう。改革派の流れを汲む教会がその長老政治形態
を変えることは、日の丸を他のデザインに変えるほど困難で
しょう。バプテストを始めとする「民主的教会」がその会衆
政治形態を変えることは、ライオンが草食動物になるのを期
待するようなものでしょう。これらの教会は、たとえどのよ
うな文化背景、歴史背景、あるいは政治背景の中に入って行
っても、自分たちの政治形態を維持しようとします。しかし、
たとえばカトリック国の絶対権威主義的な植民地政策や、共
産主義あるいは社会主義国家の強権政治に慣れ親しんで来た
人々に、民主主義の教会版である会衆政治はなかなか馴染み
ません。たちまち権力を手にしたい人間と無気力な人々と、
過激な抗議行動を起こす人々が現われて来ます。民主主義の
思想と政治が強固な土地で、権威主義的な監督政治を継続す
ると、多くの人々が失望してしまいます。それを止めるには
宗教を日常生活から切り離すか、カルト集団のように洗脳に
でも訴えなければならなくなります。
  


  普遍不変の教会が真実の教会であって、その付随物はた
とえ何であっても真実の教会ではありません。しかしその付
随物がしばしば非常に大きな役割を果たすのです。教会の政
治形態も、あくまでも教会の付随物であって、なくてはなら
ないものであり、非常に重要なものでありながら、教会その
ものではありません。このことについてはすでにわずかなが
ら触れていますが、改めて考察してみましょう。



  教会がどのような政治形態を取るかは、あまり多くの人
の関心事とはなり得ません。ほとんどのクリスチャンはその
ようなことに関心がありませんし、多くの牧師伝道者は、自
分の所属する教団や教会の政治形態を変えようなどと思う立
場になく、与えられた形態を守るだけだからです。とは言え、
単立教会として開拓伝道から始めた人などは、あるいはこの
問題を真剣に考えることがあるかもしれません。実際のとこ
ろ、どのような政治形態を取るかと言うことは、その教会や
教団の成長に大きく関わることがあるからです。



  教会の政治形態には実に色々なものがありますが、大き
く三つ、あるいは四つに分けられます。ここでは、私たちに
とってあまり馴染みのない「国教会」という政治形態には触
れず、監督制、会衆制、長老制の三つに分けて考えて見まし
ょう。ただし、現実の教会は生き物ですから、このような分
け方に完全に合致するものはほとんどなく、それらの形態が
いろいろと混ざり合い、重なり合って、それぞれ独特の形を
作り上げています。実際のところ、教会としては長老制を採
っていながら、牧師は、自分の言葉には絶対の権威があると、
専制監督主義を採り、さらには、他のどのような者の指導や
管理監督を拒絶するという、完全な会衆制を採っているとい
うような、奇天烈な教会が結構多いのです。



A.監督制政治



  監督制の基本的考えは、権威は上から下へ与えられると
いうことです。教会の権威はキリストからペテロに与えられ、
そのペテロの権威は教会の長に継承されて来たと考えます。
この考えが最も徹底された形で具体化されたのがカトリック
教会です。カトリック教会では、法王はキリストの代理者で
あり、法王がその座から語る言葉は、少なくても教義上は、
キリストの言葉であると考えられています。とは言え、現代
カトリック教会においての法王の権威は昔ほどではなく、法
王が公式に発言する多くの事柄は、予め枢機卿会議において
話し合われて合意を見た事柄であり、それすらも、たとえば、
アメリカの大多数のカトリック信徒が、家族計画や妊娠中絶
に対する法王の言葉を拒絶しているように、神の言葉とは受
け入れられなくなっています。とは言え、教会政治としての
カトリックは強烈な上意下達であり、中央集権を維持し続け
ています。個々の地域教会においても、カトリック教会は上
意下達が徹底していて、司祭の発言力は非常に強く、信徒た
ちの発言は最小限に抑えられています。



  次に厳しい監督政治形態を取っているのが、イギリス国
教会です。英語では監督政治形態を「Episcopalian」と言
いますが、これはイギリス国教会「Church of England」
の別名です。ただしアメリカに出て行ってまで「Church of
England」とは呼べませんから、政治形態を取って呼び名に
したものです。(アングロサクソン人の教会と言うことでア
ングリカンとも呼ばれます、日本では聖公会と呼ばれていま
す)イギリス国教会は、元々イギリスの王ヘンリー八世が自
分の妻に飽きて、離婚して他の女を娶るためにカトリックか
ら離脱しただけのことであり、教義的にも実際的にも、カト
リックと変わるところがありませんでした。しかし、カトリ
ックと袂を分かったことにより、大陸の宗教改革者たちの影
響を受け易くなり、中にはカトリック的な国教会ではなく、
福音的流れに乗る国教会も出現し、さらには完全に国教会と
の繋がりを絶ち、長老教会となって行く者もたくさん出現し
ました。



  福音系の教会では、メソジスト教会がイギリス国教会の
福音的流れから派生した教会として、監督制を継承しました。
また、そのメソジストから派生した様々な教会、たとえばホ
ーリネス系の多くの教会が、この形を取っています。またペ
ンテコステ教会の多くも、ホーリネス運動の落胤として監督
政治を取り入れています。



  しかしながら、監督がペテロの権威を継承しているとい
う神学は、カトリック固有のものであり、法王ただひとりが
その権威を主張しています。とは言え、多くの監督制の教会
は何らかの形で、監督と言う強い管理者、指導者の必要性を
認め、その権威を擁護しています。これらの教会で共通なの
は、強い権威主義、個人崇拝、中央集権制です。



  ところが監督制の政治形態は、聖書の中にはごく僅か、
例外的に見ることが出来るだけです。その例外は、パウロの
働きに関わるものです。彼は、自分が使徒として建て上げた
教会に対しては、かなりの権威を持って指導をしました。長
老を任命して、教会管理を委ね、さらに書簡を送って指導し、
テモテやテトスを派遣して牧会者の働きをさせています。さ
らに、パウロはテモテやテトスに長老を任命することを任せ
ているのですから、長老の任命権を持つ牧師の上に立つ監督
者となります。ただし、パウロが使徒としての権威を持って、
このように、あたかも監督者であるかのように指導したのは、
まだ若い教会に対してであって、言わば一時的な処置と考え
られるものです。



  そういうわけで、監督制の政治形態はわずかながらであ
っても聖書の中に例を見ることが出来、実際の機能上、必要
となる場合がしばしばあります。監督や指導者が謙遜であり
また優れた能力の持ち主であれば、この形態は非常に効果的
であるとさえ言えます。実際、教会や教団がまだ若く、ひと
りの霊的にも能力的にも優れた人物の指導によって進められ
ている間は、他のどの政治形態よりも物事が円滑に進められ、
また、順調に成長することでしょう。しかし、この制度の最
大の弱点は、監督を始めとする指導者たちが、権威主義に陥
りやすいと言うことです。多くの場合、初期の立派な霊的指
導者が失われると、自分の役職を名誉と感じ、権威を主張す
る「お山の大将」の寄せ集めになってしまいます。組織の中
で機能職であるべき役職が、名刺の肩書きとして対外的宣伝
に用いられ、自分を飾る化粧となり、面子となり、本物の自
分を隠す仮面となってしまいます。そのような人々は、「肩
書きのある」自分の言うことが受け入れられなければ怒り、
「役職である」自分が褒められなければ苛立ち、持ち上げら
れなければ傷つき、なんとも取り扱いにくい厄介者となって
しまいます。それで、他の人々すなわち信徒や若い教職者た
ちは、そのような役職者に対して不要な気の配りを強いられ
ることになります。その人の機能のためにその人を重んじ、
その言うことを聞き、その働きを尊重するのではなく、権威
主義のわがままを我慢して聞き、しようがないから従うこと
になってしまいます。教会や教団の中での役職や立場は、名
誉職ではなく機能職であることをしっかりとわきまえなけれ
ばなりません。そういうわけで、教団の中に、あるいは教会
の中に、「名誉職」を作ることはとんでもない誤りです。



  たとえば私たちの教団には、歴史的に監督制の組織形態
が色濃く残っています。役職には必ず、「上からの」権威が
伴っているように錯覚している方々がたくさんいます。それ
で、選挙は人気投票になり、選ばれることが格別に名誉なこ
ととなり、選ばれないことは名誉を傷つけられたことになり
ます。そこにはやっかみや妬みが蔓延します。そのような霊
的敗退のあるところでは、教会としての本当の姿が失われて
しまいます。そして、ともすれば、教団や部などの決定が、
声の大きなひとりの人の意見に、引きずられてしまっている
のではないかという、疑心暗鬼が生まれます。特に、自分た
ちがそのような誤った権威主義でことを運んで来たことがあ
る、年配の方々は、他の人たちも同じようにしているのでは
ないかと勘ぐり、働きを混乱させます。役職や立場を機能と
捉えて仕事をしている人たちの妨げになってしまいます。



B.会衆制政治



  一方、会衆制度の基本的考えは、ひとりひとりの信徒は
すべて神のみ前に平等であり、平等の権利を持つと言うもの
です。これは神学としてはルターが万人祭司説として唱えた
ものですが、それを単なる説に留めずに、先鋭化し具体的に
表現しようとしたものです。したがって、教会の権威は高位
の教職や、選ばれた教職たちの会議にあるのでもなく、信徒
たちひとりひとりにあると考え、その信徒たちの自主的な集
合である会衆が教会であると理解するのです。



  現在、制度としてこの会衆制政治形態を取り入れている
教会には、大きなものではバプテスト教会がありますが、よ
り徹底した会衆派としては、フレンド派、クエーカーなどが
有名です。アナバプテストに端を発し、清教徒たちによって
新大陸にもたらされて発展したこの制度は、神学的思索とし
ては優れたものであり、現代民主主義の形成にも大きな力と
なったところから、戦後アメリカから輸入された、民主主義
の恩恵に与る私たちにも理解し易い考え方です。



  この教会の政治形態の特徴は、信徒全員による教会会議
と選挙です。個々の地域教会の信徒全員に平等の権利がある
のですから、この人たち全員の意見を聞き、それをまとめる
ことが教会運営の絶対条件であるわけです。また、この地域
教会の選挙がそれぞれの教会の政治を定めます。牧師を選び
招聘するのも信徒の意思に任せられます。個々の地域教会は
すべて、信徒という独自の存在基盤を持つため、他のどの教
会からも干渉される必要はありません。それぞれの教会が属
する教団にも、個々の教会の内政や方向に口出しをすること
は許されません。教団は基本的に自主的な交わりと協力のた
めに存在するのであって、管理指導のためではありません。
 


  ところが面白いことに、この会衆制政治形態の実例を聖
書の中に見つけることは出来ません。会衆制度を支持する人
たちは、使徒の働きの6章1−6節の選挙の記述の中に、会
衆政治形態を読み込もうとしますが、それは困難な仕事です。
選挙と言うのは民主主義的であり会衆制度的だと言うのです
が、実際はそのような選挙ではなかったと考えられるからで
す。まず、選ばれる者たちの資格と言うか資質と言うものを、
使徒たちが先に定めて、予め指導をしているのは、会衆政治
形態に馴染みません。また、この時実際に選挙に加わったの
は、エルサレム教会の全信徒ではなく、ごく一部の、多分代
表者たちだったと考えられるからです。当時のエルサレム教
会には、すでに成人男子だけで5千人を超える信徒たちがい
て、使徒の働きの著者ルカは数えるのを諦めかけていたほど
です。それらの人々がすべて、選挙のために一堂に集まり、
あるいは総動員されて、陶器の破片を用いて選挙をするなど
と言うことは、物理的にも治安維持上でも到底考えられませ
ん。エルサレムは最も治安に問題がある都市として、ローマ
の厳しい監視下にあったのですから、当時のクリスチャンた
ち全員が一度に集まったりすると、たちまち、ローマの治安
維持の部隊が駆けつけて来たことでしょう。ですからこの場
合、近代民主主義の原則に法った全員による選挙などという
のは、時代考証を無視した幻想で、民意を代表する比較的少
数の者たちだけが、7人の仕える者たちの選出に関わったと
見るのが妥当です。そういうわけで、この記述に見るのは、
むしろ長老制に近い形です。



  会衆制政治形態は、構成人員全員があらゆる面において
大人になっているならば、最も理想的な形態であるかも知れ
ませんが、現実は、構成人員のほとんどの者が欠点だらけで
あり、民主主義の何たるかさえも心得ておらず、教会の真の
姿に気づいていないのが本当のところです。このような中で
は、会衆制形態がうまく機能することを期待するほうが誤り
です。またこのような形態が、監督制度への反発として持ち
込まれると、誰も彼もが言いたいことを言いたいために、会
議に参加し、発言の機会を要求し、権利の主張を始めます。
すべての構成員が発言をすることは物理的にも不可能ですか
ら、勢い、言いたい者が言いたいことを言うという無政府状
態に陥ります。そうして、本当に指導者としての能力を持ち、
その能力が期待されている人が、何も出来ないことになって
しまいます。しまいには、会議だの委員会だのということに
多大の時間と費用が費やされ、本当に必要なことが行われな
いことになってしまいます。このようなことが地域教会レベ
ルで行なわれると、その教会はたちまち衰退して行きます。
教区や教団と言う有機的教会レベルで行なわれると、教会と
しての有機性が失われ、利害の対立になってしまいます。



  ただし、このような心配はどちらかというと、すべての
ことに根回しと合議制を重んじる、日本独特の問題というこ
とも出来ます。たとえば民主主義をもっとも声高に叫ぶアメ
リカでも、大統領制を採っており、その大統領の力は日本の
首相の比ではありません。フィリピンやインドネシア、韓国、
台湾、中国、その他、多くの国々でも、国家の指導者の権威
は非常に強いものです。それぞれの国にあるアッセンブリー
ズ・オブ・ゴッド教団もまた、基本的には会衆制度を採って
いながら、総理と言われる立場の人の行政権は、日本の理事
長とは比べ物にならないほど強いものです。それぞれの国に
よって程度の差こそあれ、一度、民主主義的手法で指導者が
選ばれたならば、その指導者を信任し、強大な力を与え、そ
の選択を容認して行くというのが一般的であり、より民主主
義的です。この場合、選任された指導者は、自分の指導者と
しての責任を、常に明白にする義務を負います。ところが日
本では、指導者の選択決定などの権限の範囲が非常に限られ
ていて、指導者としての顔が見えない場合が多い一方、責任
が不明瞭となり、失敗も汚職も贈収賄も談合も、常に曖昧模
糊とした黒い霧の中に覆われたままになってしまいます。日
本では、物事を明瞭にするのは、何事においても好まれない
のです。ともあれ、誰も彼もが平等に発言権を持つというの
は民主主義ではなく、無政府状態です。



C.長老制政治



  長老政治形態の特徴は、複数の成長したクリスチャンた
ちが、協力して管理指導し、教会を治めて行くというもので
す。個々の地域教会の中でも、長老と言われる役員を選出し
ますが、この場合も、会衆派のような全会員平等無差別の選
挙ではなく、長老として選ばれるべき資質を持った人物を予
め選出しておいて、その中から選ぶような注意深さを持って
います。また、個々の地域教会がまったくの自治権を持つの
ではなく、その地方にある複数の地域教会の代表者たちが構
成する議会が、個々の地域教会を指導し、また牧師も、地域
教会の信徒の招聘だけによって選ばれるのではなく、議会が
指導性を発揮します。また多くの場合、その地方全体の指導
を任せられる長老も選出されます。そのような地方の指導を
任せられている長老たちが、さらに全体を指導する議会を構
成して行くのが普通です。
 


  長老制政治においても、教会の権威はある特定の高位の
教職や、特定の高位の会議に存在するのではなく、聖霊を内
に宿している信徒ひとりひとりの共同体にあると考えます。
会衆制と違うところは、会衆制が聖霊を宿す個々の信徒に権
威があると考えるところを、長老制は個々の信徒ではなく、
信徒の共同体に権威があると理解するところです。とは言え、
このような神学的理解を持って、教会政治について考えてい
る神学者の方がむしろ稀であり、普通は、単なる政治手法の
違い程度に取り扱われてしまいます。



  したがって長老教会では、個々の地域教会の自主性と言
うことはかなり尊重されてはいるものの、それらは地域教会
の長老たちによって構成される会議の指導、もしくは管理下
にあると考えられます。個々の地域教会は完全な自主独立の
孤立した教会ではなく、より大きなキリストのみ体の一部と
判断されるのです。具体的に、このような指導力を持った会
議が、どの程度の地方を管理するのか、さらにその上にまた、
管理指導を行う会議が存在するかなどは、それぞれの教団や
団体によって異なるでしょう。



  このような教会の政治形態は、かなり未発達な状態では
ありますが、新約聖書の中にもっとも顕著に見られるもので
す。まず、原始エルサレム教会は複数の指導者たち、すなわ
ち12弟子の共同指導によって保たれていたと考えられます。
その中でもペテロが色々な意味で中心的な役割を果たしてい
たことは確かですが、決して後の「監督」のような権威を主
張したことはありません。少し後年になるとキリストの兄弟
ヤコブが、エルサレム教会の中心的長老の役割、少し後に新
約聖書が「監督」と呼んでいる、管理能力を発揮する長老の
役割を演じているように読み取れます。しかし、彼も決して
監督政治教会の監督のような役割を演じてはいませんでした。
あくまでも協議・合議が教会の意思決定の方法でした。それ
は、エルサレム会議の様子でも明らかです。



  パウロは、自分が開拓の責任を持った教会に対しては、
使徒の権威と開拓者としての権威とを持って、あたかも監督
のように、あるいはそれ以上の権威をもって指導しています
が、教会全体の中では、あくまでもひとりの指導者として、
協議・合議を重んじてエルサレム会議に臨んでいます。また、
パウロが開拓した教会でも、彼に任命された長老はそれぞれ
複数であった可能性が強く、これは当時のユダヤ教の会堂の
伝統に従ったものであることが明白です。当時のユダヤ教の
会堂のシステムは長老制度だったのです。



  当時の教会は、会衆制の人々が主張したような完全な独
立独歩の地域教会として存在していたのでも、ひとりの監督
あるいは最高会議によって、個々の地域教会が管理指導され
るような存在もありませんでした。むしろ互いの有機的繋が
りを強く意識していながら、各地域教会の自主性を最大限に
尊重しあう、大きなひとつの教会として存在していたのです。
その感覚は未発達であっても、今日の長老制度に最も近いも
のであったと考えて、間違いはありません。



  機能的な面から言うならば、長老制形態は、監督制の欠
点と会衆制の欠点とを埋め合わせた、折衷的な良さがあると
言えるでしょう。監督制にありがちな個人の権威主義と暴走
に歯止めをかけ、会衆制度に起こりがちな無政府状態と無関
心に終焉を告げさせるものです。


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2010年11月12日

教会について 2−34

p220〜224


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E. 教会の普遍性と文化的適応



  実はこのような弱さ、つまり、自分たちの文化を最善と
思い込む弱さは、どうやらすべての人間に共通と言えるよう
で、日本人宣教師が外国で福音伝道をし、教会を建てると、
同じようなことを行う危険性は充分にあります。ただ日本人
の宣教師は極端に少数ですし、自分の意思で外国に行って長
期にわたって活動しようとする宣教師の多くは、たとえ外国
であっても、「郷に入らば郷に従え」という諺を地で行くこ
とが出来る、10パーセントの少数派の日本人に入りますの
で、  この危険性が比較的少ないと言えそうです。でも、そ
れはあくまでも「比較的」であって、注意を要することに変
わりはありません。
 


  一方、今や世界中のいたるところで見ることが出来る、
韓国人宣教師たちの多くは、非常に危険なことをしていると
言わねばなりません。僅かの例外はあるにせよ、彼らは自分
たちの教会の形態と、その形態が取った韓国的文化適応を、
まさに教会そのものとして宣教地に押し付けて行きます。極
端な例と思われるかも知れませんが、自分たちが建てた教会
だけではなく、経済的支援をしたに過ぎない教会にまでも、
韓国式の礼拝、韓国式の教会運営を強要し、韓国語の教会名
を付けさせ、ハングル文字の看板を上げさせるなどと言うこ
とが、至る所で色々な団体の宣教師によって行われている始
末です。



  このような韓国人宣教師たちの感覚は、日本に来た場合
には特別に複雑なものとなります。彼らには、自分たちの祖
国と同胞を不当に蹂躙した、日本人に対する長年の国民的憤
りと恨みがあります。また彼らから見れば、未だに正当な方
法で謝罪していない現在の日本に対する苛立ちがあります。
これはただ年老いた人々の実体験を通した感覚だけではなく、
若者たちもまた、教科書と授業で教えられ叩き込まれて来た、
国民的感情です。さらに、経済面においても日本に対する強
い劣等感があります。ですから韓国人にとって、日本に勝て
るということは、それはもう大変な喜びであり、溜飲が下が
る思いをすることなのです。そういうわけで、サッカーでも、
バレーボールでも、柔道でも、日本に勝つということは特別
な事であり、日本人がスポーツで韓国に勝った時に持つ感覚
とは比較にならないのです。昭和30年代、力道山という希代
のレスラーが、次々と悪役のアメリカ人レスラーをなぎ倒し
たことに、溜飲を下げた日本人がたくさんいました。汚い反
則でさんざん暴れまくる醜いアメリカ人を、最後の最後まで
我慢し続け、あわや駄目かと思う一瞬、堪忍袋の緒を切って
繰り出す伝家の宝刀、空手チョップ。 敗戦の民、日本人は
彼の姿に熱狂し、勇気付けられました。彼の人気が、テレビ
の普及に大きく影響したほどでした。日本人はレスリングと
言う興行的スポーツの世界に、スポーツや興行の勝ち負け以
上の感情を含めていたのです。実のところ、あの堪忍袋の緒
を切るところに、忠臣蔵などに見られる美意識さえも見て、
ただし興行としての筋書きは見逃し、それに敗戦国の悲哀を
重ねていたのです。  現在の韓国人の、日本に対する感情は
それに良く似ていますが、もっともっと強力なものです。



  キリストの福音によって浄化されまた昇華された韓国の
教会は、宿敵日本に福音を伝えるという素晴らしい働きを始
めました。日本人を赦し、愛し、共にみ国に入ることが出来
るように、自分を犠牲にして働こうと、まさに尊い理念で日
本にやって来てくださいました。しかしその一方で、奇跡的
成長を遂げた韓国の教会と宣教師たち、素晴らしく祝福され
た韓国教会と宣教師たちは、いつまでたっても小さく弱い日
本の教会、神様からの祝福をいまだに受け損なっていると見
える日本の教会に対して、憐憫の情を持って働き、教え、導
くという、大きな満足を味わうことが出来たのです。韓国教
会と宣教師は、まさに福音宣教という面で、日本に対する長
年の鬱積した感情を克服することが出来たのです。韓国を訪
れた日本人クリスチャンが、思いも掛けないほどの歓待を受
けて、かつて自分たちの国が犯した罪を思い起こし、韓国人
の寛大さに感激するというような話がたくさんあります。そ
のような歓待をしてくださる韓国のクリスチャンたちに対し
ては、ただ感謝するのみですが、そのような歓待の中に「勝
利者の寛容」が読み取れるのです。そして勝利者は、自分た
ちのやり方を押し付けます。かつての日本が韓国において天
皇崇拝を押し付け、氏名を変えるように、つまり、自分たち
と同じ日本人にしてやろうと、「親切で寛容な強制」をした
のと同じです。私たちの身近にも、韓国式の礼拝会、韓国式
の祈祷会、韓国式の断食、韓国式の教会運営、韓国式の上下
関係を受け入れざるを得なかった教会がありました。すべて
の十字架を、赤い色に塗り変えさせられた教会もあったと聞
きます。 



  韓国の教会は、日本の宣教のために多くの犠牲を払って、
誠心誠意、尽くしてくださいました。しかし彼らは、日本に
おいて韓国と同じような教会の成長を見ることがないこと、
宣教の実が想定したほど多くないことに焦燥感を抱いていま
す。日本側からするならば、同じアジアの国からの宣教師は
大いに歓迎するところですが、やはり、日本の文化を理解せ
ず、「勝利の教会」の感覚で侵入してくる韓国キリスト教に
は、強い違和感を抱いてしまうのです。同じことは、最近日
本に対して強い働きかけをしているオーストラリアの教会に
も言えることです。日本人は、諸外国の人々には例を見ない
ほど、様々な理由で非常に強い同族意識、同一文化意識を持
っています。日本人として日本に留まっている限りあまり意
識しないことではありますが、ひとたび諸外国で暮らして見
ると、その特徴が非常に良くわかります。多くの国家では、
あらゆる手を尽くして国民の間に国家としてのアイデンティ
ティを植え付けようと、苦心惨憺しています。ところが日本
では散々自分たちの国家の悪口を言い、日の丸を飾ることに
反対し、君が代は国歌ではないと叫び、皇室は廃止せよと主
張していたとしても、国家が努力して、日本人としてのアイ
デンティティを持たせようなどとしなくても、日本人そのも
のなのです。このような日本に、日本的でないものが外から
侵入して来ると、それが日本人の生活によほど有益でない限
り、かなり強烈な反発を持って拒絶することになるのです。



  とは言え、どこの社会にも一風変わった人たち、ある種
の極端な趣向を持った人々がいるものです。極端に非日本人
的な考え方や生活様式などに触れると、かえって興味と憧れ
を感ずる少数の日本人たちがいます。アメリカ的な教会に非
常に魅力を感じる人々もあれば、韓国的なキリスト教表現に
信仰の醍醐味を感じる日本人もいるということです。あるい
は酒とタバコは絶対にやらないことに信仰の意義を感じる人
もあり、日曜日には仕事をしないことに誇りを持ち、自分の
信仰を賭ける人もいるということです。そのような人々を集
めるだけの強烈さを持っていれば、アメリカ的な教会も韓国
的な教会も、禁酒禁煙運動のキリスト教会も、ある程度の成
長は可能です。そして、事実そのようにして成長している教
会もあります。しかし日本人全体としては、むしろそのよう
な形のキリスト教とその教えに、心を閉ざしてしまうことに
なってしまいます。



  教会は普遍的なものです。土地や時代によって変わるも
のではありません。しかし教会が取る形態は常に変わるべき
ものです。教会はその周囲の環境により、またそれを構成す
る人々により、常にその存在の仕方、その生きている表現の
仕方を変えていくべきものです。アメリカ人的感覚を持って、
アメリカ人の文化と感覚に適応した形態を取る教会があって
しかるべきであり、韓国人の感覚と韓国の実情に応じた形態
を取る教会があって当然です。同じように、日本においては
日本人を対象とした形態を取る教会がなければならないので
す。日本の宣教の障害となって来た様々な要因のひとつは、
日本に入って来たアメリカを中心とする西欧的キリスト教が、
日本の文化や習慣と言うものに理解を示すことがなく、日本
的な教会の形態を取ることがなかったことです。



  今となっては、そのような日本的な形態を取ることに失
敗した教会に慣らされてしまった私たちが、改めて「日本的
な形態を」と考えるのが非常に困難になってしまいました。
西欧的な形態を取った日本の教会は、単に外形だけに止まら
ず、その精神や考え方まで、西欧化してしまい、日本の文化
を異教的なもの、偶像崇拝に関係するものとして拒絶し、排
斥し、敵視し、攻撃して来たのです。その結果、クリスチャ
ンになることは外国の文化習慣を受け入れること、「ある程
度」日本人であることを止める事にさえなって来たのです。



  普遍的教会はまた不変の教会です。しかしその存在形態
は、地域に応じて千差万別でなければなりません。教会が普
遍的存在形態を取ろうと考え、地域や時代を超えて不変の外
形を持とうと試みると、それはもう真実の教会のあり方から
外れているのです。普遍不変の性質は、真実の教会そのもの
の性質であり、教会の形態の性質ではないのです。真実の教
会は普遍的なものであるために、すべての地域教会は、あら
ゆる差別や排除を取り除かなければなりませんが、その一方
で、地域教会はある特定の表現や形式、あるいは様態を取ら
ないでは存在出来ないために、その地域、あるいはその構成
員に最もふさわしい形式や様態を取り入れ、結果として、選
択排除をして行かざるを得なくなります。ここに矛盾が起こ
ります。従って大切なことは、ひとつの地域教会が本来の普
遍的教会のすべての特性を持ち、それを効果的に表現して行
くことは不可能であると知り、互いに、自分たちとは異なっ
た形の表現をし、異なった様態を持ち、異なった活動をして
いる地域教会を認め合い、感謝し合い、受け入れ合うという
ことです。そのように、地域の諸教会が自分たちはひとつの
教会であると理解しあってこそ、普遍的教会の本当の姿に近
付くことが出来るのです。ですから、違った団体の教会、違
った教派の教会、違った神学の教会さえ必要なのです。同じ
団体、同じ教派、同じ神学の教会では、普遍的教会の地域的
表現として必要とされている、多様な形を取ることがないの
ですから、私たちは、同じではない教会の存在を大いに喜ぶ
べきなのです。

  そう言う意味では、非常にアメリカ的な教会やまるで韓
国的な教会が日本にあることの意義も、私たちは認めなけれ
ばなりません。すでに述べたように、日本人の中にも、その
ようなものを好む少数の人々がいて、彼らは、そのような教
会が無ければ救われないかも知れないからです。私たちは極
端派、過激派、あるいは奇異な様態の教会さえ、その必要性
を認めるべきです。しかし大切なのは、そのような極端で過
激、そして奇異な教会を中心としてはならない、多数派とし
てはならないということです。大多数の教会が、日本の文化
に馴染み、日本文化に適した形式を整え、日本文化に応じた
様態を整え、日本文化に受け入れられる活動をしている中で、
極端で過激なあるいは奇異な教会が周縁に存在しても良いし、
存在すべきなのです。いまの日本の教会の問題は、本来周縁
にあるべき教会が、大多数となり中心になっているというこ
となのです。


















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2010年11月11日

教会について 2−33

p213〜220



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C. 教会の伝道と文化



  伝道という面から論じて見ましょう。たとえば、アメリ
カ型キリスト教は個人に対する伝道を重く見ています。個人
の信仰、個人の決断を促すのが伝道であるかのように考えま
す。そして人間の社会的な面を軽視し、あるいはまったく無
視して伝道をしようと努力します。個人の信仰の決断や成長
の妨げとなる、家族親族など血縁共同体や、町内会や集落の
地縁共同体を無視したり敵視したりすることになります。仏
壇や神棚といった物も、あくまでも異教の礼拝に関わる準偶
像扱いしか出来ず、それらのものが果たしている重要な社会
的機能には気が付かず、それらを許している社会そのものを、
異教社会、偶像社会として、すなわちキリスト教に敵対する
ものとして、神が忌み嫌っておられるものとして観てしまい
ます。ですから、いくらかでも福音に興味を示した人間を、
その生きている社会から隔離して伝道しようとする傾向が出
て来ます。その社会の中に留め、その社会の中で生き、その
社会の中で証をさせるということが出来ないのです。クリス
チャンたちが迫害される社会から逃れて、クリスチャンたち
だけで村を作ろうなどという動きさえ、出て来たことがあり
ました。



  伝道集会などで、よく聞く欧米型の説教で、「信仰は個
人のものです。他の誰でもない。あなたの決心が大切なので
す。あなたがイエス様を救い主と信じ受け入れることです」
という言い方がありますが、まさに、欧米の教会の形です。
個人主義と民主主義が発達しているあちらの国では、個人の
考えや個人の決断が尊重されます。社会的にどのように弱く
小さな人物でも、自分に関わる事柄を自分で決定するのは、
ひとりの人間としての義務であり権利なのです。しかし、日
本や多くのアジア、アフリカ、ラテンアメリカ、あるいは東
欧諸国でも、ひとりの人物は必ず社会の中のひとりであり、
ひとりだけで生きているのではなく、互いに影響し合いなが
ら、よく言えば互いに助け合いながら生きているのです。で
すから、ひとりの人の決定や決心は必ず多くの人々に影響を
与え、また多くの人の影響の下に行われるのです。誰かがキ
リストを受け入れるということは、その当事者だけの問題で
はなく、家族全員、親族全員、地域共同体全員の事柄なので
す。このような事柄について、ひとりの個人が孤立した個人
として決定を下すことは、普通出来ないことであり、やって
はならないことです。それをすることが出来るのは、共同体
の中で強い立場を持っている者か、反対に誰にも相手にされ
ないほど存在価値の薄い者、もしくは自分を理解していない
愚かな者です。ですから、このような信仰の決心を促す形の、
伝道会と言うものの価値についても考えてみる必要がありま
す。決心を促すことは良いでしょう。しかし、どのように促
すかです。
  
  最近は日本においても、特に若者たちの間では、自分勝
手で無責任な個人主義がまかり通るようになっています。へ
そを出して街中を闊歩している女子中高生が、「自分の自由
でしょう? 何が悪いの?」と言います。いわゆる援助交際を
している娘たちが、「誰にも迷惑掛けてないもん。いいじゃ
ない?」と平気な顔をしています。アメリカ型キリスト教の
伝道は、このような無責任な個人主義がはびこる社会では、
うれしい事に、成果を上げることでしょう。しかし、父母を
考え、家族を考え、社会を考え、良識的な行動をする日本人
の間では、あまり受け入れられないことになるのです。社会
からはつまはじきにされ、行き所のなくなった人間、家庭か
らも地域共同体からも、どうでも良い奴と烙印を押されたよ
うな人間は、比較的容易に信仰の決心をすることが出来るで
しょう。しかし、家庭の中でも地域社会の中でもしっかりと
責任を果たし、尊敬されているような伝統的価値を重んじる
日本人が、アメリカ型のキリスト教を受け入れることは、こ
の上なく困難なのです。



ひとつの例を挙げてみましょう。数年前のことですが、
私たちの家庭聖書研究会にひとりの主婦が出席し始めまし
た。とても素直で飲み込みも早く、聖書の理解が進むと共に
信仰にも目覚めて来ました。私たちは、この日本の端の小都
市では、まだかなり保守的な意識と社会構造とが残っている
ことを考慮して、かなり慎重に、指導をし続けました。そう
して数ヶ月後、彼女の信仰の成長を見計らって、いわゆる
「罪の告白の祈り」を含めてはっきりと信仰の表明をしても
らいました。その時の彼女は喜びに輝いているようでした。
そしてそれが、私たちが彼女を見た最後の姿となりました。
二度とふたたび、彼女を見ることは無かったのです。



  どうしたのだろうと心配していると、数週間後、彼女か
らの手紙を受け取りました。その手紙によると、彼女は何日
間も思い悩み、散々苦しんだ挙句、とうとう「時が来るまで」
クリスチャン信仰を捨てる決心をしたというのです。彼女は、
私たちの地域では最も大きなバス会社の、重役の長男の嫁で
した。そして地方の名士であるその重役の義父と、同じ敷地
の別棟に住んでいました。しかも次男夫婦も同じ敷地に住ん
でいたのです。そして、近所にはまだ親戚たちが住んでいま
した。毎朝、姑と共に、神棚に榊を捧げ、仏壇にご飯と水を
供えていたのです。このような環境の中で、自分だけがクリ
スチャンになるということは、家族親族の和を乱す大きな問
題となり、正しいことではないと彼女は判断したのです。



  私たちは彼女の身分や立場、それから住んでいる環境を
考慮して、仏壇や神棚に対する考え方と、具体的にどのよう
に取り扱うべきか、あるいは家族親族、さらには義理の父が
重要な役割を締めている、地域社会のさまざまな宗教行事へ
のかかわり方について、彼女の質問に答えながら注意深く教
えて来ました。それはいわゆる異教社会への「対決姿勢」の
信仰、すなわち、神棚は壊せ、仏壇は焼けというようなやり
方ではなく、あるいは仏式の葬式には参列するなと言うので
もなく、異教社会の中でも周囲の人々と和をもって生きなが
ら、クリスチャン信仰をしっかりと守って行く方向を示した
ものです。



  しかし彼女は、かつて自分が知っていた「対決姿勢」の
クリスチャンたちの姿と、彼らが周囲の人々との間に起こし
てしまった数々の軋轢と混乱のことを、忘れることが出来な
かったのです。いわゆる個人主義の、自分さえ神の前に忠実
であれば、周囲のことはどのようになってもかまわないとい
う、ある意味で大変立派で、とても身勝手なキリスト教信仰
の、先入観から逃れ出ることが出来なかったのです。彼女は、
自分が苦しむことは受け入れられるけれど、お世話になって
いるやさしい夫やその両親、さらには実家の両親たちに迷惑
をかけること、そして自分の子供たちまで悲しませることに
なるという「想像」に、我慢がならなかったのです。彼らが
悪い人間であり、いつも彼らに苦しめられているという状況
だったならば、彼女は、自分のクリスチャン信仰を守り通す
ことが出来たでしょう。しかし、素敵な人たちだったがため
に、それが出来なかったのです。



  保守的な地方の地域社会において、与えられた共同体を
大切にし、堅実に歩もうとしている人が、その社会の中でク
リスチャンとなり、クリスチャンとして歩んで行くというこ
とは、普通、彼女が想像した通り容易なものではありません。
彼女の信仰が弱かったといえばそれまでですが、始めからそ
のような強い信仰を持って行動出来る人は数少ないことでし
ょう。私がこの土地に来て10数年になりますが、これに良
く似た事を四回経験しています。もうひとりは缶詰会社の若
社長の奥さんで、団地の中に夫婦で住んでいた時は何の妨げ
も無く一緒に聖書を学んでいたのですが、前社長夫婦である
夫の両親と同じ敷地に家を建ててからは、それが出来なくな
り、やがて、聖書の学び会にも顔を出せなくなってしまいま
した。もうひとりは土地の氏子代表を務める父を持つ青年で
した。ほかのひとりは和太鼓のグループの世話役をしている
女性でした。みな、地域社会で責任のある生き方をしている
人たちでした。現在私たちの教会に集うことが出来ている土
地の人、いわゆる転勤族ではない人たちの中に、地域社会で
責任ある生き方が出来ている者はひとりもいません。みな、
誰にも相手にしてもらえない種類の人々、どうなろうとかま
わないと思われている類の人たちです。このような地方で、
しっかりと土地に根を張った教会形成をするためには、まだ
まだ長い年月と努力が必要となることでしょう。



D. 教会の倫理と文化
 


  倫理道徳の面においても同様なことが言えます。ピュー
リタンの精神を継承しているアメリカの福音派の教会は、い
わゆる酒やギャンブルあるいは性的な不道徳などの、目に付
き易い表層的罪には非常に厳しく、これらを断罪し、自分た
ちの国がこれらの罪に陥っていることを嘆き、その傾向と戦
いますが、自分たちの社会機構や文化、あるいは習慣という
ものと戦う必要を感じないまま、むしろ、そのような環境に
教会を適応させようとしています。一昔前にはかなり激しく
責められていたロック音楽も、見事に教会に取り込まれてい
ます。肌が露わな服装で教会に来る女性も一般的になりつつ
あります。個人主義の社会ですから、親がどんなに経済的に
困窮し、兄弟たちが逼迫した生活をしていたとしても、「我
関せず」の信徒たちがたくさんいます。クリスチャン同士の
離婚や再婚も、今や珍しくもありません。自由な資本主義経
済で、どれほど贅沢に生活し、資源を無駄にし、開発途上国
の人々を搾取していたとしても、個人の権利です。教会はそ
の個人の権利を認めて何も言いません。かえって、金持ちが
自分たちの教会にいる事を誇らしく思っているように見えま
す。繁栄の福音などという「形の異なる偶像礼拝」が、堂々
と教会の中に入って来ます。自分たちの国の経済、自分たち
の贅沢が多くの貧しい国々の犠牲の上に成り立っているなど
と言うことに、福音派の教会が正当な関心を払っているよう
には思えません。



  このような教会がそのまま日本に侵入して来ているので
す。大方の人間が抱えるのと同じ弱さを抱えて、アメリカの
教会も、文化や習慣に根ざした自分たちの欠点や弱さや間違
いなどには、なかなか気付きません。そこで、何の反省も恐
れもなく、自分たちの習慣を福音と一緒に持ち込んで来るの
です。そしてその一方では、自分たちと異なる文化の倫理や
習慣に対しては非常に厳しく、その中に、敏感に「異教」の
匂いを嗅ぎ付け、これを攻撃します。つい百数十年前まで、
福音と関わりなく生きて来た日本人は、神道や仏教などの宗
教背景の中で、文化や習慣を培って来ました。ですから生活
のあらゆるところに「異教的」匂いがまとわり付き、ほとん
どの儀式儀礼に「偶像礼拝」の片鱗がこびり付いているのは、
当然のことなのです。輸入されたアメリカ型キリスト教はこ
のような匂いや片鱗を嫌悪して、激しく攻撃してきました。
しかしその一方では、日本人の勤勉さや道徳心の高さは賞賛
します。ところがこの日本人の勤勉さや道徳心が、非常に強
く宗教的感覚に繋がっていることには気が付きません。要す
るに、判断基準に一定性がないのです。



  このように自分の文化習慣には甘く、異教世界の文化習
慣には厳しいキリスト教が、日本人に受け入れられる筈はあ
りません。多くのアメリカからのキリスト教会は、あるいは
西欧諸国から来たキリスト教会のほとんども、同じように自
分たちの教会がまとった文化的適応を、文化背景がまったく
異なる日本に持ち込んで来たのです。この傾向は、「自分た
ちの神学は絶対」の信仰を持つ福音派の教会に、より強く現
われます。神学と教会の形態の区別が付かない人々が大多数
を占めているため、神学を擁護する熱心さを持って、自分た
ちの教会の形態を擁護するのです。自分たちの神学にかなり
懐疑的感覚を持っている自由神学の立場を取る教会の人々も、
無意識のうちに自分の文化に対してはかなり保守的であり、
文化的優越感を持っているものです。


  私たちは今、自分たちの受け入れてきた福音が純粋な聖
書の福音ではなく、「キリスト教文化」という名の福音であ
ることに、しっかりと気づかなければなりません。このキリ
スト教文化が、歴史の中でどのような役割を果たして来たか
についても、明確な理解を必要としています。もちろん、キ
リスト教文化が果たした積極的役割については、今さら取り
上げることもありませんが、消極的な、マイナスの役割、弊
害、害悪についても知っておかなければなりません。私たち
は西欧キリスト教、言い換えれば白人のキリスト教がどれほ
ど醜く、嘔吐をもよおすほどのものであったかを、すなおに
認めなければなりません。西欧の白人キリスト教が素晴らし
いものであると単純に思い込んで、それを日本に輸入しよう
としている限り、日本文化の中に安住している日本人に魅力
的な福音を提示することは不可能でしょう。


  カトリックが支配した暗黒の中世の出来事ならば、私た
ちプロテスタントとしては、教会が犯した倫理的間違いを、
積極的に認めるのにやぶさかではありません。宗教裁判も魔
女狩りも十字軍も、近代に至っては、ポルトガルやスペイン
による植民地政策と一体になった宣教も、カトリックが犯し
た間違いであったと言い切ることが出来ます。つい最近まで
あった、カトリック国フランスによるベトナムやカンボジア、
あるいは多くのアフリカ諸国の植民地化を、悪であったと糾
弾することが出来ます。しかしプロテスタント諸国が、それ
ぞれの国の教会の積極的同意と参加を背景に行った植民地政
策については、何と言うことが出来るでしょうか。イギリス
は東インド会社を設立して、多くの宣教師たちの積極的ある
いは消極的協力のもとに、多くのアジアの人々を抑圧搾取し
ました。  中国に対しては、こともあろうに麻薬を売るた
めにアヘン戦争を起こしてまで、これを支配しました。現在
のスリランカ、ミャンマー、マレーシア、シンガポールなど
でも、抑圧と搾取を繰り返しました。アフリカ諸国の多くが
植民地として貧しさの中に放っておかれました。中東諸国は
イギリスが中心になって進めた勝手な線引きによる国境のた
めに、現在でも紛争が絶えません。南米にさえその醜い足跡
が残されています。私たちの教団の直系の先祖であるイギリ
ス国教会、すなわち聖公会が支配したイギリス、あるいは神
学的に大きな遺産を引き継いだ、長老派教会が力を持ってい
たイギリスが行ったことです。


  オランダは最も残虐な侵略者でした。おそらく多くの西
欧白人キリスト教国家が行った植民地政策の中で、オランダ
のインドネシア統治だけが、宗主国に利益をもたらしたもの
でしょう。それだけに、インドネシアにおけるオランダの残
虐さはあまりにもひどいものでした。このオランダの残虐さ
は、つい最近まで南アフリカでアパルトヘイト政策という過
酷な人種差別として残っていました。改革派の国家、プロテ
スタントの華であるオランダが、有色人種に対してやったこ
とです。ドイツは白人国家によるアフリカの植民地化のため
に、白人国家同士の取り決めをまとめるなど、重大な役割を
果たしていますが、ビスマルクが植民地政策に積極的に乗り
出さなかったために、結果的に汽車に乗り遅れてしまいまし
た。しかし、この国のプロテスタント教会は、わずかの抵抗
を見せただけでカギ十字の印の下に降って、世界史に残る残
虐行為を続けました。



  私たち、多くの日本のキリスト教会の母親格のアメリカ
の教会はどうでしょう。自分たちも迫害を逃れて新天地を求
めて移住してきた人間なのに、白人たちは、先住民であるア
メリカ・インディアンを、ほとんど人間と認めませんでした。
アメリカ・インディアンたちは蹂躙され搾取され騙され追い
詰められ、とうとういまや絶滅に近い状態に陥れられていま
す。プロテスタントの見本国家であり、近代宣教の花形であ
るアメリカは、黒人たちに対してどのような態度を取ったで
しょうか。奴隷にし、売買し、所有者の意向によって性関係
を強要され(種付けされ)、生まれてきた子は親から引き裂
かれて売られて行きました。性的不道徳に対して非常に厳し
かった、また人権に対しても厳しかったプロテスタントの信
徒たちが、アメリカ・インディアンや黒人に対してはそのよ
うなことを当然のこととして行っていたのです。早くから人
権宣言を高々と謳い上げたアメリカですが、それはあくまで
も白人たちの間で互いに認め合う人権であって、アメリカ・
インディアンや黒人たちには適用されなかったのです。彼ら
は人間ではなかったのです。



  アメリカは、パナマ、メキシコ、ハワイその他に対して
欺瞞に満ちた政策と残虐行為を繰り返しました。フィリピン
で行った数々の殺戮行為について知る人はあまり多くありま
せんが、それは酷いものだったのです。彼らもまた、人間で
はなかったのです。もちろんそのような時代にあっても、キ
リストの福音を正しく理解し、有色人種を人間として認め、
彼らのために命を賭けて働いた宣教師は数多くいます。しか
し、アメリカの文化一般として述べるならば、有色人種を人
間と認めて来なかったと言われてもしょうがないところがあ
るのです。そして私たちの日本は、間違いなく有色人の国家
なのです。多くの白人たちの間には、現在においてすら、有
色人種に対する優越感が強く残っています。



  ですから、日本人の大部分が、いわゆる白人のキリスト
教はなんとなくおかしいと感じていても、不思議ではありま
せん。難破したスペイン人の船乗りから、スペインはまず宣
教師を送り、彼らを用いて植民地化を進めるのだと聞いた日
本が、直ちに鎖国政策を敷いたのは決して誤りではなかった
と言えるのです。白人キリスト教文化は、こと有色人種に対
しては、残虐な非人道的文化そのものだったのです。白人キ
リスト教国家は、自分たちが世界中のほとんどを植民地化し、
さんざん搾取と殺戮行為を繰り返した後になって、やっと、
今後植民地化は行わないと、「勝手に」互いの間で取り決め
たのです。そのために、鎖国を経て近代化に遅れを取ってい
た日本が、西欧列強を真似て富国強兵を唱え、また白人キリ
スト教国家からのアジア諸国の開放を謳い、遅ればせながら
植民地政策に活路を見出そうとして満州を侵略すると、彼ら
はこぞって日本に対して厳しい封じ込めを行い、ついに、日
本が太平洋戦争に突入しなければならないところまで追い立
てたのです。  歴史は、何から何まで100%日本が悪いとい
う、戦後の左寄りのクリスチャンたちが述べ立てるようなも
のとは違い、日本が開戦に踏み切ったには、それなりの、当
時としてはかなり正当な理由があったと言えるのです。人間
の戦争に、100%の善も100%の悪もありません。


  今、日本のクリスチャンたちが、民主主義のアメリカを
始めとする連合軍が善であり、軍国主義の日本が悪だったと
いうような単純な捕らえ方をして、日本もアメリカのような
民主主義国にならなければならないと主張していたのでは、
日本の宣教は困難でしょう。むしろ、白人国家は、キリスト
の福音、聖書の教えをもってしても、なおあの程度の非聖書
的倫理観しか持つことが出来なかったのであり、日本は、キ
リストの福音も聖書もないまま、少なくても、彼らと同等か
それ以上の倫理観を持つに至ったのです。ですから、一般の
日本人は、聖書もキリストも知らなかった日本のほうが、キ
リスト教を振り回す西欧の白人諸国より、より高い倫理を持
って国家を運営してきたと感じ、どうして我々にキリスト教
が必要かと言うのです。



  もちろん、日本が犯した戦争に絡んだ犯罪に言い訳の余
地はありませんし、しようとも思いません。日本軍が近隣諸
国で行った残虐行為に対しては、たとえその規模や厳密な内
容については疑問の余地はあったとしても、素直にこれを認
め、日本人としてそれを恥じて、二度と同じ過ちを繰り返さ
ないようにという思いを強くするのにも、異存はありません。
私がフィリピンの山岳奥地で宣教師として働いたのは、ひと
りの日本人として、日本が戦争で犯した犯罪の償いをしたい
という意味もあったからです。しかし、世界的に見るならば、
そのような残虐行為はどこの国家、どの民族にもあったこと
です。日本が犯した犯罪は、キリスト教国といわれる白人国
家や民族が互いに犯し合った犯罪、アジア、アフリカ、ラテ
ンアメリカ、そして北アメリカで犯し続けた犯罪に比べて、
決して極悪非道のものではないということです。日本は、白
人キリスト教国家のように、有色民族の国家を抑圧し搾取し、
根絶やしにするようなことは考えもしませんでした。かえっ
て、朝鮮の人々にも台湾の人々にも、占領した後には日本人
として教育し、日本人として受け入れ、自分たちと同じ日本
人にしようとしたのです。もちろんそれは朝鮮や台湾の人々
には、まったくもって迷惑であり屈辱的ではあったとしても、
また、一般日本人による差別や迫害はたくさんあったとして
も、国家としての日本は、彼らを自分たちと同化しようとし
たのです。ただしそのようなやり方が受け入れられず、失敗
すると、共同体社会感覚の「うち」「そと」で物事を判断す
る習慣の日本人は、自分たちの考え方が理解できない外国の
人々を「やつらは人間ではない」と決めつけ、残虐に殺して
行ったのです。



  問題は、そのような事実にも拘わらず、西欧の宣教師た
ちが、自分たちのキリスト教文化を優越なものと考え、その
倫理を高尚なものと決め付け、劣悪な日本の文化を彼らのキ
リスト教文化に変革し、異教の倫理を、自分たちの崇高なキ
リスト教倫理に取り替えなければならないと、まじめに考え
ていることです。そればかりか、さらに、多くの日本人クリ
スチャンまでがそのようなキリスト教文化に害され、彼らと
一緒になって日本文化を恥じて、これを西欧キリスト教文化
に取り替えようとしていることです。現在でも、大多数の日
本人はアメリカを好きだといいます。しかしながら、その独
善性、偽善の倫理には辟易しています。日本人はベトナム戦
争にも湾岸戦争にも、パレスチナ紛争にもイラク戦争にも、
彼らのキリスト教文化倫理の欺瞞を見ているのです。そして、
そのキリスト教文化が侵入して来ることに非常に強い警戒心
を抱くのです。歴史を見る限り、その警戒心は正しいものと
言わねばなりません。キリストの福音がキリスト教という文
化と混じって入ってくると、福音そのものにたどり着く前に、
文化として拒絶されてしまいます。福音がキリスト教文化と
いう衣を着てくると、人々は福音という中身を見ないまま、
まず外側の衣を見て、内側の福音もろとも拒絶してしまうの
です。



  教会の倫理は、本来聖書によって基盤をすえられ、聖書
によって肉付けされたものでなければなりません。聖書の説
く基本的倫理をその土地の実情、文化や経済などに適応させ
て出来たものでなければなりません。真の意味でアブラハム
の子孫であるクリスチャンが、すべての民族の祝福の基とな
るべきであり、クリスチャンはたとえ敵対する民族であって
も、神の愛を受け、救いに入るべき民族としてこれを見て、
愛して行かなければならないのです。そこには決して、植民
地化や搾取、略奪や殺害を正当化する倫理は生まれてこない
のです。しかし、残念ながら、歴史上そのような聖書的倫理
を持った教会というものは、ほとんど存在しなかったようで
す。むしろ、自分たちの文化である民族的優越感や、領土拡
張主義に都合よく聖書を歪曲した倫理観が、教会の中に持ち
込まれていたのです。私たちの日本の教会が、日本の文化を
まず認容し、それを都合よく受け入れるような倫理観を発展
するようになると、西欧の白人キリスト教会と同じ穴に陥る
ことになります。










posted by MS at 00:00| Comment(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月10日

教会について 2−32

p206〜213

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XI.教会と付随物

    (このページでは、原文に挿入されていた
     図解を入れることが出来ないために、
     少しわかりにくいところがあります)



  神の御心の中にある教会、普遍的な見えない教会が、この
世において地域教会、あるいは見える形の有機的教会として姿
を現す時、様々な方法で自己を表現し、色々な形態や様式を採
ります。教会が歴史の中でずっと陥ってきた重大な過ちのひと
つは、教会が採ったこれらの様々な自己表現、あるいは形態や
様式というものを、教会そのものと誤解したことです。



 カトリック教会は、自分たちの歴史の中で構築された政治形
態や官僚機構というものを、教会そのものと看做して来ました。
あるいは礼拝の形式や秘蹟などを、教会そのものと混同して来
ました。これはほとんどのプロテスタント教会でも同じでした。
カトリック教会に反旗を翻し、教会に改革を持ち込んだ人たち
も、自分たちの教会組織が出来上がるとそれを定着させ、固定
化し、その形が教会そのものであると見做すようになって行き
ました。それが教会の形骸化を招き、新しい土地の文化や生活
様式に馴染まず、宣教に困難をもたらす結果となったり、時代
に取り残され、人々から省みられなくなったりする問題となっ
て、表面化しています。



A.教会と教会の自己表現



  現在私たちが、自分たちの置かれている場所と環境で教会
を建てようとする時、慎重に注意深く実行しなければならない
のは、教会そのものと、教会に密着して付随しているこれらの
自己表現、あるいは形式や様態というものを、しっかりと見分
けて決して混同しないことです。



  図を挿入できないので、頭の中に図を描いてみてください。
まず、太い線でCDディスクのような円を、思い浮かべてくださ
い。その円を、教会そのものと想定しましょう。つまり、神の
御心にある理想的教会、普遍的教会、見えない教会です。



  その円の内側に、細い線で描かれた同心円をいくつか想像
してみてください。それらの同心円は、今まで論じて来た教会
の姿を示しています。まず、中心の一番小さな円、真ん中の円
は、より基本的なもので教会の本質を示しています。それは人
です。人ではなく、ひとびとです。しかも単なる人間の集まり
聖霊がその集団の中に宿り、また、一人ひとりの中にも宿って
くださっている集団です。この聖霊が、人々の集団を単なる人
為的な、組織的な集まりではなく、いのちによってつなぎ合わ
され結び合わされている、有機的な集団にしています。この中
いるすべての人は、同じ命を共有し、このいのちに生かされて
いるのです。


  ここにいる人々は、この世から召し出され、神の国に召し
入れられた人々です。その人々が聖霊の内住を得て、神の国の
民の共同体である、教会を形成しているのです。教会とは人間
でありその他の何ものでもありません。ただし、この人間の共
同体には聖霊がお宿りになっている、神秘的な共同体であり、
この聖霊の内住によって、キリストの命が共同体のすべての構
成員に行き渡ることにより、互いが密接に繋がり、ひとつにな
るという有機的共同体です。それはまた、やがて現される完全
な神の国をこの世において予め現し示す、神の国の共同体です。




  その外側の円は、このキリストのみ体である教会の特質、
あるいは使命を示しています。この教会の使命は、キリストが
この世に遣わされたと同じように遣わされていることにありま
す。キリストがこの世に使わされた理由、あるいは目的はただ
一つです。贖いのみ業を成し遂げ、すべての人々に救いを提供
することです。同じように教会も、そのキリストによって完成
された救いみ業を、実効のあるものとして人々に告げ知らせる
使命を与えられています。これが教会の唯一の使命です。教会
はキリ権威を与えられた上、キストの代理としてこの世に遣わ
されているのです。



  さらにその外側の円は、宣教を使命として生きる教会の、
様々な働きを意味しています。それらの働きは、色々な区分で
整理が可能ですが、神に対する上に向けての働きである礼拝と、
教会自身に対する内に向けての働きである交わりと、この世に
対する外に向けての働きである伝道に分けられます。また、礼
拝(W)、教え(I)、交わり(F)、伝道(E)と分けて理解し、
wifeと覚えるのも覚えやすいでしょう。



  その上を取り巻いている円は、これらの働きを遂行するた
め教会に与えられている装備、聖霊の賜物を意味しています。
この聖霊の賜物が与えられていない地域教会はありませんし、
賜物を任せられていない個人もありません。教会はこの賜物を
用いて、与えられた使命を遂行するのです。


  それからその外側の円は、それらの賜物をより効果的に、
また力強く用いて行くために与えられている力、エネルギーを
示しています。その力、エネルギーとは聖霊の力です。教会は
自分に与えられた使命を人間的な能力によって推し進めるので
はなく、聖霊の力によって成し遂げていくのです。その聖霊の
力は、聖霊のバプテスマという圧倒的な神との交わりの結果と
して、最も顕著に現されます。


 
  うまいぐあいに、頭の中にこのCDディスクのような円を描
出来たでしょうか。この円で示したものが教会です。
なのです。
 

  それから、この円の外側を取り囲む、もう一つの円、と言
うより「輪」を思い浮かべてください。缶詰のパイナップルを
想像してくださるとよいでしょう。これが最初のCDディスクを
包んでいるのです。この輪は、最初の円を包んでいますが、円
とは別のもので、円と繋がってはいません。これは、教会に付
随している教会の自己表現の姿、組織や形態や様式、システム
といったものを表しています。教会は、この組織形態、様式、
システムを持たないではこの世に存在することは出来ないので
す。


  この輪を、放射線状の線で、たくさんの小部屋に区切って
みてくださいです。パイナップルの繊維にしたがって切るよう
な感じです。それらひとつひとつの小部屋は、礼拝会の形式、
教会堂という建物、日曜学校、聖書学校、聖書研究会、青年部、
婦人部、壮年部、などの信徒の部、あるいは、教会の政治の形
態、教職者の制度、聖歌隊や、伝道部、奉仕部、さらには聖歌
隊などなどで、ふつう教会と考えられている多くのものが入っ
ています。



  これらは教会として見られ、教会であるかのように考えら
れていますが、教会ではありません。あくまでも、教会に付随
しているもです。それでいながら、教会は、このようなものを
通さないでは自己を表現することが出来ませんし、使命を遂行
することも、働きを完遂することも出来ません。ですから教会
は、常に、このような外面的形態である組織やシステム、ある
いは制度というものを付随させているのです。そしてこれらが
本当の教会を包み込んでいるために、外部からは本当の教会が
なかなか見えません。それで、誰もがそのような付随物を教会
だと思い込んでしますのです。



  でもそれは、あくまでも教会に付随するもの、言わばある
種のパラチャーチであって、教会そのものではないのです。と
ころが、一般には外側の形態が教会だと思われている以上、こ
れらを通しての「正式な」活動のみが教会の活動であると思い
込まれ、もっと基本的で本来的な、ひとりひとりのクリスチャ
ンの、組織に捕らわれない自由な活動が、まったくないがしろ
にされてきたきらいがあります。



  これらのふたつを比較してみると、より明確に違いが判り
ます。


(内側の円・本当の教会)               
1. 神によって造られた(神為的)                 
2. 聖書的(聖書に立脚)
3. 普遍的(場所を超越)          
4. 不変的(時代を超越)          
5. 宣教のための神のエイジェント     
6. 聖書に合致しているかどうか        
7. 本質的(なくてはならない)      
8. 神の啓示による             
9. 神の栄光のため


(外側の円・教会に付属する形態)
1. 人間によって作られた(人為的)
2. 社会的(社会に適応)
3. 地域的(地域の文化に拘束される)
4. 常変的(時代の文化に拘束される)
5. 宣教のための人間の組織と方策
6. 会の働きを機能させているかどうか
7. 付随的(無益ならばなくても良い
8. 人間の判断による
9. 教会に仕えるため 



  内側のCDディスクのような円は、聖書によって定められた
神のみ心としての教会の、あるべき姿であり、社会状況、文化
背景、時代の流れ、経済的事情などによって人為的に変えられ
てはならないものです。一方、外側を取り囲んでいる半円は、
あくまでも教会の働きをより良くするための人為的手段であり、
社会状況、文化背景、時代の流れ、あるいは経済的事情によっ
て、変えられて行くべきものです。内側の円は、効果的である
かどうか、人が集まるか集まらないか、献金額が多いか少ない
かによって、変えられてはならないものですが。それに対して
外側の円は、その目的に対する効率性によって、常に変えられ
て行かなければならないもので
す。



  ところが組織や形態というものは、常に変えられて行かな
ければならないものでありながら、一度作り上げられてしまう
とたちまち固定化し、その設立目的や必要性とは関わりなく独
り歩きを始め、ただそれ自体の存続、自己の存続のために存続
し続けるという、「化け物」になってしまう危険性があります。
伝統とか習慣などというものが、本来の領域を超えて重要視さ
れ、小さな改善でさえ大改革と受け取られ、本当の改革は破壊
的行為として敵視されるようになってしまいます。その一方、
設立当時の本来の目的はないがしろにされ、窒息死させられる
ようになるのです。キリストの時代にも、神のみ言葉が人の伝
統のゆえに疎んじられ、ないがしろにされていましたが、(マ
タイ15:1 −11)現代もまったく同様です。



B.教会の外的形態と文化 



  教会の外面的形態というものが、教会それ自体より重要視
されて来たことによって、教会は大きな痛手を被り、宣教は暗
礁に乗り上げて来 ました。次の図を頭に思い浮かべてもらい
ながら、話を進めましょう。



  まず左側に、直径3cmほどの円を描いて頭に入れておい
てください。これは聖書に教えられている普遍的教会を示して
います。次に、その右側に一辺が5cmほどの四角を想定して
ください。これははアメリカの文化を表しています。そしてさ
らにその右側に、高さが5cmくらいの三角を想像してくださ
い。これは日本の文化を表現しています。右側の円をその左の
四角の中に入れてみてください。円は変わりなく円のままです。
普遍的教会がアメリカという文化に入り込んでも、普遍的教会
の形は変わりません。普遍的で、不変だからです。その円をさ
らに右側の三角に入れても円のままです。普遍的教会は、日本
の文化に入り込んでもまったく同じであることを表しています。
教会そのものは文化を超えた存在、超文化的存在なのです。




  ところが教会がアメリカに入った場合、アメリカの文化に
合わせた自己表現をし、アメリカに合った組織、形態、政治、
システム、活動、手段、音楽、あるいは建物などを持つように
なるのです。それらは教会に付随するするものであり、なくて
はならないものですが、教会そのものではなく、あくまでも教
会の自己表現に過ぎません。その四角いアメリカ文化のアメリ
カ的な自己表現を、四角の中におさまった円を取り巻く、かな
り四角くなった円で表しましょう。そしてそれを斜線で埋めて
ください。その斜線の部分が、ふつういわれる、アメリカの教
会です。丸い本当の教会のアメリカ的な表現です。



  一方、三角で表現された日本文化に入った丸い教会は、三
角の文化に適応して、角の取れた円に近い三角の自己表現をし
ます。これは教会の本来のあるべき姿です。教会が入って行っ
たそれぞれの土地で、何にも妨げられず自己表現をするとこの
ようになるのです。



  ところが、実際に起こっていることはこれに程遠いものと
言わねばなりません。




  これは実際に起こっている現象を説明しましょう。アメリ
カから来た宣教師たちも、アメリカで教育を受けた日本人教職
者たちも、四角いアメリカ文化の中で自己表現をし、アメリカ
の状況に適応した、かなり四角に近い形になった教会のあり方、
組織、システム、活動などの外的形態を、教会そのものと信じ
て疑うことなく、そのまま三角形文化の日本に輸入してしまっ
たのです。アメリカをヨーロッパに置き換えても、同じことで
す。



  頭に三角を描き、その中にの中にうまく四角をおさめてみ
てください。どんなに頑張ってもうまく行きません。無理なの
です。三角の日本文化、日本の状況の中に、アメリカ文化に合
わせて形成された、四角に近い教会の形態を持ち込もうとして
も、不可能なのです。ところがその不可能なことを、長い間遣
り通そうとして来たのが、日本でのキリスト教伝道なのです。



  この間違いは今日、さらに大がかりに進められています。
数少ない日本人クリスチャンが、日頃小さな教会で経済的にも
厳しく、まともな活動さえままならないでいる中、アメリカな
どの教会を訪れては、その立派さ、その華やかさ、その活発さ
に感動して帰って来ます。その素晴らしいアメリカの教会のよ
うになりたいと願って、真似を始めるのです。その結果、日本
の教会はますますアメリカの教会に似るようになり、そしてそ
のアメリカの教会に似た外的形態のために、日本に適応出来な
いものとなり、まともな成長をすることが出来ないまま、いた
ずらに年月を重ねて行くことになります。それで、何とか教会
を成長させようと画策するあまり、絶対に変えてはならない本
来の教会の姿を変えて、現代日本の文化に迎合してもらおうと
いう動きさえあります。 その場合でさえ、外面的形態に対して
はあくまでも保守的で、かたくなに形骸化した西欧的形態を守
り通そうとしているのです。あるいはアメリカ型の表現形式を
取った「教会」が、日本に馴染み易くなるようにと、三角の日
本文化を四角のアメリカ文化に変えようとする人々さえ、現れ
て来ました。  



  しかし本来の教会そのものを、日本文化に適応させようと
いう試みは、教会を教会ではないものに変えてしまう危険性を
孕み、日本文化を、他の文化の中で形成された教会の表現に合
うように変えようとする試みは、文化の衝突を起こし、多くの
場合、教会の使命である福音宣教の妨げになってしまいます。
個人主義を基本とするアメリカ型キリスト教の信徒になるため
には、日本人も、ある程度共同体社会の日本文化を捨て、アメ
リカ的個人主義を受け入れ、それにあった生活習慣を身に着け
なければならないのです。



  たとえば、日曜日に学校行事を行うことは、日曜学校を妨
げるもので、信教の自由に反するなどと主張して、訴訟を起こ
した牧師がおりましたが、そのような行為自体が、大多数の一
般的な日本人には、教会が日本社会に馴染もうとせず、かえっ
て敵対している証拠として、受け取られてしまうということで
す。日曜学校が教会にとって絶対になくてはならないものであ
り、どのような文化においても、必ず日曜日の朝に行わなけれ
ばならないものであると、「聖書によって」明確ならば、その
死守のために命を賭けましょう。しかし日曜学校は、たとえど
れほど教会に貢献した時代があったとしても、たかだか200
年ほど前にイギリスで始まった教会の表現、教会の付随物のひ
とつに過ぎず、真ん中の円の部分に関わるものではなく、外側
の、パイナップルの形にあたる部分の事柄です。教会が進出し
て行く社会の中で、状況に応じて柔軟に変えられて行くべきも
のなのです。今も私たちに必要なのはニーバーが祈った時と同
様に、何が変えられるべきものであり、何が変えられてはなら
ないものであるかを、見分ける能力であり、変えられなければ
ならないものは大胆に変え、変えられてはならないものは絶対
に変えない勇気です。



  私たちはCDディスクのような円で表された概念をしっかり
と理解し、その外側を覆っているパイナップル状の付随物と、
峻別するところから始めなければなりません。このことが明確
にされていないと、変えてはならないものを変え、変えなけれ
ばならないものにいつまでも固執することになってしまいます。
実際問題として、四角い形状を三角の中に無理やりに押し込も
うとするようなことが実に多くの分野で起こっているのです。
私たちの分析能力を増すために、もう少し、具体的な例を挙げ
て考えて見ましょう。



  いわゆるキリスト教国、あるいはキリスト教的感覚の濃厚
な土地で発展してきたキリスト教が、異教の背景を持つ文化に
対面する時は、普通、非常に強い批判的態度あるいは断罪的態
度を取ります。特に、厳格な保守的キリスト教精神を建国の理
念として来たアメリカの保守系のキリスト教は、自分たちの理
念、価値観、信念などを非常に大切にし、それを普遍的なもの
と考えてしまいがちです。ですから彼らは自分たちの信念や価
値観を、自信を持ってすべての国に輸出しそこで定着させよう
とします。彼らの信念や価値観を受け入れない文化を、彼らは
罪深い文化と断罪し、これを何とか破壊し、自分たちの価値観
を植えつけようと努力します。これがいわゆる「嫌われるアメ
リカ人」の主な理由です。



  ましてや、キリスト教会の中での事柄になると、アメリカ
を始めとする西欧諸国の教会は、ほとんど何の疑いもなく「自
国にある自分たちの教会」が本来の教会のあるべき姿であると
いう前提で、その教会のクローンを宣教国に建て上げようと努
力します。たとえば、私たち日本の教会も、以前から、婦人会、
壮年会、青年会などという「区分」を教会の中に作り、それな
りの活動をして来ました。しかしこれらは、西欧化の進んだ現
在の日本ならば、ある程度の存在価値もあるとは思いますが、
40年、50年前の日本の文化の中で、どれほどの効果があっ
たでしょうか。家族と言う絆を非常に大切にしていた日本の社
会構造の中で、その家族の絆を強めるのでも利用するのでもな
く、むしろその絆を断ち切り、家族と言うものを崩壊させる方
向にある、年代と性別による区別は、教会にあまり良い影響を
与えなかったのではないでしょうか。むしろ、家族を結束させ、
親族の絆を強めるような指導と組織作りが必要だったのではな
いでしょうか。



  日曜日が休日となり切っていなかった頃から、私たちは日
曜日の礼拝会を「神聖なもの」として大切にするように指導さ
れて来ました。日曜日は新約時代の安息日であるというむちゃ
くちゃな神学を、「聖書的」な教えであると教えられて、忠実
なクリスチャンになるためには、何が何でも日曜日の礼拝会に
出席しなければならないと、同僚と争い、上司に逆らい、職場
を換えてまで日曜日を確保して来たものです。キリスト教文化
が長い間定着していた国々では、日曜日休日が常識となってお
り、日曜日の礼拝会に出席することは比較的に容易でした。日
曜日に礼拝会に出席することは反社会的行為とはならず、存在
する秩序の破壊にも繋がらず、かえって善良な市民としての特
徴ですらあったのですが、日本では、多くの人々が日曜日でも
働いており、社会全体が日曜日にも活動する前提で仕組まれて
いて、それに反する行動を取るということは、反社会的行為、
存在する秩序を乱す行為と理解されたのです。何事においても
「和」を最も大切にする日本人にとって、そのようなことを教
えるキリスト教は、反社会的宗教となってしまったのです。一
般的日本人のキリスト教に対するイメージは、現在でも、「個
人の信念としては、尊敬に値するほど立派だけれど、そのよう
な人が自分の回りにいてくれると、「和」が保てなくなって迷
惑する」と言うものであり、反社会的宗教と受け取られている
のです。聖書が本当に、日曜日を旧約時代の安息日に代わる神
聖なものとして教えており、日曜日にもたれる礼拝会を、すべ
ての神を敬う人間が必ず出席しなければならないものと教えて
いるならば、話は別です。それならば、何が何でも日曜日の礼
拝会を守らなければなりません。私たちは聖書に忠実に従おう
とするクリスチャンです。



  この日曜日神聖論が子どもたちへの活動にまで延長されて、
先にも述べた日曜学校の神聖化に及んでいます。子供が大切で
あり、子どもの頃から神さまを礼拝する態度を付けさせること
に異論はありませんし、それについては、聖書からも正当に論
じることが出来るでしょう。しかし、子どもの信仰教育を日曜
日に行わなければならないという主張は、聖書を正しく学ぼう
とする限り出て来ません。また、日曜学校の発端を学ぶならば、
もっと柔軟なあり方さえ考えられます。日曜日に学校行事が行
われる日本では、日曜学校のあり方をもっと多角的に考えるべ
きでした。教会学校として、日曜日以外の活動を考えるのもひ
とつの方法であったはずです。教会学校の場所についても、教
会堂が手狭で不便な日本では、もっと他の方法が取られるべき
だったはずです。ところが、多くの場合、宣教師は自分が育っ
た環境を理想としてそのコピーを作り出そうとしますし、日本
のクリスチャンたちは、欧米の教会のパラチャーチ的な外枠を
教会と考え違いをしてしまって、盛んにそれを模倣しようと努
力して来たのです。幸か不幸か、最近の日本の社会情勢では、
旧来の日曜学校では頭打ちになって来ていますので、多くの教
会が輸入された子どもの教育方法に捕らわれず、何とか改革を
持ち込もうとしていますので、少なくても、子どもの教育と言
う側面では、外側の形が教会なのではないということについて、
理解され始めているとも言えるでしょう。これが大人の日曜日
についても考えを促すことになれば良いと願うものです。



  教会は、金曜日を休日としている文化に入っては、金曜日
に礼拝会をしてはならないのでしょうか。太陽暦ではなく、太
陰暦で生活している零細漁業の村落で伝道をする場合、太陰暦
に沿った教会活動はないものでしょうか。日、月、火、という
曜日には関係なく、彼らは満月の時期には休み、新月の頃は働
くのです。村全体がそのようになっているのです。


  ここで、四角いアメリカ文化に適応した四角に近い教会形
態を持ち込んでも、それなりにうまく言っている国や文化があ
ることにも触れておくべきだと思います。四角に近い教会の形
態が教会と誤解されたまま持ち込まれたとしても、それを受け
入れた国や地域の文化が、それほど強固なものでなかった場合、
人々がその文化にあまり強い執着、誇り、あるいはアイデンテ
ィフィケーションを持っていなかった場合は、それが星型だろ
うが、ひょうたん型だろうが、文化としてまだまだ固定化して
おらず、弾力性、柔軟性があるために、四角だろうがなんだろ
うが、受け入れることが出来るのです。多くの発展途上国が、
そのような状況であったと言うことができます。彼らはアメリ
カに代表される西欧文化を、喜んで迎え入れ、取り入れたので
す。


  しかぢ、自分たちの生活、習慣、宗教など、いわゆる文化
に誇りを持っている人々の間では、伝道がなかなか進まなかっ
た背景には、そういう理由もあるのです。









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2010年11月09日

教会について 2−31

p200〜206


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B.聖霊のバプテスマ 



  しかし、いま私たちが注目しているのは、教会に力を与え
る聖霊のお働きです。聖霊は、教会が宣教の使命を果たして行
けるために、賜物を付与してくださいました。それだけではな
く、その賜物を充分に使いこなすために、必要な力をも与えて
くださるのです。聖霊の人格(personality)と働きに注意を
向けるようになったのは、メソジスト運動とそのリバイバルで
あったとも言えるホーリネス運動の功績ですが、ペンテコステ
運動の初期の指導者たちは、ホーリネス運動の人々が理解した
「清めの体験としての聖霊のバプテスマ」を、「宣教の力のた
めの聖霊のバプテスマ」と理解し直し、独創的な神学を構築し
たケズイックの流れを引き継ぎました。そしてこれが、その後
のペンテコステ教会の一貫した神学となって来たのです。その
聖書的根拠となったのは、ルカの福音書24章:47〜49節
と使徒の働き1章8節です。



  「・・・罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから
始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、
これらのことの証人です。さあ、わたしは、私の父の約束して
くださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと
高きところから力を着せられるまでは、都に留まっていなさい」
(ルカ24:47〜49)



  「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなた
がたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤ
の全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」(使
徒1:8)
 


  医者ルカが記録した、キリストのふたつの言及によると、
確かに聖霊のバプテスマは、キリストの証人となるための力を
与えるものである事は明白です。キリストは、弟子たちがこの
力を持たないまま、証人として全世界に出て行く事をお望みに
なりませんでした。それだけ、この力は弟子たちの宣教に不可
欠であったと言えます。この聖霊からの力は、明らかにペンテ
コステの日の出来事によって、すなわち聖霊の降臨によっても
たらされました。キリストの復活の姿を目の当たりにしてもな
お、人々を恐れ身を隠していた弟子たちは、この聖霊の降臨の
直後からまったく人が変わったように大胆になり、非常に力強
い証人となって行ったのです。これは、福音書と使徒の働きを
読む者は誰でも、すぐに気付くことです。



  もちろん、このようなペンテコステの人々の聖書理解を、
様々な理由を付けて受け入れない人たちはたくさんいます。そ
の中でも、福音派に属する人々は聖書の解釈をもって、ペンテ
コステ信仰を誤りであると主張します。これらの中には、ふた
つの流れがあります。ひとつはカルビンの流れを汲む神学を持
つ、改革派やバプテスト派の人々です。彼らは、聖霊は人が信
仰を持った瞬間に内住されるのであるから、すべてのクリスチ
ャンは信仰を持った瞬間、聖霊のバプテスマを受けているので
あると主張します。彼らは聖霊の内住と聖霊のバプテスマを同
一の事柄と理解するのです。そしてペンテコステ神学を、メソ
ジストとホーリネスの流れを汲む人たちの、第二の恵みの神学
の変形と理解して、激しく非難します。



  アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの神学は、第二の恵みに
賛同するものではありませんが、聖霊の内住と聖霊のバプテス
マを、聖霊の、ふたつの異なったお働きと理解します。ただ、
ペンテコステの日の出来事は、贖いの歴史上初めて、聖霊が人
々の上にお降りになったということであり、この時は、人々の
内にお住みになる出来事と、バプテスマと呼ばれる出来事が同
時に起こっています。その後の聖霊のバプテスマの記述では、
「素直に読む限りすべて」、人々は先ずキリストを受け入れ、
聖霊の内住を得ていたことが明白です。



  また、ルカの記述を読むと、聖霊は祈りへの答えとして与
えられると記されています。(ルカ11:13) キリストが、
将来の事としての聖霊の内住を想定して、このようなお話をし
たとは考えられません。聖霊の内住は、個々の人間の祈りへの
答えとして与えられるものではないからです。むしろ、聖霊は
あたかも風のように、人に知られず気付かれないまま、人の内
に住んでくださる方なのです。(ヨハネ3:8)ヨハネは、読
者が永遠の命を持っていることに気付くように、第一の手紙を
書きましたが、それはまた、御霊の内住に気付くことでもあり
ました。(Iヨハネ5:13)したがってキリストは、ここで、
内住される聖霊ではない聖霊を求めるように、勧めているとし
か考えられません。とは言え、おふたりの異なった聖霊がいら
っしゃるわけではありませんから、聖霊の内住の体験とは異な
った聖霊体験を、信仰を持って求めるように励ましてくださっ
たのだと考えるべきです。そうだとするならば、これは聖霊の
バプテスマ以外のことではあり得ません。



  さらに、聖霊のバプテスマの事は新約聖書の時代に限られ
ていたとか、特別な宣教の転換期あるいは要の時期に起こった
事柄で、現在はあり得ないというような、もっともらしい議論
もありますが、ここでは、自分たちの主張を強弁するために、
聖書を公平に読めなくなっているという、彼らの欠点を指摘す
るだけで、細部の議論には入らないでおきましょう。



  ホーリネス系の人々の批判は、あまり聖書的な議論ではな
く、ただ、聖霊のバプテスマに伴うとペンテコステ派の人々が
主張する、異言が嫌いであると言うことだけのようです。もと
もと聖霊のバプテスマという体験自体が、彼らによって宣伝さ
れたものであり、彼らがその体験を否定する根拠がないからで
す。ただ、彼らの聖霊のバプテスマは清められたと感じる、主
観的体験であり、聖書にその例を見ることが出来ないものであ
るのに対し、ペンテコステ派の人々の信じる聖霊のバプテスマ
は、宣教の力を付与する体験であり、聖書にその根拠を求める
ことが出来、さらに、異言と言う客観的に察知しうる出来事を
伴うということを、聖書をもって説明出来るものであると言う
ことです。



  ルカの記述を見ると、聖霊のバプテスマを受けた人々は、
大胆に福音を語ることが出来るようになっていることが明らか
です。キリストが「力」と表現したものは、この大胆さに関係
するのではないでしょうか。しかし、聖霊のバプテスマを証の
力、宣教の力と理解したきっかけは、必ずしも聖書の理解によ
るものではなかった可能性もあります。現在のペンテコステ運
動が起こる直前、初期のペンテコステ運動の指導者のひとりは、
聖霊のバプテスマを受けた人々が異言(ゼノラリア)を語ると
言う現象について聞き及び、これは世界宣教のための特別な能
力である、すなわち、たとえ宣教師たちが言葉の解らない土地
に遣わされたとしても、ただちにその土地の言葉を話し出す事
が出来る能力だと考え、異言の価値を強調しました。また事実、
当時、この異言を信じ、まったく言葉のわからない土地へ、何
の準備もなく宣教師として出て行く者たちも現れました。しか
し間もなく、これらの異言の多くはゼノラリアではなく、グロ
ッソラリアであることが判明し 、大変失望する事になりました。
しかしこのゼノラリアへの期待が、聖霊のバプテスマすなわち
証の力という理解に、関係したのではないかとも考えられます。
聖書の読み方においては素人であった当時のペンテコステ運動
の指導者は、聖書の教えを先ず理解する事からより、自分たち
の真摯な経験を聖書に照らし合わせて解釈する方向にあったか
らです。(これは必ずしも誤った方法ではありません)そのよ
うな過程の中で、ルカが記録したキリストのふたつの言及に行
き当たったというのが、ありそうなところです。



  聖霊のバプテスマが証の力、宣教の力に深く関わっている
と言う事実は、聖書からもまた宣教の現場の実証からも疑いの
余地はありません。ペンテコステ運動による宣教は、キリスト
教の宣教歴史の中で最も輝かしいものです。しかし、聖霊のバ
プテスマが宣教の力の付与であるという考え方、あるいは、聖
霊のバプテスマは証の力を与えるためのものであるという理解
は、果たして聖書の主張と調和するものか、もう少し注意深く
学んでみる必要がありそうです。なぜならここに挙げたキリス
トの言及では、聖霊のバプテスマが宣教の力に関わっているこ
とは明白でも、宣教の力の付与のために聖霊のバプテスマがあ
るという理解は、生まれて来ないからです。すなわち、聖霊の
バプテスマの目的は、宣教のための力の付与であるとは言い切
れないと言うことです。



  著者の現在の見解を言うならば、聖霊のバプテスマとは単
なる力の付与ではなく、もっと幅の広いものであり、神との交
わりのひとつの頂点であり、より親密な交わりへの入り口です。
人は神と和解させられ、神との交わりの中に入れられます。し
かし、現在の世界における神との交わりはまだ不完全であり、
非常に浅いものです。聖霊のバプテスマは、この世における神
との交わりのひとつの高嶺、多分最も高い嶺です。そしてその
交わりのために特別に与えられるのが、人間の言葉の限界を超
えた所での交わりを可能にする異言です。異言は、証拠として
聖霊のバプテスマに付随するのではなく、聖霊のバプテスマを
聖霊のバプテスマとして成り立たせる、神からの賜物です。異
言がなくては、聖霊のバプテスマという神との交わりの高嶺は、
あり得ないのです。異言は単なる証拠としての価値しかないの
ではなく、交わりの手段として、大きな価値を持つのです。で
すからパウロは、異言がコリントの教会の無秩序と亀裂の原因
になっていることを充分に知っていながら、誰よりも多く異言
を語ることを喜び、(Iコリント14:18) すべての信徒
が異言を語ることを望み、(14:5) 異言を語ることを禁
じてはならないと警告しているのです。(14:39) 聖霊
のバプテスマを宣教の力の付与のためと理解し、異言をそのバ
プテスマの証拠と理解する限り、私たちの仲間が時々語る「異
言を求めるのではなく、聖霊のバプテスマを求めましょう。力
を求めましょう」というお勧めは、正当化されるでしょう。し
かし異言そのものが、神との交わりの高嶺である聖霊のバプテ
スマを構成している大切な要因だとすると、パウロと共に、異
言を語りましょうと言うことが出来るはずです。



  聖霊のバプテスマが力となるのは、特に大胆さと繋がる力
となるのは、聖霊のバプテスマが神との交わりの高嶺であるか
らです。異言を通して、神との高く深く豊かな交わりを体験し
た者は、強烈な神の臨在感に浸ったのです。神が共におられ、
内におられることを、非常な現実感をもって感じたのです。そ
のような実感はすべての恐れを消し去ります。宣教の大胆さは
そこから来るのです。神との交わりの現実感が情熱を生み出し、
献身を強烈にし、より頻繁に、激しく、効果的に賜物を行使す
る力となり、教会の働きのあらゆる分野に及ぶのです。同じ賜
物を任せられた人間でも、聖霊のバプテスマを受けた者は、恐
れることなく大胆に、情熱と喜びをもってその賜物を行使する
のです。その結果、より小さな賜物しか任せられていなかった
者も、大きな賜物を委託されていた者より、大きなことをやり
遂げることが出来るようになるのです。宣教の力は、聖霊のバ
プテスマの目的ではなく、聖霊のバプテスマの結果です。しか
し、宣教と言う視点から見ると、聖霊のバプテスマは、宣教の
力の付与であるということが可能でしょう。神は教会が与えら
れた宣教の使命を遂行して行けるように、賜物を持って教会を
装備し、聖霊のバプテスマをもって、その装備を駆使する力を
お与えになったのです。



  キリストは、弟子たちが聖霊のバプテスマを受けずに、エ
ルサレムを離れることをお望みになりませんでした。すべての
弟子たちがこの素晴らしい体験を持って、力に溢れて全世界に
出て行くことを願われたのです。この体験を、聖霊の他の働き、
すなわち新生に伴って聖霊がひとりひとりの内に住んでくださ
る働きと同一に見てしまったり、それと取り替えてしまったり
してはなりません。聖霊のバプテスマは、受ける側の自覚を伴
う体験です。しかし聖霊の内住の体験は、内住をしていただく
者が自覚しないうちに行われることが普通なのです。この聖霊
の内住も、それに気付き、それを自覚して歩む信徒を励まし力
付けるものに相違ありません。しかし、聖霊のバプテスマは単
なる内住ではない、圧倒的な聖霊の働きかけなのです。



  聖霊の内住自体、神との交わりの素晴らしい回復です。罪
によって断ち切られた神との交わりは、神のみ姿を捨てて人と
なられた神、インマヌエルなる神キリストが、人と共に住み人
の間に宿を取られた事によって、人と人との交わり程度には回
復されたのです。しかし、このキリストが十字架において贖い
を成し遂げ、その血潮をもって罪を清めて下さった事により、
聖い神が神のみ姿のままで人との交わりを回復出来るように、
神殿の幕が上から下までまっぷたつに切って落とされたのです。
そして贖いを成し遂げ、宣教の派遣を明確にして天にお帰りに
なったキリストは、聖霊をお遣わしになったのです。神のみ姿
のままでおいでになった神、聖霊は、人と共に住むだけではな
く、人の内にお住みになり、さらに深い交わりを回復してくだ
さったのです。まさに、キリストが天にお帰りになる事は、私
たちにとって益だったのです。現在のクリスチャンたちは、聖
霊のリアリティを通して、弟子たちがキリストと共に過ごした
3年半よりも、はるかに濃厚な神との交わりを経験するのです。



  少なくても、キリストの弟子たちは、キリストと共に生活
したという体験によっては、あまり力を得る事がありませんで
した。甦られたキリストに出会い、共に食事をした後でさえ、
恐れと失望はなくなりませんでした。ところが、聖霊の降臨を
体験して、あのように大胆不敵になったのです。この時、弟子
たちを大胆不敵にしたのは、自覚されないままに起こりうる聖
霊の内住ではなく、強烈な体験として自覚出来た聖霊のバプテ
スマによるのです。ただし、聖霊の内住は、たとえその瞬間は
何の自覚もなしに起こったとしても、いつまでも自覚を伴わな
いままで行くというものではありません。それは、新たな命に
生きる力となり、聖い生き方、愛の生き方、キリストに仕える
生き方の力となるものです。それはまさに、新たに生まれた者
の命であり、キリストのみ体を有機体とさせる要因そのもので
す。しかしそれはまた、パウロが「聖霊によって生きるならば
聖霊によって歩もう」と勧めた通り、自覚を持つように励まさ
れなければならない事もあった、そのような出来事なのです。
それとは対照的に聖霊のバプテスマは、鮮烈な自覚を伴う出来
事です。それは自覚を持って大胆にさせる出来事です。異言と
いう神から与えられる超自然の現象を通して可能となる、神と
の深い交わりです。高いレベルでの交わりです。自らの言葉を
知的に用いていては、どうしても到達出来ない種類の交わりで
す。



  またこの聖霊のバプテスマに始まる交わりは、一回限りの
交わりではありません。聖霊のバプテスマ自体は、それぞれの
信徒の生涯に一回限りの体験ですが、聖霊のバプテスマに始ま
る異言を通しての交わりは、いくたびも繰り返される交わりで
す。繰り返されるたびに異言を語り、異言を語るごとに深めら
れ高められる交わりです。パウロはその交わりの崇高さ、素晴
らしさを充分に知っていたからこそ、自分が誰よりも多く異言
を語ることが出来ることを喜び、すべての信徒が異言を語る事
が出来るようになるのを望んだのです。そして、このような交
わりが宣教の力となったのです。聖霊のバプテスマはそのよう
な高度な交わりへの、入り口の体験とも言えるものです。聖霊
のバプテスマによっていただく力は、「力」と表書きされた小
包を受け取るようなものではなく、本来人間が持っていた神と
の交わりを回復した人間が、少なくてもその交わりの多くの部
分を回復した人間が、その交わりの結果として持つ神への信仰
と愛による大胆さと、神を愛しお仕えしたいと願う積極性がも
たらすものなのです。



  聖霊のバプテスマは、神との交わりを最も親密なレベルま
で引き上げるものです。その交わりは、異言という媒体を通し
て可能になります。この神との親密な交わりを体験した者は、
その体験の深さ、高さ、濃厚さのために、すなわち、その体験
のリアルさのゆえに、神以外の何者をも恐れない大胆さを得、
神にお仕えしたいという燃えるような思いに駆られるのです。
それは、肉体を持っていたときのキリストの胸に抱かれる体験
よりも、さらに勝った体験であり、神のみ姿を捨てた神ではな
く、まさに神のみ姿のままの神との恐ろしいほど高い交わりな
のです。



  私たちの仲間の中にも、最近は聖地旅行に出かける人たち
がたくさんいます。色々な意味で、それは有益なことだと思い
ます。しかし、「2,000年前にキリストがご覧になった山を自
分の目で見、キリストがお触れになったガリラヤ湖の水に手を
浸し、キリストがお歩きになった道を自分の足で歩いて、本当
に、キリストが近くにおられるように感じた」などと言う感想
を、ペンテコステ教会の牧師から聞くのは実に情けないことで
す。一般の旅行者ならばいざ知らず、また、普通のクリスチャ
ンならば「まあ、仕方が無いか」と見逃すことも出来ますし、
ペンテコステ経験のない牧師が言うのならば我慢もできます。
しかし、聖霊のバプテスマの圧倒的な体験をしているはずの伝
道者が、そのようなことを言うのは恥ずかしいことです。私た
ちの聖霊体験は、そのような遺跡旅行の感慨にも劣るものでし
ょうか。聖霊のバプテスマのリアルな体験は、ガリラヤ湖の水
の感触にさえ劣る程度のものでしょうか。今私たちは、神殿で
もエルサレムでもなく、霊と誠とをもって神を礼拝し、聖霊に
よって、最も深い神との交わりを体験出来るのです。そしてそ
の体験が、私たちの力なのです。



  キリストは、ご自分に従って来る者たちが、この聖霊の体
験を持つことをお望みになりました。聖霊を積極的に求めるよ
うにお勧めになりました。その体験を持たないままでは、弟子
たちがエルサレムを離れて、宣教のために出て行くことをお望
みになりませんでした。キリストは、宣教が力に溢れたもので
あるように願っておられるのです。キリストは、教会が宣教に
邁進できるように、必要な賜物を装備してくださっただけでは
なく、その賜物を大胆にそして有効に用いることが出来るよう
に、聖霊のバプテスマと言う、神との交わりの高嶺の体験を与
え、力づけてくださるのです。



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2010年11月08日

教会について 2−30

p193〜200

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◎◎ 今日の分を掲載したところ、このブログには欠点があ
って、ケイショウ、ケイゾク、コウケイシャなどのケイの字
が「継」と化けてしまうことに気付きました。どのようにし
ても直すことができません。今日だけではなくこのブログの
画面すべてがそうだと思いますので、ご理解くださいますよ
うにお願いいたします。◎◎


E.賜物と教職者制度



 本来、新約聖書時代の教会の指導者と言うものは、聖霊の
賜物の行使が教会全体に認められ、指導者として受け入れら
れ、それが定着して行ったものです。しかし、時代が移ると
共に、その定着したものが固定化して行きました。ひとりひ
とりの賜物の活用としての指導的役割が、特定の名前を持っ
て呼ばれるようになると、その名前に課せられた働きを持つ
ようになり、多くの時間を費やすことなく、その名前が特定
の機能を意味するようになり、名前と働きが固定化され、さ
らに、その名前がひとつの立場あるいは役職と考えられるよ
うになり、ついには、その役割を埋めるために人を探すよう
になって行きました。このような経過はごく普通のことであ
り、それ自体悪いことではありません。ただ、一度定着して
固定化したものを変えていくことは非常に困難なために、そ
こに膠着が起こってしまい、賜物が与えられていないのに、
そこに定着して残された立場に立たされ、役職に着かされる
人たちが出て来るようになり、やがて、教会の指導者と賜物
の間に大きな乖離が起こる事が問題なのです。



1. 教会史の中の教職者制度と信徒の活動 



 現在の多くの教会は、かなり厳格な教職者制度、あるいは
聖職者制度というものを持っています。それぞれ、自分たちの
制度について「聖書的な」説明を試みていますが、実際には、
そのほとんどが、あまり聖書とは関係のないところで作り上げ
られて来たものです。



a.教父時代



 すでに僅かながら触れたことではありますが、使徒時代の
後、教会はいわゆる教父時代に入りますが、この頃になると、
一地方教会の長老たちの上に立つ監督という枠を超えて、複数
の地方教会の管轄権を持つ、力の強い監督たちがそこここに登
場し始めます。それが文化や理解の違い、神学を始めとする意
見の違いなどを契機に、互いに反目し合ったり、寄り集まった
りして行くうちに、影響力が強い大都会の教会の監督が中心に
なり、次第に階級制度に発展して行きました。この頃の指導者
たちは、まだ本物のクリスチャンであり、それぞれ立派な人物
ではありましたが、福音の情報量が絶対的に少ないという欠点
を抱えていました。現在私たちが手にしている新約聖書がまだ
自然編纂の過程にあり、様々なクリスチャン文書が出回ってい
たとは言え、現代の私たちに比べると、一般の信徒はおろか指
導者たちですら、文書による福音の記録に触れることは極めて
希でした。それでも当時はたくさんの教父と呼ばれた監督たち
が現れ、非常に多くの優れた神学的貢献をしているのは驚くば
かりですが、ただ、教会の管理、指導者の働きと言うような面
に関しては、現実の必要性から生まれ、発展させられて来たも
のであり、真に聖書的な考察が加えられた形跡はありません。
そのような事から、教会の制度や指導者の役割、あるいはそれ
らに対する理解が、新約聖書の基本理念から離れたものとなっ
て行ったのもまた、当然と言えば当然の成り行きでした。



 これらの大都会の教会の監督たちを中心にした、階級制度
的な指導者たちはやがてさらに大きな統合を見せて、エルサレ
ム、アンテオケ、アレキサンドリア、コンスタンチノープルの
5つが大監督の教区と認められるようになりますが、やがて、
エルサレムは陥落し、アンテオケとアレキサンドリアも重要性
を失い、遂にローマとコンスタンチノープルのふたつだけが残
るようになります。このふたつの中ではあらゆる意味で、早く
から、ローマの優位が認められていましたが、383年のコンス
タンチノープル会議において、正式にローマの優位が認められ、
コンスタンチノープルは第二の立場を認められました。こうし
てローマ教会の監督の権威はほとんど絶対的なものとなって行
くのです。



 この過程においての管理や指導者の選択決定において、す
べてが間違っていたのではないばかりか、実際は極めて信仰的
に考えられ、良心的に行われていたものです。しかし、ローマ
の優位を証明するためにマタイ16章18〜19節の、キリス
トの言葉が誤用された以外は、聖書的考察が加えられた様子は
あまりありません。彼らは、ローマ教会がキリストの権威を引
きついだ、ペテロによって建てられたのであるから、ローマ教
会の歴代の監督は、ペテロの権威をひきついだ者としてキリス
トの権威を受けついでいると論じ、他の監督たちに対する優位
を主張することが出来たのです。また、当時の教会内の様々な
事情も、さらには世俗の事情も、聖書とはまったく関わりのな
いところで、ローマの監督を最高権威者とするのに有利に働い
たという事実もあります。このローマの監督の地位がますます
高められ、やがて世俗の政治の世界でも大きな権力を掌握する
ようになり、キリストの権威の後けい者として絶対の権威を行
使して、教皇と呼ばれるようになったのはレオ1世のときから
です。(440〜461年) やがて、最も優秀な教皇であっ
た言われるグレゴリウスが教皇となり、(590年) その能
力をあらゆる方面に発揮したことにより、教皇の座は揺るがな
いものになって行きました。



 まさにこの教父の時代に、実に多くの誤りが教会の中に導
入されて来たのです。まず、キリスト教がローマの公認宗教と
なり、続いて国教となった事により、改心を経験していない多
くの人々が教会に流入して来ました。教会はこれに対応するこ
とが出来ず、結果として教会の規律が失われ、国家権力によっ
て規律が保たれなければならなくなり、世俗との癒着が強めら
れて行きました。さらにまた、天使礼拝、聖人礼拝、遺物礼拝、
絵画や彫刻の礼拝などの異教的習慣が教会内に持ち込まれ、素
朴な使徒時代の教会の礼拝がけばけばしい儀式に取り替えられ
て行くに伴い、聖職者と一般信徒の間の溝がますます深められ
て行き、ついには聖職者の任命が礼典と看做されるようになり
ます。さらに堅信礼や塗油礼が定められ、原罪の教理から幼児
の洗礼も絶対に必要なものとされ、聖餐は犠牲であると理解さ
れて行くと、それらを執行する聖職者の地位と権威は嫌が上に
も高められて行きました。ローマ・カトリック教会が秘蹟と看
做している7つの礼典は、すべてこの頃に確定したものです。
そしてこれらの既成事実の上に、その権威をさらに確定させる
祭司制度が取り入れられてしまいました。いったん祭司制の概
念が取り入れられると、あたかもローマの監督が旧約時代の大
祭司であるかの様な、階級的祭司制度が出来上がるまで、多く
の時間を費やすことはありませんでした。時代遅れとなったロ
ーマの服装が、一般信徒と祭司の差別を歴然とさせるための祭
司の正装と定められ、たちまちのうちに、教会のあらゆる機能
が祭司の占有となり、恵みは祭司のとりなしを通してのみ与え
られるものとされ、一般信徒は直接神の前に出て祈ることさえ
ままならぬ事態に陥ってしまいました。ここにおいて、教会の
働きはほぼ完全に信徒の手から略奪されて、聖職者と言うひと
握りの者に委ねられ、賜物の機能としての指導者の概念もまっ
たく消滅してしまいました。



 また、太陽を奉る日曜日が礼拝の日と定められ、異教の祝
日がクリスマスとされたのを始め、様々な非聖書的な教会暦が
取り入れられて行ったのもこの期間の事です。また、異教世界
の女性崇拝に根を持つマリヤ礼拝も、4世紀後半にはかなり広
範囲に行われていたらしく、5世紀にはあらゆる聖人たちの上
に置かれ、マリヤに関する様々な非聖書的な教え、たとえば無
原罪懐胎、(キリストが罪を持たないでマリヤの内に宿ったこ
とではなく、マリヤが罪を持たないで母の胎に宿ったという説)
 昇天、とりなしの祈りなどが一般民衆の間に広がって行きま
した。祭司の仲介なしには神のみ前に出る事が出来なくなった
一般大衆は、ますます天使や聖徒、遺物、絵画、彫刻などの礼
拝に傾き、そのような神ではない礼拝の対象の頂点として、
「神の母マリヤ」を置くようになったのです。



b.中世から宗教改革まで



 中世とはいったいいつから始まり、いつまで続いたのかと
言う事については、歴史家の見解によって多少の差はあります
が、一般的に、教父時代の古代教会が教皇による徹底した中央
集権的古代カトリック教会に移行した頃をもって、中世に入っ
たと考えられています。中世においては教皇の権威がますます
強まる一方、様々な民族の移動があり、社会的要因の勢力の拡
大も宣教による勢力の拡大もありました。また回教徒の興隆が
教会を脅かしたことも大事件でした。また、教皇とローマ帝国
との関係にもいくつもの変遷があり、勢力争いの闘争も平和の
締結もありました。東方教会の分離も大きな事件でした。しか
し今問題にしている、賜物の行使による信徒の活動という命題
から見るならば、一貫してまったく絶望的な状態が継続したと
言えるでしょう。実際、中世には聖職者と信徒の間の差別が絶
対化され、教会の命である聖霊の賜物は、僅かに残された優秀
な修道院の中での限られた活動などを除いては、完全に失われ
たかのようでした。



 このような状態は、中世の終わりである宗教改革の時代を
経ても、まだ教会の大勢として変わらずに継続されて行きまし
た。ルターは贖罪論においては万人祭司説を唱え、祭司(司祭)
の不要を主張しましたが、聖職者制度にはほとんど触れずじま
いでカトリックの制度を継承しています。また、カトリックと
対抗するためにドイツ諸侯と手を結ばざるを得なかった事から、
国家と教会という面においても、教会と世俗の権力の癒着を断
ち切る事が出来ませんでした。カルビンにしても、多くの点に
おいてルターの改革より徹底していたとは言え、聖職者の制度
については、多くの概念をカトリックから受け継いで、自ら、
あたかもカルビン主義教会における教皇のような権威を行使し
ています。ツイングリの改革は、ルターやカルビンの改革より
聖書に近くなる可能性がありましたが、彼の早期の死はその機
会を与えませんでした。イギリス国教会は、制度的にはイギリ
スのカトリックになっただけであり、後代の貢献は別として、
当初においてはほとんど見るべきものがありません。ただ、ア
ナバプテストだけは「素人」のように聖書を読んだ結果、最も
過激な改革者となり、聖職者に対する考え方も、最も聖書に近
いものになりましたが、カトリック側からもプロテスタント側
からも激しい迫害を受け、勢力においても思想においても、ア
メリカの福音的教会が起こるまで、その後のプロテスタント教
会に大きな影響を与えることはありませんでした。



c.宗教改革後からアメリカの福音主義教会へ



 とは言え、宗教改革を経験した教会は、散発的ではありま
したが、そこここで信徒による活動を取り戻す運動を起こすよ
うになりました。冷たい教条主義に陥ったルター派への反動と
して興った、敬虔派の運動もそのひとつです。アナバプテスト
の流れを汲んだメノ・シモンズの運動もそうですし、フレンド
派(クエーカー)の人々にも、強い信徒運動の傾向がありまし
た。この流れは、やがてイギリス国教会やオランダの改革派教
会などを中心とした清教徒運動を推進して行く力となり、迫害
を逃れ、新しい宗教的自由を求めて新大陸アメリカに移住して
行った人々の、精神土壌ともなったのです。



 新大陸アメリカでまず大きな力を持った教会は、歴史上初
めて国家と教会の分離を明確に宣言したことで知られる、ロジ
ャー・ウイリアムズに導かれたバプテスト教会でした。バプテ
スト教会は、それまで小規模にしか存在しなかった会衆政治を
教会の中に持ち込み、信徒の活動の範囲を飛躍的に広げました。
また、イギリス国教会内部の運動でありながら、敬虔派の影響
を強く受けたメソジスト運動が、やはりより広範囲な信徒の参
加を認めた運動として、開拓時代のアメリカの教会を特徴付け
ながら、イギリス国教会から分離して行きました。アメリカの
教会は、このバプテストとメソジストというふたつの異なった
教会の働きによって、その大部分が形成されて来ましたが、片
方は会衆政治形を強調し、もう一方は監督政治を引き継ぎなが
ら清い信仰生活と信徒の活動の場を広げたという、共通点を持
っていたのです。



 これらの清教徒の精神は、やがて例に漏れず形骸化し始め
たアメリカの教会の中で、様々な形での信仰復興を起こして行
きました。また聖書学校運動  や学生宣教運動などを初めと
する、信徒の参加を促す教会運動が広がって行き、聖職者と信
徒の壁を打ち破る試みが繰り返されました。その結果、アメリ
カではかつて無いほどの勢いで、信徒と聖職者との間の壁が壊
されることになりました。また、清教徒運動はアメリカの精神
土壌となっただけではなく、各国の福音的教会を奮い立たせ、
世界宣教へ駆り立てて行きました。このようにして、近代プロ
テスタントの世界宣教は、教会活動への信徒の参加という新し
い風を送る事になったのです。とは言えそれは、それまで長い
間続いて来た聖職者中心主義の教会歴史に比べて、信徒の参加
が増えたと言うだけであって、聖書が教える本来の教会のあり
方、「賜物の行使による信徒活動の教会」にはまだまだ程遠い
ものでした。



d.20世紀とペンテコステ運動



 清教徒の精神は、このように、19世紀の世界宣教の土台
ともなったものであり、特に清教徒の精神が最も強く根付いた
アメリカからの世界宣教は、20世紀の世界の教会に大きな影
響を与えました。アメリカからの宣教には当然功罪が伴います
が、福音宣教という教会の至上命令という観点から見るならば、
教会歴史の中でも最も素晴らしい事と考えるべきでしょう。



 20世紀のアメリカの教会、またアメリカなどの清教徒の
精神を受け継いだ各国の教会は、世界各地に信徒の活動を受け
入れ、促進させる素地を作り上げました。そのような中に、ペ
ンテコステ運動が起こったのです。  このペンテコステ運動
の様々な特徴の中で、決して小さくない特徴が、聖職者の枠を
超えた活動を促す運動であったことです。実際、非常に多くの
信徒たちが聖霊のバプテスマを体験し、世界宣教を始め、多く
の働きに献身して行きました。そしてまた、ペンテコステ運動
は聖霊の働きに注目し、聖霊の働きを強調する運動でしたので、
当然のように聖霊の賜物に対する関心と渇望を呼び起こしまし
た。聖霊のバプテスマを受けた者たちの多くは、自分に委託さ
れた聖霊の賜物に目覚め、それらを積極的に用いて活動し出し
たのです。ペンテコステ運動が世界中に紹介されると、すでに
清教徒の精神によって信徒の活動の素地を作られていた世界各
地の教会は、信徒活動としてのペンテコステ運動を、抵抗なく
受け入れ、強化し、拡大して行く事が出来たのです。



 このようにペンテコステ運動は、教会の働きを信徒の手に
取り戻す運動でもありました。聖霊の賜物を高揚し、信徒の積
極的な活動を促し、聖職中心の教会から、信徒たちの交わりの
教会へと移行させる運動でした。とは言え、ペンテコステ運動
も時を経て定着し出すと、たちまち保守主義となり、ペンテコ
ステ的伝統を守るだけの形骸化を起こし始めます。また、古い
聖職者中心主義への回帰現象も、至る所に見る事が出来ます。
特に、広い意味ではペンテコステ運動に属するとは言え、伝統
的な教会の組織形態の枠と神学の枠の中で、ペンテコステ運動
を受容したカリスマ運動や第三の波運動は、賜物の行使による
信徒の活動の教会とはなり得ないまま、終わってしまう可能性
があります。とは言え、全体として見るならば、ペンテコステ
運動は、やはり教会を信徒の教会にし直す運動と言えるのです。



2.運動と制度



 教会にしても賜物の活用にしても、本来、運動であって制
度ではありません。制度は運動を入れておく器のようなもので
す。あるいは運動は車のエンジンや車輪と言った部分、車の車
たる部分のようなものです。車輪のない車は車ではありません
し、エンジンのない車も車ではありません。しかし車には車輪
を制御するブレーキが必要であり、エンジンの力を正しい方向
へ向けるハンドルが必要です。制度とはハンドルやブレーキの
ようなものです。



 ハンドルの利かない自動車に乗るのは危険です。しかしエ
ンジンのない自動車に乗っても始まりません。ブレーキの利か
ない自動車には乗らないのが賢明です。しかしブレーキが利き
すぎて走らない車に乗っても意味がありません。私たちの教会
は命を持っています。命が命の本性を発揮し、自由に生きる事
が出来るようにするのが教会の制度です。命は動き回り、走り
出します。これを上手に制御し方向を定めるのが制度です。制
度は時々取り替えられたり、移し替えられたりしなければ、命
に合わなくなってしまいます。制度が命を止めてしまう事さえ
あるのです。



 昔、日本がまだ貧しかったころ、私たち北海道の農家では
山葡萄を収穫しては、自家製のぶどう酒を造ったものです。酒
造法に違反していたかどうかは知りませんが、私たちがまだ子
どもの頃のことです。竹かごにいっぱい取った山葡萄を4斗瓶
に入れてしばらく置くと、自然に醗酵してぶどう酒になるので
す。ところがある時、葡萄液が瓶から溢れ出して床いっぱいに
流れているのに、びっくりしてしまいました。醗酵した葡萄液
は体積を増やして、後から後から流れ出てくるのです。あわて
て他の瓶を持ち出して葡萄液を移し、なんとかその場をしのぎ
ました。葡萄液は生きていたのです。命があったために命のな
い瓶に閉じ込めておくと、あふれ出す以外はなかったのです。
何でも興味を持っていた私は、それではと言うわけで、2本の
1升瓶にいっぱい葡萄液を入れて、1本にはコルクで硬く栓を
して、もう1本にはさらにそのコルクを針金できつく留めて置
いてみました。数日後、夜中にパンと言う音を立ててコルクが
飛び出しました。もう1本のビンはそのままでしたがしばらく
して開けてみると、おかしな味に変化していました。よくはわ
かりませんが、通常に醗酵出来なかったのでしょう。



 長い教会の歴史を見ると、聖職者制度と言う硬い器は命を
閉じ込め、閉塞させてしまいました。しかし、神は、教会の命
を完全に死に追いやるような事はなさいませんでした。教父時
代の教会でも、聖霊の賜物を用いて教会の働きをした人々がい
ました。中世の教会においてさえ、僅かながらとは言え、聖霊
の賜物は発揮されていました。宗教改革を経た教会は、徐々に
信徒の活動の場を広げ、聖霊の賜物の行使を可能にしてきまし
た。そしてペンテコステの体験は多くの信徒を解き放ち、ペン
テコステ運動を信徒の運動と見る事さえ出来るほどに、信徒の
賜物の行使を強調しました。その結果、この運動はかつて例を
見ないほど、至る所で柔軟で多様な適応をしながら、急速な成
長を遂げてきたのです。そのようなペンテコステ運動の特徴を
受けつぐ私たちは、今、過度の組織化や制度化には疑いの目を
向け、システムの固定化と組織の形骸化に警鐘を鳴らし、賜物
の行使による信徒の活動を、聖書が教えている通りに教え、実
行して、信徒運動としてのペンテコステ運動を引きついで行か
ねばなりません。



X.教会の力



 教会は、神の愛による贖いの業、すなわち御子キリストの
十字架を通しての救いの働きを、キリストの大使としてまたキ
リストのみ体としてけい続するために、召され、遣わされた者
です。しかも徒手空拳で働くようにではなく、聖霊の賜物と言
う装備を与えられて遣わされたのです。そしてさらに、その賜
物をより効果的にまた力強く大胆に用いるために、聖霊の力を
付与されているのです。



A.聖霊と教会



 教会は徹頭徹尾聖霊に依存するものです。聖霊のお働きな
くして教会は存在出来ず、継続も不可能でした。聖霊がいかに
教会の存在と働きに関わっているか、主なものだけでも列挙し
てみましょう。@教会の誕生は聖霊の働きの結果です。キリス
トの弟子の集団は、聖霊が降られる前は単なる弟子の集団に過
ぎませんでしたが、聖霊が降られ、その集団の内に宿ってくだ
さった事によって、キリストのみ体すなわち教会となったので
す。A人を改心させるのも聖霊のお働きです。誰も聖霊によら
ないではイエスを主と告白することが出来ません。B信じた者
をキリストのみ体にバプタイズするのも聖霊のお働きです。教
会に信徒を加えるのは役員会でも牧師でもなく、聖霊の主権に
よります。C教会と言う共同体に宿るというだけではなく、ひ
とりひとりの信徒の内にお住みになるのも聖霊のお働きです。
このようにして神との有機的交わりを可能にしてくださいます。
D教会を活かし、成長させてくださるのは聖霊の働きです。聖
霊の命の流れがあってこそ教会は霊的に生き、成長するのです。
E教会を日々絶え間なく清め、キリストのみ姿に似る者として
くださるのも聖霊の働きです。聖霊の助けがなければ私たちは
罪の力に敗北してしまいます。F聖霊の実もまた、内に住んで
くださる聖霊のお働きです。教会が聖霊の主権的お働きに身を
委ねるとき、聖霊は私たちの内に実を結んでくださいます。G
キリストのみ言葉、神の啓示を理解させてくださるのも聖霊の
働きです。霊的な事柄は聖霊によって教えられなければ人間は
理解出来ません。H祈りをとりなして下さるのも聖霊の働きで
す。祈れない時、切なるうめきを持って祈らせてくださるのは
聖霊のみ業です。I教会に賜物を与えて働かせてくださるのは
聖霊の働きです。J教会が正しい選択決定をすることが出来る
ように、導いてくださるのも聖霊の働きです。K迫害の中にあ
る教会に、語るべき言葉を与えてくださるのも聖霊の働きです。
L教会と共に働き、伴うしるしをもってみ言葉を確かなものと
してくださるのも、聖霊のお働きです。教会は聖霊を離れては
一瞬たりとも生きて行けないのです。












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2010年11月06日

教会について 2−29

p186〜193


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3.有機的教会の指導者



 一方、ひとつの地域教会を越えて、有機的教会に関わる働
きの役割を持った指導者には、まず、使徒があります。使徒と
いう名前は、ギリシヤ語では「アポストロス」で、「メッセー
ジを運ぶ者」、「役割を与えられて遣わされる者」という意味
で、現在の「宣教師」と同じ語源によるものです。「宣教師」
は英語で「ミショナリー」といいますが、これは元々「派遣」
を意味するラテン語の「ミッシオ」から来たものですが、この
「ミッシオ」は新約聖書の「アポストロス」の訳として用いら
れたものだからです。福音書を読むと、使徒の働きの特徴は、
行く先々で福音を語り、キリストに与えられた権威を持って、
奇跡的業を行って行くことでしたので、まさに言葉の意味の通
りです。使徒の働きの記述には、ペテロとパウロと言うふたり
の使徒の活躍が残されているだけで、使徒の働きについての充
分な検証は不可能です。特に、ペテロの働きは極めて初期の部
分に限られていて、指導者としての使徒の役割はあまり明白に
現れていません。ただ、エルサレム教会の揺籃期においては、
使徒たちは共同牧会のような働きをして、執事たちの協力を得
ていた事が想像できます。また初期のペテロの働きは、キリス
ト在世当時からの弟子たちの中心人物として、重んじられ、福
音宣教を主な働きをしていた事が明らかです。ただしこれらは、
教会の揺籃期の極めて一時的な形であって、いつまでもそのよ
うな形が継承されたとは思われません。特に、カトリック教会
が主張するような、ペテロの権威の継承があったとは考えられ
ません。



 使徒としてのパウロの働きはもう少し明確であり、ある程
度の期間にわたって継続した形、少なくてもパウロの生きてい
る間は続けられた形です。パウロの活動を見ると、広い範囲を
回り、福音を語り、多くの教会を建て上げ、長老を育てて任命
し、あるいは若い牧会者を任命し、必要に応じて数年にわたっ
てひとつの場所に留まり、信徒訓練を行い、常に複数の同伴者
を引き連れて歩き、行動によって模範を示して弟子を作ってい
ます。もしパウロの働きが、使徒たちの働きの代表的なモデル
であると仮定すると、これが使徒の働きであると言うことが出
来そうです。ただし、使徒の働きと言うものには、これといっ
た明確な規定があったのではなく、むしろそれぞれが自分に与
えられた賜物を最大限に活かして、福音宣教に関わる働きに当
たったのでしょう。ですから、パウロの働きをもって、これが
使徒の働きであると言うのではなく、使徒の働きの好例が示さ
れたに過ぎないと理解すべきです。ただ、パウロの活動を使徒
的働きの好例としてその特徴を挙げると、活動の地理的範囲に
おいては、ひとつの地域教会に制限されることなく、広い視野
をもって福音宣教に当たることであり、活動の範囲においても、
幾つかの狭い活動に制限されるのではなく、「福音のために私
はどのようなことでもする」という精神をもって、まさに出来
る事は何でもするという働きであると言えます。 現代で言う
「一般活動宣教師」に近いものです。パウロは福音宣教に命を
賭け、教会の設立に情熱を燃やしただけではなく、ひとつの教
会に留まってはその教会の成長のために心血を注ぐ長老の働き
をし、さらにはマケドニヤやアカヤの複数の教会から義捐金を
集め、エルサレムの教会に届ける「有機的教会の執事」とも言
える働きにも命を張っています。



 新約聖書が使徒と呼ぶのは、 まず、 キリストに選ばれた
12弟子と、ユダの穴埋めとして選ばれたマッテヤです。これ
らの弟子の資格は、@キリストと共に行動した事と、A復活の
キリストの目撃者である事(使徒1:22)でした。しかしこ
の他にも、キリストから異邦人のための使徒として任命された
パウロ(ローマ11:13、Iコリ9:1)がおり、彼は自分
が使徒である事を12回にわたって弁明しています。彼が主張
した使徒の資格は、@主キリストを見たこと、(Iコリ9:
1)A奇跡と不思議と力ある業を行った事(IIコリ12:
12)でした。さらにその他にも、キリストの弟のヤコブ、
(Iコリ15:7) バルナバ、(使徒14:14) パウロ
の親戚、(ローマ16:7)さらに名前を挙げられていない者
たち(Iコリ15:7)が使徒と呼ばれています。これらの事
実からも判るように、新約聖書の時代は使徒という名前もかな
り鷹揚に、あるいは曖昧に用いられていました。使徒としての
権威を本当に主張し、それを行使したのはパウロだけのようで
す。ペテロも当然使徒としての権威を自覚していたと考えられ
ますが、彼はむしろ人々の「尊敬」を力にしていたように読み
取れます。



 次に、特定の地域教会に制限されない活動に、伝道者とい
う働きがあったように理解出来ます。伝道者と訳されているギ
リシヤ語は「福音を宣べ伝える」という意味の動詞が名詞化し
たもので、そこから、その働きの内容が伺い知れます。ただし、
この働きも、そのような名前の確定した働き、あるいは職性に
近いような役割があったとは考えられず、むしろ、そのように
呼ぶのが相応しい働きをしている者がいたから、そのように呼
んでいたのに過ぎないと思われます。たとえば、新約聖書で唯
一明らかに伝道者と呼ばれているピリポは、エルサレム教会で
執事として選出されましたが、伝道者としてもエルサレム教会
の管理の枠を超えて、文字通り、任せられた賜物を活かし、伝
道の働きをしていた事が伺えます。テモテは青年ではありまし
たが、パウロによってエペソとその周辺の教会の責任を任せら
れました。彼は長老と呼ばれるには若すぎた事でしょう。です
からパウロは、彼を「伝道者」と認識していたようです。(U
テモテ3:5) とは言え、彼の働きは、ピリポのようなもの
ではなく、むしろ複数の地域教会の上に立つ管理者のような役
割であり、地方教会の監督(長老)を任命する事も任されてい
たようです。多分、使徒パウロのアシスタントとして、小使徒
のような権威を持って働いたのでしょう。同じような働きは、
クレテ島の働きに派遣されたテトスにも与えられています。
(テトス1:5)



 もうひとつ、預言者という役割が記されていますが、これ
も公式にそのような名前の付いた役割が認められていたのか、
あるいは、単に預言の賜物を活かして活動していることが皆に
認められて、預言者と呼ばれていたのか、明らかではありませ
ん。しかし新約時代の教会で、預言者と呼ばれているのは、ア
ガポとその同行者たち、(使徒11:27〜28) それから
ユダとシラスだけであったという事実、(使徒15:32)ま
た使徒の働きの記述からは、彼らが地域教会の中でことさら重
要な役割を担っていたとは思えないことから、預言者という役
割も、すべての地域教会に定められた役職ではなく、むしろ賜
物の活用によって認められた働きと理解するのが適当であると
考えられます。先に述べた伝道者ピリポの4人の娘たちも預言
をすることで知られてはいましたが、預言者と呼ばれるにはま
だ不充分であったのかもしれません。この理解は、エペソ書4
章11節の記述とも調和します。使徒の働きで、アガポやユダ
とシラスたちに与えられた預言者という名前の意味と、エペソ
書4章で言及されている預言者が、同じ意味である保証はあり
ません。新約聖書の形成期においては、そのような働きや役割
についての名前、呼称はかなり、柔軟で、流動性があったとい
うことを思い起こさなければなりません。



 ペンテコステの日にペテロはヨエルの預言を引用して、息
子と娘、青年と老人、しもべとはしためまでも預言すると語り
ました。ペテロは、預言の働きが人間の貴賎にかかわらず、今
や、すべての者(主にあるもの)に与えられようになった、そ
のときが来たと宣言したのです。ところが使徒の働きの記録に
は、一握りにも満たない「預言者」が出てくるだけです。ヨエ
ルの預言の成就はどうなってしまったのでしょう。



 初代の教会では、まだいろいろなことが流動的で、「預
言」あるいは「預言者」という言葉も、かなり鷹揚に、言い換
えると曖昧に使われていたことを理解すると、わかりやすくな
ります。初代教会には、狭義の預言と広義の預言、あるいは狭
義の預言者と広義の預言者があって、あまり厳しい使い分けが
されないまま用いられていたのです。狭義の預言は、旧約時代
の預言者たちが「主は言われる」と語りだした種類の預言です。
そのような預言は新約聖書には出てきません。実際、狭義の意
味の預言者は、バプテスマのヨハネで終わりを告げていたと考
えられます。



 ただし、旧約聖書の預言者の働きを見ると、必ずしも「神
がこう言われる」という預言の働きだけをしていたのではあり
ません。広く神のみ心を知り、それを語り教えて行く働きも大
切なものとして含まれています。それもまた、神の言葉を預か
って語ることで、広い意味で預言者の働きと認められていたの
です。ペンテコステの日、ペテロが語ったヨエルの預言の成就
はそういう意味でした。この日以来、すべての信徒は預言をす
る者になったのです。彼らは、福音に集約された神の言葉を預
かりました。そして時と場所を問わず、大胆にそれを語り伝え
て行ったのです。文字通り、息子も娘も、しもべもはしためも、
青年も老人も、預言をして行きました。使徒の時代はすべての
信徒が預言をしました。万人祭司もさることながら、万人預言
者です。それが新約の時代の特徴です。それは本来、現代にお
いても同じはずです。



 では、エペソ書4章11節に言及されている預言者、ある
いはピリポやアガポはどういう種類の人々だったのでしょう。
すべての信徒が預言者でありながら、かれらは、少しばかり特
別な意味で預言者だったのです。先にも言及したように、預言
者という言葉が厳格な定義のないまま、いろいろな意味で使わ
れていたのです。使徒の働きやパウロの書簡から、彼らも、万
人預言者の仲間として福音宣教をする中で、特に、聖霊の直接
的な啓示や鼓舞を受けて活動することが多かったのだろうと推
測できます。



 考えられるのは、これらの預言者たちの多くが預言の賜物
を持って働いていたことです。彼らは、万人預言者の新約のな
かで、とくに幻を見たり夢を見たりする人たちであったのでし
ょう。ペンテコステの日のペテロの説教を、新約の預言者は一
人残らず幻を見、夢を見るのだと理解する必要はありません。
したがって、エペソ書4:11で言う預言者やピリポやアガポ、
あるいはユダヤシラスも、そのような聖霊の直接的な鼓舞を受
けて、幻や夢を見たりしながら、人々を励まし教え、福音を語
り続けたのでしょう。彼らは、ただ福音の言葉を預かって語る
だけの多く信徒たちとは異なり、聖霊の直接的な導きと鼓舞を
受けて、その場、その状況に最もふさわしい形で福音を語り、
指導をしていたのでしょう。



 この預言者は、旧約時代の預言者とは異なりましたが、同
じ聖霊の励ましと導きを受けて、啓示の言葉も語ることができ
ました。また聖霊の照明受けて、聖書を(旧約)より深く理解
し、より正しくまた的確に解き明かすこともできました。語っ
ているときも聖霊の臨在と鼓舞を感じて、大胆にまた明確に福
音を語ることができました。それは学者たちの語る注解ではな
く、命のあふれる語りかけでした。そのような特異な働きを人
々が認めて、彼らを預言者と呼んだと考えるのが妥当です。



 教師は聖書を正しく理解し、忠実に教えることに優れてい
たのでしょう。伝道者は福音の内容を正確に伝え、キリストへ
の信仰を促す働きによい結果を残していたのでしょう。それに
対して預言者は、聖書の教えを基にして語る説教者でありなが
ら、状況に応じて聖霊の感動と導きを強く受け、あるときは啓
示さえも受けながら、聞いている人間に最もふさわしく適応し
て語ることができたのでしょう。パウロは自分のことを宣伝者
(Iテモテ2:7)あるいは宣教者(Uテモテ1:11)と呼
んでいますが、もともとのギリシヤ語では同じ言葉で、「最初
にニュースを伝える者」あるいは「先覚者」という意味であり、
この預言者の働き、あるいは伝道者や教師の働きとも重複する
ものでした。使徒の働きはそれら多くの働きを含んでいるもの
だったのでしょう。そしてこれらの働きの中に、いわゆる聖霊
に感じてその場で語る預言や、予言が含まれていても、矛盾は
ありません。



 それからさらに、元々のギリシヤ語では「執事」と同じ言
葉であるにも拘わらず、どう考えても「執事」とは訳せない働
きがあります。日本語では、新改訳においては「しもべ」(I
コリ3:5、Uコリ6:4)「福音に仕える者」(エペ3:7)
などと訳され、動詞形では「奉仕の働き」(エペ4:12)と
訳され、口語訳では「信仰に導いた人」(Iコリ3:5)「神
の僕」(Uコリ6:4)「福音の僕」(エペ3:7)「奉仕の
業」(エペ4:12)となっています。要するに「仕える者」
という意味ですが、人々に仕える事を強調している執事ではな
く、神に仕える者という事です。パウロは5回にわたって自分
をこの名前で呼び、また若い働き人たちを同じ呼び名で幾度も
呼んでいます。すべての信徒の働きを意味しているエペソ4:
12の場合を除いては、すべて、教会の指導的働きに関して用い
られている言葉です。ここにおいても、この呼び名が、確定し
た役職のような働きを意味していたものではない事が明らかで
す。



 こうして見ると、使徒時代の教会においては、まだまだ組
織自体が固まっておらず、臨機応変な、多様な働きがあった事
がわかります。たとえば、伝道者への召しとか、牧師職への召
しなどという、固定化した考え方もまだ出現していませんでし
た。それぞれの信徒が、自分に任せられた賜物を活かして働き、
その働きが多くの人々の認めるところとなり、受け入れられ、
その人の働きとして定着して行ったと言う事です。たとえば、
管理上の権威と言うことを取り上げても、教会全体として見る
と、使徒の権威も必ずしも最も強いものではありません。エル
サレム会議において、管理的な意味で重要な役割を果たしたの
は、エルサレム教会の長老であった主の兄弟ヤコブです。しか
し神学的意見をまとめることに関しては、ペテロが指導力を発
揮しています。またパウロは、自分が設立に関わった教会に対
しては、神学的な権威と管理上の権威を存分に主張し、行使し
ています。それは彼が絶え間ない論争に巻き込まれ、彼の身分
や資格に対し疑問が投げ掛けられたためです。そこでパウロは、
「仕方なしに」使徒的権威の主張をしているのですが、すでに
述べたように、その使徒の働きには、福音の先覚者あるいは宣
告者、または宣教者とも言うべき働きが含まれている事、さら
には教師としての働きが含まれている事を理解していました。
(Uテモテ1:11)自分を使徒と呼ばず長老と呼んだ使徒ヨ
ハネは、その年齢から長老と呼ばれるに相応しかったからだけ
ではなく、多分、当時唯一残っていた使徒、唯一主を見た事が
ある使徒という「権威」を嫌い、同じ人間として、多くの痛み
と苦しみ、喜びと感動を味わってきた自分を強調したかったか
らではないでしょうか。またヨハネは、使徒という役割が彼を
もって終わりを告げる事を、このような方法で示したかったの
かも知れません。ペテロもまた自分を長老と意識していた事が
伺われます。(Iペテロ5:1) いずれにせよ、固定化した
役職、あるいは聖職というものは、まだ出現していなかったと
いう事が明らかです。



4.普遍的教会の指導者



 新約聖書の時代には、教会全体、すなわち、普遍的教会に
対する責任を自覚していた指導者として考えられるのは、まず
使徒たちですが、果たしてすべての使徒たちがそのような自覚
を持っていたかは、定かではありません。ペテロを初めとする
使徒たちや主の兄弟たちが、より広範囲な働きに対する自覚を
持って、巡回もしていたことが明らかですが、(Iコリント9
:5) どの程度の責任を自覚していたか知るよしもありませ
ん。主の兄弟のひとりヤコブも、最初の教会であり多くの教会
の母教会となったエルサレム教会の長老として、重い責任は自
覚していた事でしょうが、自分の責任がエルサレムの外、ある
いはユダヤ人以外に及ぶことを明確に自覚していたかどうかは
不明です。普遍的教会に対する責任を自覚していたのは、福音
の奥義を啓示されたパウロです。ペテロと主の兄弟ヤコブの普
遍的教会に対する貢献は、主に、パウロの受けた啓示に関わる
理解の問題において発揮されたものです。



 パウロは異邦人への使徒として、福音と教会の普遍性につ
いての啓示、奥義の啓示を受け、それを書き記しています。彼
の残した著書の大部分は、彼が設立に関わった教会に対する、
牧会配慮の手紙ですが、ローマ人への手紙だけは、パウロが設
立しなかった教会、また、訪ねた事もない教会に対するもので、
特定の牧会的問題に対する対処の手紙ではなく、むしろ、当時
の教会全体に関わる、また後世の教会全体に関わる神学的命題
について記したものです。結果論的に言うならば、パウロの聖
書記者としての働きは、ローマ人への手紙だけではなく他のす
べての書簡も、まさに普遍的教会に関わるものでした。また、
パウロほどの規模を持った働きには至りませんでしたが、他の
聖書記者たちも、同じように普遍的教会に対する貢献をした指
導者でした。



 聖書の重要性は、もちろんその霊感にありますが、著者に
はものを書くという能力、賜物がなければなりません。現代の
ようにふんだんに紙があったわけではなく、ワープロなどと言
う便利なものもなかった時代です。書き損じは許されず、校正
作業もままならない中で、文章を残すと言うことは大変な能力
です。神は、教会に対して、必要な時に必要な賜物をお与えに
なり、必要な働きをさせてくださるのです。霊感を受けると言
う問題は別にして、現在においても、ものを書くという賜物を
活用して、一地方教会に留まらず、より広範囲の有機的教会に
関わる働きをしている者はたくさんいます。



5.指導者と召し 
 


 新約聖書に記されている指導者たちは、自分たちの働き、
あるいは役割を、神からの個人的召しによる任命と理解してい
たのでしょうか。新約聖書が召しという言葉を用いるとき、そ
の90パーセントは救いを意味していると言うことは、すでに
述べました。指導者の中には、パウロのように召しと呼ぶのが
相応しいような体験をして、主に仕えるようになった者もいる
一方、そのような経験を知らない者もたくさんいます。多くの
人が、パウロは自分が使徒として召されていると主張している
と考えていますが、それは誤っている可能性が高いことはすで
に説明いたしました。パウロは自分が使徒となった体験を「召
された」と言わずに「任命された」と表現しています。(I:
テモテ2:7、Uテモテ1:11) 特にUテモテの記述では、
パウロは先ず、自分たちが聖なる招きをもって「召されて」い
ること、すなわち救われていることを語り、それから改めて、
使徒として任命されたと説明しています。ですから、現在の私
たちの教会の一般用語として用いられる「召し」という言葉と
観念は、新約聖書時代の教会の言葉でも観念でもなかったと言
えます。教会の指導者として、強い使命感と献身をもって、ま
さに、「召命感」と呼ぶにふさわしいような情熱を燃やしなが
ら働いていた者たちは、たくさんいたことには疑いの余地はあ
りませんが、現在の私たちの教会のように、伝道者の召しだと
か、宣教師の召しなどと呼ばれる、固定観念は存在しなかった
と言えます。初代の教会にあったのは、現代の教会のような賜
物を無視し、資質を無視した「召し」の観念ではなく、賜物の
行使によってその人物の奉仕が認められ、働きと立場とタイト
ルが与えられるという形です。



 現在の私たちの教会の中では、賜物も資質も無いにも拘ら
ず、一時の情熱や迷いや誤った自己判断、あるいは牧師や伝道
者の暗示に乗ってしまって、伝道者の道を歩み出してしまう人
たちが現われて来ます。「何の取り得もない者を神はあえて選
んでくださった」とか、「この世の賢い者を辱めるために、あ
えて愚かな者を召してくださった」と言うような証が、賜物を
持っていないことの自己弁護として用いられますが、神様のお
取り扱いの基本は、賜物の行使であって、賜物を持っていない
者をお召しになることは、まず、あり得ないのです。この事を
パウロは、ローマ書12章1〜9において異なった角度から語
っています。それによると、私たちの信仰の歩み方、身の振り
方に対する神の御心は、まず、自分の体を生きた聖なる捧げも
のとして捧げきって、すなわち、自己中心の信仰態度から、神
中心の信仰態度に完全な思考の転換をすることによって、初め
て知ることが可能になるのです。そしてそのような信仰態度を
明確にして、改めて、自分の賜物を教会という概念の枠の中で
吟味し、それを神の栄光と教会の徳のために、最善にまた謙遜
に用いようとするところに、おのずと自分の歩むべき道が明ら
かになって来ると言う事です。祈りと瞑想をもって神の召しの
み声を期待すると言うような、神秘的方法は、新約聖書の勧め
るところではありません。教会の指導者として立つと言うこと
は、本人の主観的感覚と決意によるのではなく、賜物の行使が
教会全体に認められるという、事実と、客観的判断によるので
す。



 南太平洋の小島からなるある国の、私たちの姉妹教団では、
信徒が伝道者として認められるためには、ふたつ以上の教会を
開拓し、それを指導していなければならないという、厳しい基
準があると聞いたことがあります。伝道者としての賜物が、実
際の働きにおいて客観的に示されていなければ、伝道者として
認定されないのです。そのような方法のすべてが正しいという
つもりも、それが必ず上手く行くと言うつもりもありませんが、
賜物の行使による指導者と言う新約聖書的基準を、現代に生か
そうとしている良い例であることは確かです。 この人たちも
「召し」と言う言葉を用いていましたが、彼らにとっての召し
は、賜物の行使によって客観的に認められる召しであって、個
人の主観的思い込みによる召しではありません。














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2010年11月05日

教会について 2−28

p179〜186


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2.賜物の自由闊達さ



 賜物は本来自由闊達なもの、いわゆるダイナミックなもの
です。想定不能、予測不可能、臨機応変で、様々な相乗効果を
生み出すものです。システムや組織は、本来、この賜物を行使
し易くし、あるいは委ねられている賜物を発見し易くするもの
です。ですから賜物の活用を促し、励ますようなシステムが望
ましいと言えます。命は賜物にあるのです。その命を充分に躍
動させ、効果的に働かせるのが組織です。組織に命があるので
はなく、システムに活動の力があるのではありません。命がそ
の性質を現し、「ダイナミック」に活動し出すと、しばしば予
想だにしない動きをし、想定出来なかった働きを始め、思いも
及ばぬ相乗効果を発揮します。すると、「以前の状況」に対応
して立て上げられたシステムは機能しなくなり、組織は働かな
くなります。



 人間がしばしば陥る誤りは、命がダイナミックに活動し出
し、システムが古くなり機能しなくなった時、悪いのは「命」
の方であると考えて、命の活動をシステムの中に押し留めよう
とし、組織の中に治めようとすることです。すると命は萎縮し、
やがて死んでしまいます。蟹が自ら殻を捨てなければ生きて行
けないように、変えられなければならないのはシステムであり
組織なのです。教会の歴史を見ると、伝統化した組織やシステ
ムに対抗して、多くの賜物が様々な運動を起こし始めました。
しかし、ほとんどの場合、運動は伝統の中に幽閉され、やがて
は死を向かえることになりました。ほんのわずかな例だけが、
枷を打ち壊し、扉を打ち破って新しい運動を起こすことが出来
ました。宗教改革しかり、メソジスト運動しかり、そして私た
ちの母体となったペンテコステ運動も、そのわずかな例のひと
つです。



 ペンテコステ運動は、伝統的教会の神学とシステムに対す
る挑戦であったのです。多くの特徴を持っていましたが、ペン
テコステ運動の顕著な特徴のひとつは信徒の運動であり、賜物
の活用の運動であり、当時の伝統的な教会の形式や枠の中に収
まりきれない、いわば異端児的な運動でした。事実多くの伝統
的な教会は、ペンテコステ運動を異端と決め付けていたのです。
ペンテコステ運動が今日まで継続し発展拡大して来た理由は、
伝統的な教会の組織とシステムに上手に乗って、問題を起こさ
ず歓迎されたからではありません。命である運動が、ダイナミ
ックな賜物の活用を起こし、既存の組織やシステムの枷を打ち
壊したからです。しかし、命はシステムを必要とし、運動は組
織を必要とします。ペンテコステ運動がやがて組織を作り上げ、
落ち着きを見せ始めると、組織が力を発揮し出しました。そし
て、ペンテコステ的伝統を作り上げ、新しいものを拒絶し始め
ただけではなく、かつて戦った当の相手である、教職中心主義
をさえ味方に付け始めました。ペンテコステ運動初期の信徒の
運動としての形態は、すでに聖書学校運動などで先鞭を付けら
れていたものですが、これが、聖霊のバプテスマと言うユニー
クな体験に後押しされて、強烈に発展したものです。ところが、
教職中心主義の牙城となっていた神学校に対抗して設立された、
その聖書学校自体が、新しい教職中心主義の牙城と変転してし
まったのです。



 このようになると、すでに述べたように、大部分の信徒は
教会の意義深い活動からは締め出されてしまい、日曜日ごとに
席を暖め、献金袋にお金を入れるだけの「忠実な」信徒に成り
果ててしまうのです。自分たちで伝道を始め、会衆を立て上げ、
教会に発展させ、さらに娘教会を設立して行くような、賜物を
自由に駆使する活気にあふれた信徒を、見出す事が出来なくな
ってしまうのです。



 私たちの教会の賜物に対する閉塞性、異なる人間に対する
閉鎖性は、国際協力などを例に採ると良くわかります。現在の
世界は一昔前とはまったく様相を変えています。交通機関の発
達と情報システムの発展が、世界を小さくしてしまいました。
いまや国際化、グローバル化の時代であり、多くの国々の教会
は、たとえば東南アジアの発展途上国でも、教会は国際化を進
め、国際的な感覚でものを考え、協力体制を築き、働きを始め
ています。しかし、昔から四方を海で取り囲まれ、島国根性を
発展させ、遭遇するほとんどすべての事に、日本語と言う特殊
な言葉で対応することが出来た、私たち日本の教団は、まった
く後進国の感覚しか持ち合わせなくなってしまったようです。
いまだに排他主義が当然と思い込み、鎖国政策で上手く行くと
考えているかのようです。



 たとえば、国際結婚を考えてみますと、これからの日本で
もこれは避けて通れない問題です。多くの国の教会は、何世紀
も前にこのような問題を通過して来ました。アメリカの教団に
は、アメリカ人以外の人々がたくさん入っています。オースト
ラリアの教団には多くの国の人々が加わっています。フィリピ
ンにもフィリピン人ではない人々が数多くいます。それがすで
に、ごく当たり前になっているのです。ところが私たちの国で
は、それが通常のことではありません。すでに触れたように、
これはまさに日本人の罪の原点のような感覚であるにも拘わら
ず、私たちの教団の感覚として生きているのです。そして、日
本人のための教団として作成されたシステムが、今も生きてい
るのです。



 著者は現在も海外伝道部に関わり、小さいながら国際的な
働きに携わっています。するとこのような日本の閉鎖的感覚に
遭遇し、まさに窒息するような気分に襲われるのです。日本ア
ッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、日本人の血を持った人
間の教団でしょうか。それとも日本と言う国をベースとして活
動するあらゆる人種の有機体でしょうか。「外国人と結婚した
女性は、日本国籍を失って外国人になったのだから」という牧
師たちがいるかと思うと、「外国人が私たちの教団に加入する
ためには、まず日本の国籍を取得するべきだ」とか、「せめて
永住許可を取るべきだ」 と主張する牧師たちもいるのです。
「日本人男性と結婚した外国人女性は、日本人になったのだ」
と思い込んでいる牧師も少なくありません。それでも彼らは、
自分は外国人を差別していないと、無邪気に思い込んでいるの
です。



 トム・クランシーという作家が書いた文章を、そっくり真
似てパロディー化してみました。「日本人は人種である。我々
は人種的にはあらゆる人々と異なっている。要するに純血種な
んだ。日本人の血管の中にはただ大和民族の血が流れている。
日本と他の国々との違い、日本人を日本人たらしめているのは
ただ、日本人の血をもって生まれ育ったということだけなんだ。
単なる血。それだけだ・・・・・。だが、それは実に良く機能
している」もともとの文は、先に脚注で示したように、「アメ
リカ人は人種ではない。われわれは人種的には世界に生きるあ
らゆる人々とちがわない。要するに雑種なんだ。アメリカ人の
血管の中にはあらゆる国々の人々の血が流れている。アメリカ
と他の国々のちがい、アメリカ人をアメリカ人たらしめている
のはただひとつ、アメリカ合衆国憲法なんだ。単なる規則集。
それだけだ・・・・・。だが、それは実に良く機能している」
と言うものです。



 私は日本人として、アメリカの文化には馴染めないところ
がたくさんあります。しかし、この人種と言う感覚においては、
絶対に日本人ではありたくないと思っています。アメリカに人
種差別がないと言っているのではありません。アメリカの人種
差別を非難している日本の中にこそ、アメリカよりよほど根深
い人種差別があると言っているのです。私たちの教団は日本の
教団として、日本人的感覚を持っています。それを誇りにさえ
しているところがあるかもしれません。しかし、この日本人の
血という感覚は、絶対に教会の中にまた教団の中に持ち込まれ
てはならないものです。教会は和解の福音によって和解させた
れた共同体、人種と文化と言う隔ての壁を打ち破った共同体で
ある筈です。人種問題で悩みぬいて来た社会であるアメリカに
育ったクリスチャンたちに、確かに今でも差別意識は残ってい
るでしょう。しかしそれでも彼らの差別は、差別している事に
時々気付き、自ら痛みながら行っている差別です。日本人は、
自分が差別をしている事にさえ気付かないで差別を行っていま
す。私たちの教団を作り上げたのは命であり、聖霊に与えられ
た賜物の自由闊達な行使です。しかしこの命は、今や、グロー
バラアイゼーションと名づけられた急激な国際化という環境の
変化の中で、島国根性の日本人意識という硬い殻に閉じ込めら
れ、身動きが取れなくなりつつあります。この殻を自ら脱ぎ捨
てる努力をしない限り、やがて、命は失われてしまうことにな
るのです。 



D.賜物と指導者たち



 新約聖書は、聖霊の賜物と指導者たちを、教会の不可欠な
要因として取り上げて語っています。ここでは賜物と指導者た
ちの関係についてみ言葉を探り、考察して行きましょう。



1.普遍性と暫定性
 


 教会には聖霊の賜物が与えられるという事は、いつでもど
こでも、またいつまでも変わらない事実であり、普遍的なもの
です。しかし聖霊の賜物自体は、場所と時代の要求に応じてか
なり異なるものであり、聖霊がお望みになる通りにお与えにな
るものです。また、教会には指導者が存在し、組織がありシス
テムがあるというのは普遍的な事実ですが、どのような指導者
でありいかなる組織とシステムを持つかという事は、状況の変
化によって異なる暫定的なものです。揺籃期のエルサレム教会
で必要とされまた発揮された賜物が、すべて、他の教会でも必
要とされたものとは考えられません。たとえば、バルナバと呼
ばれたヨセフは、慈善の賜物とでも言うべきものを与えられて
いました。またそのような活動のために、エルサレム教会では
7人の世話役とも言える者たちが選出され、システム化が行わ
れました。しかしこのような賜物が、他のすべての教会にも与
えられ、他のすべての教会でも世話役が選出されシステム化さ
れたのではないようです。賜物の種類と組織化は、個々の実情
によって異なっているのです。



 したがって、現在の私たちの教会が、新約聖書に記されて
いる賜物と同じ賜物を、すべて所有しなければならないと考え
る理由はありません。また、新約聖書に記されているシステム
や組織、あるいは指導者の種類と言うものを、すべて同じよう
に持っていなければならないと言うのも、誤っています。「初
代に帰れ」という叫びは、普遍的原則においては正しく、その
適応においては誤っているのです。初代の教会では、広い地域
を旅して歩きながら福音を語り、教会を建て、信徒たちを指導
して回る、使徒的な働きは非常に重要でした。現在のように印
刷物がなく、通信機器もなく、情報のやり取りも実際に会って
話をすることが基本だったからです。それと共に、そのような
働きをする人々を補佐する賜物も非常に重要でした。旅人をも
てなす人。上手に料理をし、一時的に住む場所、眠る場所を提
供できる賜物は、なくてはならないものでした。一方現代の、
少なくても私たちの日本の教会では、そのような役割をあまり
必要としていません。使徒的役割を担う人の重要性は、決して
なくなってはいませんが、小さくはなっています。もてなす人
も大切ですが、たくさんのホテルがあり交通機関も発達してい
るために、必要性が少なくなっています。



 何事でもすべて初代に帰るべきであると主張する人たちの
中には、レストレーション運動と呼ばれる運動に参加している
人々もいます。彼らは、新約聖書に記されているさまざまな賜
物と「役職」を、現代にも回復しようと意気込んでいます。彼
らの間違いは、暫定的なそれぞれの賜物の種類や資質を普遍的
なものと考え、それぞれの状況によって異なる役職やシステム
を、いつでもどこでも同じように押し付けようとする事です。
また新約聖書には、それぞれの賜物が実際にはどのようなもの
であったのか、それぞれの役職やシステムがはたしてどのよう
なものであり、いかなる権威と責任が賦与されていたのかと言
う事についての、細かい説明はほとんどありません。したがっ
て、レストレーション運動に携わっている人々が言う使徒職に
しても預言者職にしても、それが新約聖書の言う使徒職や預言
者職と、同じであると言う保証はどこにもありません。彼らは
自分たちの考えを聖書の中に読み込むことによって、自分たち
の主張を聖書的であると強弁し、一般的に、独りよがりな権威
主義に陥ってしまう傾向を持っています。たとえば自分は使徒
であると公言し、使徒的権威をもてあそびます。預言者である
と公言して勝手な事を言い歩き、多くの教会を混乱に陥れてい
ます。按手を取り上げ、自分たちの使徒の役や預言者の役は、
この按手によって回復したのだと強調します。これは、何が普
遍的であり、何が暫定的なものであるかということの混乱から
生じた誤りです。賜物が与えられると言う事、また、様々な指
導者があり、組織がありシステムがあるということは普遍的で
すが、どのような賜物であるか、どのような指導者であるか、
また組織でありシステムであるかは、まったく時代と場所によ
って、すなわち状況によって異なるのです。また、彼らは使徒
職や預言者職などと言うものに大変固執しますが、果たしてそ
れらが新約聖書の時代には「職」であったか、はなはだ疑わし
いのです。



 先にも触れたように、新約聖書の指導者の働きは、職制に
よる権威の行使ではなく、与えられた聖霊の賜物の行使による
指導者だったからです。一般的に、新約聖書時代にあった職制
は、使徒職だけだったと言われています。預言者というのは、
旧約では職かそれに近いものであったが、新約では職ではなく
賜物の行使であったと考えられています。しかし、新約聖書を
素直に読むならば、使徒という働きさえも職とは考えられない
ものです。初期の教会は、自殺したユダの代わりにマッテヤを
選出するなど、12使徒を重要視していた様子が伺えます。
(使徒1:20−26) しかし間もなくヤコブが殺されまし
たが、ヤコブの後継者は選ばれませんでした。(使徒12:2)
 新約聖書の中には、使徒たちが使徒職を担う者として重要な
役割を果たしたということが、ほとんど出て来ないのです。ペ
テロの働きの重要性は疑いの余地がありませんが、使徒職を担
う者として重要だったのだとすると、かえって矛盾が出て来ま
す。コルネリオの件についての弁明やエルサレム会議において、
ペテロは使徒職の権威には訴えていないからです。(使徒10
:1〜12:18、15:7〜11) ペテロは自分を使徒と
して紹介してはいますが、また長老であるとも語っています。
(Iペテロ5:1)ヨハネは自分を使徒と呼ぶより長老と呼ぶ
ことを好んだようです。(Uヨハネ1:1、Vヨハネ1:1)
 パウロは自分の使徒性を強く主張しましたが、それは自分の
使徒職という職制、立場に固執したのではなく、彼の語る福音
の権威に使徒性があり、それは他のどの使徒に比べても劣るも
のではないと訴えているのです。さらに、もし当時、使徒と言
う役職が重要なものとして認識されていたならば、聖書記者た
ちをはじめ、教会全体が、もっと注意深く「使徒」と言う言葉
を用いた事でしょう。後述しますが、使徒と言う名称はかなり
曖昧に、単なる大切な使いと言う意味でも使われるほどだった
のです。使徒職に多大の権威を認めていたならば考えられない
事です。



 そういうわけで、新約聖書の時代の教会は、強固な永続的
な職制と言うものを持っていなかったと考えられます。むしろ
彼らが認めていたのは、賜物の行使による指導者としての立場
と働きだったと言えます。それぞれに託された賜物を自由闊達
に行使し、その賜物と働きが認められ、誰が任命し誰が承認す
ると言う事ではなく、自然に認められて行ったものでしょう。
その自然に認められる過程に、使徒たちの賞賛や推薦があった
り、預言者たちの言葉があったりした可能性は、認める事が出
来るでしょう。ですから、キリストが12人を使徒としてお選
びになった場合でも、使徒という永続的な役職を創設した上で
12人をそこに入れたのではなく、12人の弟子を内弟子とし
て選び、使徒と言う名前をお与えになったのでしょう。パウロ
は自分もキリストに出会い、キリストによって特別な働きに任
じられ、新たな奥義の啓示を与えられた事をもって、他の使徒
たちと同じ権威を持つ事を主張したのであり、同じ役職と、そ
の役職による権威を主張したのではありません。



2.地域教会の指導者 

 

 新約聖書を見ると、明確ではありませんが、地域教会に限
定された指導者と、地域教会を越えた有機的教会の指導者、そ
して普遍的教会の指導者とも言える働きがあったと考えられま
す。



 地域教会の指導者としてはまず、長老と呼ばれている働き
があります。長老という名は、元々ユダヤ教の会堂の指導者に
与えられていた役割で、年を重ね、豊かな人間性を身に付けて
尊敬を集めている者で、旧約聖書を教え、会堂の構成人員を指
導し、責任者として管理を行っていた人物です。揺籃期の教会
はこのユダヤ教の会堂をモデルとして建て上げられ、そこから
いろいろな要素を取り入れていますが、長老と言う名と働きも
そのひとつです。ひとつの地域教会には、必要に応じてひとり
ないし複数の長老がいて、互いに協力して活動していたと思わ
れます。当時の多くの地方教会は複数の会衆から成り立ってい
たということを考えると、長老たちはそれぞれの会衆の責任を
持っていたのではないかと考えられます。



 この長老はまた、監督とも呼ばれていますが、(Iテモテ
2:1)この名前にはギリシヤ的な響きが強く、組織の管理者
としての働きが強調されていると考えられます。新約聖書の用
語としては、長老も監督も同じ働きであると理解されますが、
(使徒20:17、28、テトス1:5〜7)2世紀の中頃ま
でには、ひとつの教会の中に複数の長老がいて、その長老たち
の上に監督がいるという形が出来上がり、それがやがて複数の
教会を監督する権威を得、さらに3世紀になると、より広い地
域全体の教会を管理監督する権威を持つようになって行きまし
た。 



 しかし、新約聖書に記されている頃の教会では、長老ある
いは監督と言う働きは、一地方教会に限定されていた働きであ
り、多分、現在の牧師に最も近い役割を持っていたと考えられ
ます。新約聖書には、「牧師」という言葉は一度だけしか使わ
れておらず、まだ一般的な働きとして定着していなかったよう
ですし、その働きの内容は不明です。(エペソ4:11)ただ、
このエペソ書の記述をギリシヤ語文法にしたがって「牧師すな
わち教師」と読むと、牧師の主な働きは教えることであったと
理解されます。あるいはこの頃の牧師と言うのは、長老のよう
な管理的な働きには関わらず、もっぱらみ言葉を教える働きに
専念していた人たちと考えられなくもありません。また、Iテ
モテ5:17の記述から考察して、長老にも教えの働きをする
長老と、管理をする長老がいたと考えられなくもありません。
これらの長老たちの働きはかなりの量であり、ボランテイアで
出来る範囲を超える場合も多かったようで、会衆が彼らの経済
の支援をすることも普通であったようです。(Iテモテ5:
17−19)



 地方教会に限定されていた指導者には、もうひとつ、「世
話係り」とでも言うべき役割の執事と言われるものがあります。
エルサレム教会が日々の配給のことで紛糾した時、(使徒6:
1〜6) その解決のために選ばれた7人は、執事とは呼ばれ
てこそいませんが、この役割を果たしたものと考えられ、この
ような働きをする者が、少し後になって執事と呼ばれるように
なったのでしょう。長老は主に霊的な指導と教会全体にわたる
管理の働きに関係していましたが、執事は長老の指導の下で福
祉関係の働きをしていたと考えられます。また、執事の中には
女性もいたと言うことが記されています。(Iテモテ3:8〜
13)











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2010年11月04日

教会について 2−27

p172〜179

 
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 2.賜物を活かす賜物



 信徒たちの中で、指導的役割を果たす賜物を持っている者が
指導者になる事は当然であり、それはそれで良いことです。し
かし、その指導者たちが他の信徒たちの役割としている働き
を、取り上げてしまってはならないのです。エペソ書4章のパ
ウロの教えを読むと、教会の中の使徒、預言者、伝道者、牧師
または教師の役割は、自分たちだけですべての働きをやり遂げ
てしまう事ではなく、信徒たちを整えて、彼らが働く事が出来
るようにして行くこと、すなわち教会に賦与された様々な賜物
を活かす事です。言うならば、様々な賜物を活かす賜物を持つ
者が指導者です。ここで「整える」と訳されている言葉は、元
々、外科医が骨折などを治療するという意味で用いられていた
もので、修理をするとも準備をするとも訳される言葉です。キ
リストがガリラヤ湖のほとりで漁師たちをお召しになった時、
漁師たちは網を繕っていたと言われていますが、この繕うと訳
された言葉が、原語では整えると訳された言葉と同じであると
いう事です。



 従って、教会の指導者たち、現在で言うならば教職たちを含
む働き人は、賜物を活かす賜物を与えられた信徒であり、他の
信徒たちが、各々に任せられた賜物を最大限に活用し、教会と
して活動をして行く事が出来るように、予め修理をし、準備
し、整えておく事こそが彼らの仕事です。たとえば、宣教師が
宣教の働きを進めて行くのは当たり前ですが、その働きを自分
ひとりの力で進め、自分の功績とするのではなく、あくまでも
教会の業として宣教を進め、自分の周囲の信徒たちすべてと共
に賜物を活かし合い、宣教の業に参画して働けるようにするの
です。信徒たちが宣教の業に参画し、賜物を活用できる働き場
を見つけ、働きをよりよく遂行出来るように賜物を整え、教え、
指導し、訓練し、励まし、また、修繕をして行くのです。牧師
が牧会の働きをするのは当然ですが、これも牧師の専門の働き
と考えて、ひとりで進めるのではなく、教会の信徒たち全員の
参加を促し、全員の力で共同の業としてやって行くのです。信
徒たちが自分たちに託された賜物を用いて、司会をし、奏楽を
し、小さな集会の責任を持つ事は、普通に行われている事でし
ょう。また、役員として牧師を補佐する信徒たちもいる事しょ
う。牧師の右腕と言われるような、便利な信徒も出て来ること
でしょう。しかし、あらゆる集まりで説教をし、聖書を教え、
責任をもって教会の活動計画を作成し、伝道のプログラムを考
案し、訪問伝道に歩き回り、家庭集会の開催を推し進めていく
信徒がいて良いのです。と言うより、そのような信徒が出現す
べきなのです。信徒は牧師の右腕ではなく、キリストのみ体の
肢体なのです。



 牧師の働きは、現在の牧師たちが行っているような働きすべ
てを、信徒たちがそれぞれに任せられた賜物を用いて、協力し
ながらやり遂げられるように、整えて行くことです。ひとりの
信徒には無理であるならば、多数の信徒で出来るようにするの
です。現在の私たちの団体の教会は、公平に見てなかなか優れ
ているものが多いと思います。しかし、牧師より説教が上手な
信徒がいる教会は、滅多にあるものではありません。牧師より
聖書を教えるのが上手な信徒がいる教会も、知りません。教会
の中には、牧師より優れた説教の賜物を任されている信徒もい
るはずであり、牧師より上手に教えることが出来る賜物を、委
ねられている信徒もいるはずです。



 教会の中には、牧師には出来て信徒には出来ないという働き
はありません。教職にだけ許されていて、信徒には許されてい
ない働きがあるという考え方は、たとえ実際的な多くの理由が
あるにせよ、基本的に誤った教会論に基づいていると言わざる
を得ません。たとえば私たちの教団では、原則的に、正教師で
なければ洗礼式と聖餐式、ならびに結婚式と葬式を執り行うこ
とが出来ません。信徒の中に聖職者と平信徒という二重構造を
持つことは誤った差別です。もちろん、たとえば結婚式や葬式
といった、より社会的要因の大きな事柄については、社会的な
信用などを重んじて、ある程度年齢の進んだ正教師が執り行う
ことには、それなりの意味がある事でしょう。また法律的に代
表役員となっている牧師には、牧師にしか出来ない働きもある
ことでしょう。しかし、教会の働きとして、洗礼と聖餐は福音
宣教の基本であり、宣教の一部です。それを信徒の集団である
教会から取り上げ、教会の中の少数者に過ぎない者の独占にす
るのは、聖書の教えに反します。システム、制度、組織が、自
由闊達な賜物の性格を殺してはならないのです。



 教職者制度は長いキリスト教の歴史の中で形成された習慣で
あり、誤った教会の誤った伝統です。プロテスタント教会は、
カトリック教会に反対して形成され、神学も多くの分野で反カ
トリックではありましたが、聖職者を中心に発展させられた神
学と制度は、多くの分野でそのまま引き継がれてしまいまし
た。余計な分野でカトリック教会と戦いたくはなかったのか、
真実な意味で聖書の教えに戻ることがなかったかです。



 プロテスタント諸教派の中でも、「信徒の活動」という様相
が強かった、アナバプテストや分離派の中には、急進的な聖書
主義を採る人々が出現し、聖職者中心主義から信徒中心主義に
移行して行きましたが、この人たちがプロテスタント教会の中
心になる事も、神学の分野で指導的立場を取る事もありません
でした。神さまがそれをお許しにならなかった理由が、他にあ
るのでしょう。ただ、はっきりしている事は、現在の多くの教
会が取り入れている教職制度は、多くの局面で聖書の原則に反
し、本来の、信徒の集団としての教会のダイナミックなバイタ
リテイー、自由闊達な活力を失わせる傾向にあるということで
す。指導者の役割は、信徒全員が賜物を活かして主に仕え、教
会の徳を高めて行けるようにすることです。
  


3.正当化出来る指導者制度



 指導者制度は、賜物を活かしたものでなければなりません。
現在の教職制度の存在が正当化されるのは、教職制度そのもの
が賜物を生かした制度となり、また、賜物をより活発に活用さ
せる役割分担となる場合だけです。すなわち、教職制度という
制度があるから、その制度に則って教職を育てるのではなく、
賜物を活発に用いて活動していることが教会全体に認められ、
また受け入れられ、さらに指導者としての資質も品性も備わっ
ていると判断されて、教職者として押し出され、立てられるの
ならば良いのです。ところが現実は、そのような賜物の行使が
認められる前に、聖書学校に送られ、聖書学校を卒業すると教
職者になる資格が与えられるという道筋になっています。その
結果、教職者として必要な賜物を与えられていない者が、教職
者になってしまう悲劇が起きています。ない袖は振れぬと言い
ますが、ない賜物は行使出来ないのです。牧師になるに相応し
い賜物を持っていない者が、牧師となってはいけないのです。
一方、教職者と言われる立場とその働きで主に仕えるべき、指
導者としての賜物を与えられている多くの信徒たちが、教職者
になれないばかりに、賜物を活かすことがないでいるという、
悲しい事実も存在します。



 聖書学校が、教職者になるに相応しい賜物と資質を示して
いる者に、さらに良い訓練の場を提供するためにあるのならば
良いことです。しかし実情は、聖書学校を出ていない者は教職
者とはなれないか、非常になりにくいのです。聖書学校という
狭い門を通る事が出来るのは、ごく僅かの者だけです。多くの
者は賜物を与えられ、それを用いたいと願い、その場を求めて
いながら与えられないで、教会の椅子を暖めるだけの信徒にな
っています。少数の者だけが賜物を用いる場を与えられ、賜物
を磨き、教職者となる資質を見せていますが、彼らの中のほと
んどが、聖書学校に入るだけの条件は整わず、結局、賜物の最
善の行使が出来ないでいます。



4.賜物の活用と謙遜の美徳



 教会は、ありとあらゆる賜物が自由闊達に行使され、賜物
を行使する者同士が互いに認め、互いに尊敬し、互いに受け入
れ合う事によって機能し、与えられた使命を果たして行くこと
が出来るのです。どのように小さく見える賜物でも、それが主
の栄光と教会の益のために用いられる時は、大いにそれを喜び、
感謝し、認め、受け入れて行く事が肝要です。時には、賜物が
道筋を外れて、主の栄光にも教会の益にもなっていないことさ
え出てくるでしょう。それをまた上手に修正し、正しい賜物の
用いられ方に、直していく賜物を持っている人も出てくること
でしょう。賜物の行使は大いに認められ勧められ、励まされ受
け入れられるべきです。賜物は隠しておく謙遜の美徳のために
与えられたのではなく、用いられるために与えられたのです。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 日本人は、自分の能力を隠してお
くことに美徳を感じます。ある時、お
花を教えて生計を立てている姉妹に、
講壇の横のお花を生けてくださるよう
にお願いしたところ、「私など、とて
もそのようなことは・・・・」と断ら
れてしまいました。「こんな貧乏教会
の小さなお花を、何で私が生けなけれ
ばならないの?」と言われたのかと、
思わずひがみそうになりましたが、お
断りするのが、美徳であると考えてお
られた様子です。それに比べると、私
の愛するフィリピン人たちは、謙遜と
いう言葉をあまり知りません。ちょっ
と教えると何でも出来ると思い込みま
す。お花のことなど常識程度しか知ら
ない家内が、フィリピンの聖書大学の
女子学生たちに、日本の文化という話
の中で、2時間ほどお花の実践をし
た事があります。すると、その女の子
たちは早速、「私たちはお花を知って
いる」と言い出しました。フィリピン
人は天真爛漫なでしゃばりです。フィ
リピンで育った私の娘に、「私は知っ
ている」と言わさず、「わたしに出来
る」と語らせないために、随分苦労し
たものです。フィリピン人には申し訳
ないのですが、フィリピン人と初めて
お付き合いをする人は、彼らの「安請
け合い」に注意しなければなりません。
何でも気軽に「俺に任せておけ。大丈
夫」と言って安心させてくれるのです
が、まず、ほとんどの場合は、何だか
んだで、結局、出来ず仕舞いに終わっ
てしまうのがオチです。



 ですから、フィリピン人クリスチ
ャンは、教会で伝道の話をすると、す
ぐ、伝道について知っていると思い込
みます。すぐ、自分にも出来ると考え
ます。そして、誰にも相談しないで、
適当なところで伝道を開始します。多
くの場合は、失敗に終わります。しか
し、10にひとつくらいは成功します。
何もしないよりは余程良いのです。そ
して失敗した90パーセントの者も、
まったく悪びれず、深刻にもならず、
ちょっと励まし指導すると、また試み
ます。私が北部山岳地で14年間働い
て、宣教師を辞める時には、9つの教
会と、およそ、50ほどの伝道所が建
てられていましたが、そのほとんどが、
このようなフィリピン人の性格から来
る、信徒たちの自主的な伝道活動によ
るものでした。賜物を用いると言う事
では、フィリピンの教会は日本の教会
より、ずっと優れていると言わざるを
得ません。宣教師として私がしたこと
は、彼らをおだててその気にさせ、そ
の気にさせ続けて止めなかった事だけ
です。神は彼らにも、賜物を豊かに与
えておられたのです。自分に任せられ
た賜物について誇ることは愚かですが、
隠すことはさらに愚かです。賜物は主
に委ねられた物であって、自分の物で
はないのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 賜物は用いられなければ失われてしまいます。反対に用い
られると増えて行きます。それはキリストが、タラントの喩え
をもって説明しておられる通りです。私たちの教会は実に多く
の賜物を失って来たのではないでしょうか。また、失いつつあ
るのではないでしょうか。その理由のひとつが、日本人の美徳
である謙遜であるとしたら、謙遜もほどほどにと言いたくなり
ます。



5.賜物の活用と寛容



 日本人はまた、異常なほど間違いを恐れます。間違いや失
敗を指摘されることを非常に恥ずかしい事として嫌います。ま
た、間違いを犯した人や失敗をした人をなかなか許すことが出
来ず、あれこれと言い続けます。まさに一億総批評家です。寛
容を持ち合わせず、寛容を期待出来ないのです。そのために、
何事をするにも非常に慎重になり、間違いを犯さないように、
準備に大変な時間と費用と労力を費やします。立派に物事をや
り遂げるために、慎重な準備をするには越した事はありません
が、物事を最善にやり遂げるためというより、他人から後ろ指
を指されたくないから、後で批判されたくないからと言って、
慎重に、慎重に物事を準備する事が、いかに多い事でしょう。



 日本のことをよく知っているイタリア人が、「日本人は百
円のビジネスに千円かけて準備をする」と笑っていましたが、
笑えないところがあります。確かに日本人は、石橋を叩いて渡
らないどころか、叩きすぎて壊してしまい、結局、渡れなくし
てしまう事があるからです。その点、アメリカ人などちょっと
叩いただけですぐ渡り始めます。フィリピン人などは叩きもし
ないで先ず渡り始めます。ですから何でもすぐに始まります。
始まってすぐ失敗しても、誰もあまり厳しい批判もしません。
失敗した本人もたいして悪びれる様子もなく、懲りずにまた何
かやり出します。フィリピン人にとって大切なのは、何か新し
いことを始める事で、それを持続する事ではありません。です
から国家プロジェクトから始まって、町内会のプロジェクトま
で、毎年新しい事が始められ、2、3ヶ月後にはそれが放棄さ
れて建物は廃墟となり、施設はみな放棄されて泥棒の盗むまま
にされます。そして次の年にはまた新たなプロジェクトが作ら
れ、盛大に完工式が行われ、開催式が挙行されます。人々は食
べて歌って楽しみます。そしてまた来年が来るのです。



 このような外国人たちと協力して仕事を進めると、歩調が
合わずに大変苦労します。私たち日本人があれやこれやと考え、
将来のことを予測し、想定し、資源を調査し、持ち駒を評価し、
可能性を考えている間に、彼らはさっさと始めてしまうのです。
そして、日本人がやっと「よし、やれそうだ。やってみよう」
と言って重い腰を上げ、話に加わろうとする時には、もう彼ら
は他の事を始めているのです。「あれ、あの話はどうなったの」
と言うと、「何を今さら。あれは上手く行かなかったから、も
う止めにして、次の方法を試しているところじゃないか」とな
るのです。それぞれ長所短所がありますが、賜物を活用すると
言う意味では、フィリピン人のやり方に軍配が上がります。賜
物は用いられてみて初めてその有無が判るものであり、用いら
れなければ有無も判らず、改善する事も磨きをかける事もない
からです。



 本来、教会の働きはビジネスの働きと違い、専門家集団の
仕事ではなく、基本的に素人の仕事です。賜物を用いようとし
て失敗する人がいても、それを受け入れ、許し、励まし、慰め
る人がたくさんいなければなりません。寛容のないところに、
本来の自由闊達な賜物の活用はあり得ません。賜物の活用には
必ず失敗が付いて回るからです。さらにまた、喜んで他人の失
敗の後始末をする賜物を持っている人が、現れなければなりま
せん。「聖徒たちを整える」という言葉には「修理をする」と
いう意味もあるのです。整えるとは修理をし、後始末をし、次
に備えることです。そのような寛容な精神を持たずには、賜物
の力は発揮されないのです。



 日本では、あまり洗練された能力を持っていない人が何か
しようとすると、善意を持ってそれを止める人がたくさん現れ
ます。フィリピンでは善意を持って励ます人がたくさん出現し
ます。日本では始める前にたくさんの警告をもらうのが普通で
す。フィリピンでは、大概は無責任な言葉ですが、それでも励
ましと支援をもらえます。 繰り返しますが、 フィリピン人が
「俺に任せておけ」と言う時は、絶対に信頼して任せてはなり
ません。裏切られて、フィリピン人が嫌いにならないためにで
す。せいぜい信頼しないで任せることです。そんなわけで、日
本では信徒が何か始めると、牧師が「だめ」と止めがちです。
フィリピンでは勝手にさせてもらえる事が多いようです。私た
ちは教会の中で賜物を用いようとしている人に対して、フィリ
ピン人ほどにはならなくても、せめてイエス様ほどにはなりた
いと思います。失敗ばかりしている弟子たちを信頼して、仕事
をお任せになっているのです。イエス様は、弟子たちの失敗の
後始末をする覚悟でおられたに違いありません。失敗から学ぶ
ことの大切さを、イエス様はご存知だったのでしょう。



 日本の教会で、教会を飛び出す熱心な信徒の多くが、自分
がしようとしている事を牧師に止められたために、嫌になった
者たちです。走り始めてスピードに乗り出した頃、「だめ」と
止められると、ガツンとぶつかって転んでしまうのです。しか
し、スピードに乗っている者を褒め、励まし、さらにスピード
に乗らせ、ちょっとだけ横からサジェッションをして、ほんの
少しだけ方向を変えるのは、あまり難しくありません。2回か
3回、ちょっとだけ方向を変えさせると、最初とは随分違う正
しい方向へ向かうものです。賜物は、第一に自由に溌剌と用い
られるべきです。賜物を用いようとして失敗したものを責めて
はなりません。悪いのは賜物を用いようとしないことです。用
いようとしている者を止めてはなりません。方向が誤っている
ならば、励ましてあげながら、ちょっと横から力を貸すと、方
向は変わります。「やー、それはいいね。ぜひやったらいいよ。
特にこの辺はいいなあ。そして、ここはもうちょっとこうした
らどうかな・・・・」と一緒に考え、祈って上げるのです。

   

C.賜物のシステム化



 賜物と言う物は神からの物であり、自由闊達に用いられる
べきだと述べましたが、自由闊達に用いられておればそれで良
いと言う物はありません。賜物は、教会として、キリストのみ
体として、より効果的に用いて行けるように、上手にシステム
化されなければなりません。体全体が調和を保つためには、そ
れぞれの肢体が自分をわきまえ、自分の機能を知り、自分の出
幕を心得ていなければならないのと同じです。このシステム化、
あるいは組織化は人為の働きです。



1.賜物とシステムを取り違えない



 賜物を整備してより良く使われるようにし、より良く機能
するようにするのがシステム化です。システムは賜物ではあり
ません。賜物とシステムを取り違えてはならないのです。また
システムは、賜物を使いにくくしたり、機能を弱めたりするた
めに存在するのではありません。賜物は先ず、自由闊達に用い
られるべきであり、何よりもそれが優先されるべきです。次に、
それが上手に機能し、互いに補い合い、助け合うように、シス
テムが作られ組織が建てられるのです。システムや制度、ある
いは組織と言ったものを先行させて、賜物をそこに押し付ける
のは前後が逆です。賜物があってシステムが必要なのです。



 また多くの場合、システムあるいは組織というものは、い
ったん作り上げられると、自由闊達な働きを効果的にするとい
う本来の目的を失い、それ自体の存続のために働き出すという
性質を持っています。つまり、日が経つにつれて、賜物がシス
テムに取り違えられてしまうのです。たとえば教会の長老とか
監督と言われる立場は、教会全体の賜物がより円滑にまた効果
的に用いられ、機能するために設けられました。しかし間もな
くこれは、多くの信徒の賜物を用いさせないで、選ばれた小数
の特殊な人々が、働きを独占するために存続するようになりま
した。聖書学校は本来、賜物にさらに磨きをかけるために創立
されました。しかし間もなく聖書学校は、そこで学ばない人は
教職にはなれないようにする、狭い門となり、多くの人々の賜
物を用いさせないようにする、効果的手段となりました。



 システムや組織は存在しなければなりません。それは有機
体である教会の骨格のようなものであり、それぞれの部分を体
として調和の取れた存在にさせるものです。手が手首に繋がり、
腕に繋がり、肩に繋がり、足がすねに繋がり、膝に繋がり、腰
に繋がるように、それぞれの持ち場で最善に機能させるのがシ
ステムや組織の役割です。教会とは個々のクリスチャンが自由
に集まり、それぞれの賜物を活発に用いて自由に活動するだけ
では足りないのです。それぞれが有機体として繋がっているこ
とを理解し、さらにより良く機能するように、それぞれの賜物
に応じて持場立場が与えられ、体を形成するのです。クリスチ
ャンたちがそれぞれ自分の能力や技術などの特性を生かして、
主のためにまた教会のために活動するのは素晴らしい事です。
しかしただ、てんでばらばらに活動し、脈略もないまま勝手に
動き回っていたのでは、効果的な働きは出来ないばかりか、互
いに相反する力となったり無駄な重複となったりしてしまいま
す。



 しかしその一方で、システムや組織を先に立てて、実際の
賜物の有無を確かめず、ただシステムや組織があるからといっ
て、それに人間を当てはめるような事をし出すと、賜物は生か
されません。まず、自由な賜物の行使が生かされ、用いられる
ようになり、それがより良く形を整え機能するように、システ
ムとされ組織とされて行かなければなりません。賜物がなけれ
ばシステムも組織も機能しないのです。キリストは使徒という
役職を制定し、その職のために12人を選んで任命されたので
はありません。むしろ多くの弟子たちの日ごろの生活態度や能
力を、じっくりと時間をかけて観察し、深い祈りをもってそれ
らを吟味し、ご自分のお働きを託すに相応しい12人を選び出
し、その上で、彼らに使徒という名前をお与えになったのです。
役職や立場が先ではなく、賜物の行使が先なのです。



 もうひとつ大切なのは、システムや組織はあくまでも暫定
的なものであり、地域や状況によっても異なるものであると知
ることです。たとえば、家族や親族、あるいは地域社会の人間
関係を非常に重要視する文化の中の小さな開拓教会が、欧米流
の個人主義に根ざした青年会、婦人会、壮年部などという組織
を模倣するのは、はたして効果的でしょうか。人々の賜物もま
た、文化や社会状況によって異なった行使の仕方になって現れ
ます。ですから、作り上げるシステムや組織は常に柔軟でなけ
ればなりません。それは有機的命を生かすための無機的な殻で
あり、骨格なのです。



 ずいぶん前のことですが、海岸の岩の上を歩いていると、
脱皮をしている最中の蟹に出くわしました。しっかりと岩をつ
かみ、体を震わせながら、なんとも頼りなげなあめ色の柔らか
い蟹が姿を現しました。それが意外に早く殻を脱ぎ捨て、静か
にたたずんでいたかと思う間に体が茶色くなり始め、やがて、
脱ぎ捨てたからを置き去りにして岩間に消えて行きました。息
をひそめて見つめながら、自然の神秘に触れた気がしました。
あのような複雑な形をした殻を、よくも上手に脱ぎ捨てるもの
だと、驚嘆する思いでした。まだしっかりと岩を抱いている殻
をそっと取り上げてみると、殻はカサコソと意外に軽く、波を
呼ぶ風に吹き飛ばされそうになりました。私はこの殻を長いこ
と自分の机の上に置き、自戒としていました。蟹の殻は命であ
る蟹を守る無機質な組織です。これは命を維持するために絶対
に必要です。しかし、殻は常に脱ぎ捨てられなければなりませ
ん。脱ぎ捨てられるように出来ているのです。これをいつまで
も持ち続けようとすると、蟹は死んでしまうのです。



 教会がシステムや組織をいつまでも大切に保存し続けよう
とすると、それが守り生かそうとしてきた命である賜物が死ん
でしまいます。異なった環境に入ったり異なった賜物が与えら
れたりした時に、それまでと同じシステムと組織を、同じよう
に継続し、同じように運営しようとしていては駄目なのです。
成長している命に対応した新たな殻が必要だからです。











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2010年11月03日

教会について 2−26

p165〜172


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IX.教会の装備・賜物



 教会が与えられた使命を遂行し、働きを立派にやり遂げる
ために、神は、教会を装備してくださいました。教会に対して、
「徒手空拳で仕事をせよ」とおっしゃったのではありません。
教会が神の贖いの御計画の一端を担う大切な働きである宣教を
成し遂げ、遣わされたこの世界でしっかりと生きて成長して行
けるように、神は聖霊の賜物という装備を与えてくださいまし
た。教会は神に与えられる能力、聖霊の賜物によって神に託さ
れた使命を遂行し、働きを成し遂げて行くように定められてい
るのです。



 教会の歴史の中で、聖霊の賜物という主題について論じら
れ始めたのは、聖霊の働きを強調したペンテコステの信仰を標
榜する人たちによってであり、せいぜいここ100年のことです。
最近は伝統的なペンテコステ派に属する人々より、むしろカリ
スマ運動や第三の波運動の人々が、この分野に関心を持って活
動しているようです。しかし、何分、教会論がしっかりしてい
ないものですから、賜物に対する興味だけが先走りしている傾
向もあり、いろいろな混乱も起こっているようです。



A.賜物の理解



 そこで聖書が教える賜物について学ぶ前に、伝統的なペン
テコステ派の人々が、一般的にどのように賜物を理解し、それ
に対してカリスマ運動や第三の波運動の人たちがどのような理
解をして来たか、簡単に見ておきましょう。



1.伝統的ペンテコステ派の人々の一般的理解



 伝統的ペンテコステ信仰を持つ人々にとっては、何と言っ
ても聖霊のバプテスマの経験こそが、自分たちの特筆すべき経
験であり、ペンテコステ信仰の基本でした。その中から同じく
聖霊の働きに関わり、また、聖霊のバプテスマの目的とされて
いる宣教の力にも関わる、聖霊の賜物が理解されて来ました。
そのためか、幾つかの特徴的な考え方が生まれました。その第
一は、聖霊のバプテスマが超自然的であるように、超自然的な
賜物が強調され、自然の能力や後天的な習得による能力、ある
いは技能などというものにあまり関心が払われなかったことで
す。その結果、教会に与えられる賜物の範囲を狭め、行使の場
も狭めて来たきらいがあります。第二に、そのような超自然の
賜物の強調から、Iコリント12章4−11節に列挙されてい
る賜物をすべて超自然の賜物と考えて、さらに、これらの賜物
は聖霊のバプテスマを受けた者にだけ与えられるものであると
理解し、これらの賜物に対する不必要な思索を加えたことです。



 そのために、聖霊のバプテスマを経験していない人たち、
また聖霊のバプテスマを否定する教会には、聖霊の賜物が与え
られていないかのように言う独善的態度に陥り、他の教会との
間に不必要な隔たりを設けてしまいました。ただし時代が進む
につれて、ペンテコステ信仰を持つ人々もかなり公平に聖書を
読む態度を身に付け、最近では伝統的な理解の立場を取る人は
まれになって来ました。



2.カリスマ・第三の波運動の人々の一般的理解 



 伝統的なペンテコステ運動に啓発されて興りながら、神学
的にはそれに反発するようなところを多分に持つこの運動は、
賜物の理解においてもペンテコステ派の人々の考え方から発生
しながら、それに捕らわれず、聖書的発展をさせたところがあ
る一方、反発しながらも捕らわれている所もあります。 



 この人々は、賜物というものをペンテコステ派の人々より
も広い意味で捕らえ、超自然的な賜物だけではなく、生来の能
力、資質といったものから、後天的に習得した能力や社会的立
場、さらにはそれに付随する権力などまで含めて考える傾向を
見せています。これは、より広範囲に聖書を読み、たとえばロ
ーマ書12章3−8節やエペソ書4章4−16、あるいはIコ
リ7章なども取り入れた考え方です。



 またこの人々の特徴には、ペンテコステ派の人々と同じよ
うに、Iコリ12章に列挙されている9つの賜物は、すべて聖
霊のバプテスマを受けた者だけに与えられると、判断している
ように見られる点が挙げられます。と言うよりも、彼らは一般
に、聖霊のバプテスマに対する見解が、伝統的ペンテコステの
信仰を持つ人々と異なり、異言を語らなくても聖霊のバプテス
マを受けている事があり得ると主張し、聖霊のバプテスマの証
拠はむしろ、超自然的賜物にあると言おうとしているように見
受けられます。彼らはしばしば、癒しの賜物を持っている事が、
あるいは預言の賜物を持っている事が、聖霊のバプテスマを受
けている「しるし」であると主張しているからです。「私は異
言を語らない。しかし癒しの賜物を持っている。聖霊のバプテ
スマにどうして『低い賜物である』異言が必要であろう」とい
うような、言い方を聞くのです。彼らは異言を否定するのでは
なく、異言が聖霊のバプテスマの「唯一の確かな証拠」である
こと、異言の重要性を否定するのです。



 彼らの見解の良い点は、より広範囲の賜物を認めた事で、
多くの信徒たちがその賜物を行使する勇気と、機会を与えられ
るようになったという事です。教会の働きの様々な分野で、積
極的に自分たちの能力を用いて奉仕をする者が、増えて来たと
いう事が言えるのではないかと考えます。



3.聖書に見る聖霊の賜物

 

 伝統的なペンテコステ派の人々の賜物の理解は、初期の極
めて素人的な聖書の読み方ではありましたが、自分たちの体験
のモデルを聖書の中に見つけ出そうとした、あるいは、自分た
ちの特異な体験を聖書によって説明しようとした、素直な態度
から生まれたものと言えるでしょう。細部においては様々な誤
解を含みながら、歴史に揉まれ続ける事によって、正しいもの
になりつつあると考えられます。それに対し、カリスマ・第三
の波運動の人々は、自分たちが伝統的に持っていた神学の枠の
中で聖霊の賜物を理解しようと試み、結局、聖霊の自由闊達で
複雑な働きである賜物を、聖霊のことをあまり知らない時代に、
聖霊抜きで構築した、「神学の枠という牢獄」に閉じ込めてし
まったと言えそうです。このような運動がどのくらい継続する
かは非常に興味深いことです。  



a.賜物の教会論的見方



 聖書に記されている聖霊の賜物は、個人主義的なキリスト
教には理解出来ないものです。なぜなら、聖霊の賜物は徹底し
て教会論的な理解を必要とするからです。賜物に「聖霊の」と
いう修飾がついているため、聖霊論で取り扱われるものと考え
がちですが、むしろこれは教会論で取り扱われる主題です。た
とえば、Iコリント12章から14章に至るいわゆる賜物の章
は、賜物に焦点をあてて読むと正しく理解することが出来ませ
ん。これらの章は教会について語っているものであり、とくに
教会の中での多様性の一致を強調し、それを賜物という具体的
な事柄を取り上げて説明する中で、聖霊についてもある程度の
説明が加えられているのです。



 この章全体を「聖霊の賜物の章」と考え、それに続く章ま
でも賜物についての言及と見るようになってしまったのは、多
分、翻訳の影響によるところが大きいと思います。1節におい
て「御霊の賜物について」と翻訳されている部分は、英語にお
いても日本語においても、大部分の聖書がそのように訳してい
ますが、原語では「霊的な事柄」というほどの意味であって、
聖霊の賜物という意味はありません。このように訳したのは、
4節以降に聖霊の賜物についての言及が続いているため、それ
に調和させるためなのでしょう。



 しかしもともとの意味が「霊的な事柄」だとすると、聖霊
の賜物と理解する必要はなく、むしろ3節までを見ると、救い
と聖霊の関係、あるいは聖霊による新しい生き方について述べ
ているのであり、教会論の範疇に入ります。そして、その教会
論の中で、4節から聖霊の賜物の多様性、あるいは働きの多様
性を述べると共に、「同じ御霊」、「同じ神」、「ひとつの体」
「ひとつの御霊を飲む」などの言葉をもって、一致ということ
を語っています。すなわちパウロは、ここにおいて多様性の一
致という、教会の最も大切な局面を教えたのだということが明
らかです。そして話を自然に体のたとえに移行させ、キリスト
のみ体もまた普通の体と同じように、各々の肢体に与えられた
能力である賜物が有機的に機能し、互いの助け合いとなり、全
体の調和となって成長して行くのだと語っているのです。です
から、パウロの筆の運びから見ると、パウロが1節で言おうと
したのは「聖霊の賜物についてぜひ知っていて欲しい」という
ことではなく、「霊的な事柄である『教会について』、なんと
しても知らないでいて欲しくない」という事だったと、考える
ほうが正しいのです。



 パウロは確かに聖霊の賜物について語っています。ただし、
それは教会というものが多くの異なった人々、さまざまな能力
や資質を持った人々によって構成されながら、同じ聖霊によっ
て一致調和して存在すべきものであるという事を、賜物と働き
という側面から説明したのです。そして結論的に、教会のすべ
ての構成員は自分を喜ばせるためではなく、全体の益になるこ
と、すなわち『教会の徳を高める』ために、自分に託されてい
るあらゆる能力と資質を用いて、生きるべきであるということ
を教えたのです。



 このように読んで見て初めて、教会の中における、またひ
とりひとりの信徒の中における賜物の位置、重要性というもの
が解って来るのです。伝統的ペンテコステ派の人々の理解にし
ても、カリスマ・第三の波の人々の理解にしても、決定的に足
りなかったのはこの教会論的な理解です。確かに賜物は教会全
体の益のために用いるのだというような、表層的な教えはあり
ましたが、それは有機体としての教会を理解しないままでの教
えですので、表層的でしかあり得ないのです。



 まず、賜物の出所はそれがどのような賜物であろうと、同
じ主、同じ聖霊でです。そこに基本的な有機性を見なければな
りません。主が御心のままに、賜物を分配なさるのです。その
種々の賜物の中に、主の御心による有機的繋がりを認めなけれ
ばなりません。ばらばらの、互いに関連性のない、個々の賜物
などはあり得ないのです。そして賜物は具体的に繋がりを持っ
て活用させるべきものなのです。



 次に、賜物は教会に与えられた物であって、個々のクリス
チャンの所有として与えられたのではありません。キリストの
み体という共同体に与えられ、キリストのみ体の個々の肢体の
管理と活用に任せられていながら、あくまでもみ体全体の益の
ために与えられているのです。個人主義的クリスチャンは、こ
のようなことにまったく関心を示しません。自分に託されてい
る賜物を自分に与えられたものと勘違いし、すべて自分の益の
ために用いているのが普通であるだけでなく、自分の能力を神
から託された賜物である事さえ理解していないのです。本来教
会に与えられた賜物を託された個人が、教会とは何ら関わりの
ない自分の家庭、仕事、儲け、趣味などのために用いているの
です。また、主の栄光のためと言いながら、教会の事など少し
も考えずに自分の好き勝手な事ばかりして、迷惑を掛けている
人もいます。本来成長したクリスチャンの仲間に入れられるべ
き宣教師たちの間にも、地域教会や有機的教会の事を爪の垢ほ
ども考えないで、自分の功績ばかり追及しているとしか思えな
いような、活動をしている者が数多くいます。



 賜物は教会の中で、教会の調和と一致の理念の中で用いら
れるべきものです。ですから、体のすべての肢体が、常に全力
で機能する事が良い事ではないように、個々のクリスチャンに
託された賜物も、常に用いられる事が良いとも限りません。体
の他の部分と調整するために、半分の力だけを用いたり、まっ
たく休んだりする事さえ大切な場合があります。教会の中の強
い者が、弱い者のために歩調を緩める思いやり、痛んでいる者
のために荷物を軽くして共に担ぐいたわり、失敗して落伍しそ
うになっている者を裁かず、手を伸ばしてあげる寛容が必要な
のです、御霊の賜物は御霊の実によって覆われて用いられなけ
れば、誇り高ぶりとなり、痛め傷つけるものとなってしまうの
です。賜物は教会全体の益のために与えられています。教会に
益を及ぼさないような賜物の用いられ方は間違っています。



 このようにして、賜物が教会という共同体の中で共同体全
体の益のために用いられて行くことによって、共同体全体とし
て、主に与えられた使命を遂行して行けるようになるのです。
賜物には宣教の働きに直結した物もあれば、直接には何の関わ
りもないように思える物もあります。教会は機械的組織ではな
く有機的共同体です。すべての部分の働き、すべての肢体の機
能が、体全体の益のために活動し、体全体として与えられた働
きを成し遂げて行くのです。



b.賜物の種類



 ところで、先に、ペンテコステ派の人々とカリスマ第三の
波の人々に、賜物の理解に違いがある事について触れましたが、
この点についてもう少し説明を加えながら、話を進めましょう。
初期のペンテコステ運動の人々には、賜物を超自然の能力に限
る傾向がありました。現在ではそこまでは行かなくても、超自
然の賜物をより重要視する傾向があります。超自然の賜物を強
調するのは、何もペンテコステ派の人間に限った事ではなく、
カリスマ・第三の波運動の人たちの間にでも普通の現象のよう
ですが、ペンテコステ派の間にその傾向がより強いと感じられ
ます。一般的に、ペンテコステ派の人々は生まれながらの能力
や、学習や訓練によって習得した能力を、単なる能力とみなし
て賜物とは認めないのに比べ、カリスマ・第三の波に属する人
たちは、より広く理解して、天性の能力、後になって習得した
能力、さらには生まれつきの性格や資質、さらに資産や財産ま
でも賜物と見るようです。



 ペンテコステ派の人々は「聖霊の」という修飾語を大切に
し、聖霊に直結しない能力は聖霊の賜物とは看做したくないよ
うに感じられますが、「聖霊の」という言葉をそのように狭く
理解する必要はないと考えます。パウロの記述によれば、聖霊
が、召されたひとりひとりをキリストのみ体にバプタイズして
くださったのですが、また、「神は御心に従って、体の中にそ
れぞれの器官を備えてくださった」と語り、 (Iコリ12:
18)バプタイズされたひとりひとりも、明確に「賜物」とい
う言葉こそ用いてはいませんが、賜物として教会に与えられて
いるのだとも、言っているように読み取れます。これはエペソ
書4章3−16で語っている事柄と、基本的に同じです。信徒
たちの能力や資質が賜物であるだけではなく、信徒たちそのも
のが神から教会に与えられた賜物なのです。神は、悪魔の子と
して自分の父に仕えていた者たちを、キリストの血潮で買い取
ってご自分の所有とされ、その買い取られた者を賜物として、
教会にお与えになったのです。ですから、聖霊によってバプタ
イズされた者は、所有するすべての資質すなわち、力、能力、
性格、身分、学力、資産、地位などと共に、あるいは弱さ、不
完全さ、失敗もあり成功もあった過去の様々な経験などをも含
めて、キリストによって、ご自身の血潮をもって聖められ、教
会に与えられたのです。ローマ12章に列挙されている賜物の
中には「分け与える人」や「慈善を行う人」が含まれています
が、これは賜物が単なる能力だけに限られたものではなく、資
産とか家柄というものまで含んだ、広い概念であることを示し
ています。



 ペンテコステ派の人々は生まれながらの資質や、天性の資
質などは聖霊の賜物ではないと考えたり、超自然の聖霊の賜物
との間に区別を設けたりする傾向がありますが、それを正当化
できる聖書の言及はありません。ローマ12章に挙げられてい
る賜物はすべて「自然の」賜物です。「預言」でさえ超自然と
考える必然性はありません。パウロがルカ文書と同じような意
味で、「預言」という言葉を用いたということは大いにあり得
ますが、そうだとすると、ここで言われている預言は必ずしも
超自然の預言と理解する必要はなく、神のみ言葉を預かって語
ること、すなわち現代の説教に近いものも含まれていると、考
える事が出来るからです。そうすると、Iコリント12章の9
つの賜物も、すべて超自然の賜物と理解しなければならない理
由は無くなります。それはまた、この9つの賜物が、聖霊のバ
プテスマを受けた者だけに与えられるものであるという理解も、
根拠が無くなります。



 とは言え賜物の中には、確かにペンテコステ派の人々が強
調する、直接聖霊が関わる超自然的な能力もあり、また、聖霊
のバプテスマを受けた者だけが持つ事が出来ると、考えられる
賜物もあります。たとえば、使徒の働きの記述によりますと、
異言は常に聖霊のバプテスマと関連付けられています。著者の
ルカはパウロの教えを受けた人物であり、使徒の働きがパウロ
の目に触れた可能性さえある事を考え合わせると、そこにパウ
ロの神学との協調性が充分に考えられます。そうすると、パウ
ロが語る異言の賜物は、聖霊のバプテスマを受けた者だけが持
つことの出来る賜物であると、仮定することが可能です。少な
くても、聖書からも実際の体験からも、この仮定を否定するこ
とは出来ません。



 ペンテコステ派の人々が、Iコリ12章の9つの賜物を持つ
ことが出来るのは、聖霊のバプテスマを体験した者だけである
と主張したのは、その体験があまりにも素晴らしく、有頂天に
なってしまったからとも言えますが、もうひとつの理由は、そ
の体験をした者たちが、より積極的に、より大胆に、より頻繁
に、そしてより効果的にそれらの賜物を用いていたという事実
があったからです。



B.賜物の活用



 聖霊の賜物は非常に幅の広い概念であり、無理に聖霊との
関連を強調する必要はないと考えられます。「聖霊の」という
修飾は、教会というものが1から10まで、すべて聖霊との関
係によって存在し、成り立ち、機能しているという事実から用
いられたとのだと判断されます。キリストがお語りになった譬
えの中に、主人が遠くに旅立ってまた帰って来るまでの間、僕
たちが仕事を続けることが出来るように、タラントが預けられ
る物語があります。これは、キリストの昇天から再臨までの間、
弟子たちに託される仕事とその仕事のために預けられる賜物を
物語っているのですが、ここで、タラントをお預けになってい
るのはキリストご自身です。つまり聖霊の賜物は、キリストの
賜物でもあるということなのです。



 キリストのタラントの譬えで大切なのは、託されたタラン
トを忠実に用いることです。預けられたタラントの多少に関わ
らず、また、儲けの多少にも関わらず、信頼され、預けられた
ものを、忠実に用いることが最も重要であると教えられていま
す。用いられなかったタラントは取り上げられてしまったこと
に、注意を促すべきです。



1.賜物の自由な活用



 キリストのみ体にバプタイズされたすべての人々が、教会
に対する賜物であり、それらの人々が持っている、あらゆる能
力や資質も賜物であるという事ですから、賜物をまったく持っ
ていない信徒というものはありません。すべての信徒が何らか
の形で互いに貢献し合い、教会全体としてキリストから託され
た使命を遂行して行くのです。



 従って非常に重要なことは、信徒たちの活動です。本来教
会というものは、すべての信徒たちの自由闊達な、有機的活動
で成り立つべきものです。しばらく前に、「信徒の動員」とい
う意味の言葉が盛んに用いられたことがありました。すべての
信徒が賜物を持っているのであるから、その賜物を充分に生か
すために、できるだけ多くの信徒たちを動員するのが、教会の
成長の秘訣であるという考え方です。これは、もっぱら教職だ
けが働いている現在の教会活動のあり方に警鐘を鳴らし、もっ
と信徒たちを生かし、賜物を用いて行くという意味で聞くに値
する意見です。しかし、本来、信徒は動員されてはならないも
のです。動員されるとは、もともと活発ではなく、放って置か
れたものを取り込んで用いて行くということですから、教会の
本当の姿を現してはいないのです。教会とは、始めから信徒の
活発な活動、自発的な参与参画を前提として存在するものであ
り、信徒を動員しなければならなくしてはいけないのです。



 聖霊が召されたものを教会にバプタイズしてくださった時、
その人間がキリストのみ体である教会の、活発に機能する肢体
となるようにと、バプタイズしてくださったのです。体に繋が
って栄養だけはもらいながら、何の機能も果たさず、少しも役
に立たない「いぼ」のようになるために、バプタイズしてくだ
さったのではありません。信徒たちは教会の寄生生物ではあり
ません。信徒たちが教会なのです。現在の私たちの教会の最大
の問題のひとつは、教会が教職者たちの商店となり、信徒たち
はお客さんになっていることです。教職者たちが主役になって、
信徒たちは脇役に回されてしまっていることです。 
    











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2010年11月02日

教会について 2−25

p159〜165


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C.世界に対する働き

 

 教会の働きの第三の分野は、教会の外の世界に対する働き
です。これについてはすでに「VI.教会の使命」において取
り扱いましたが、触れずじまいになっていた幾つかの点につい
て、述べておきましょう。



 教会の働きの他のふたつの分野、すなわち神に対する礼拝
と教会自体に対する交わりの働きは、永遠に続くものです。教
会の働きの中でも教育の分野は、すべての物事が明らかにされ
る時が来て、私たちにはもう学ぶ必要が無くなるのかも知れま
せん。古い黒人霊歌の中に、「私にはもうみ言葉を学ぶ必要も
なくなるのだ」と歌う、天のみ国に対する期待の歌があります
が、確かに、私たちの知識においても、生活の仕方においても、
愛においても、聖さにおいても完全にされた後は、もうこれ以
上学ぶ必要があるのかと思います。しかしその一方で、神の高
さ、大きさ、深さ、豊かさは決して計り知れず、永遠を費やし
ながら神を知るようになるのかも知れません。



 これらのふたつの分野に比べると、世界に対する教会の働
きははっきりしています。私たちが世界に対して責任を持って
いるのは、私たちがこの世界に留まっている間だけのことです。
私たちが神のもとに召されてこの世を離れて行く時、あるいは
教会がこの世から携え上げられる時、現在の私たちのこの世に
対する使命は終わりを告げるのです。私たちが再びキリストと
共にこの世に戻って来る時は、この世を裁き、支配するように
なるのかも知れませんが、それが果たして具体的にどういうこ
となのか、正確には不明なところが多く、また、現在の私たち
教会に課せられた使命ではありません。



 ともあれ、現在の教会にだけ出来る働きは明らかです。そ
れは教会の外部に対する働き、宣教の働きです。すでに述べた
ように、教会はこの働きを使命として、目的としてこの世に遣
わされ、存在させられているのです。教会は大きく分けてふた
つの方法で宣教を推し進めて行きます。第一は、教会の存在そ
のものがすでに宣教であるという意味の宣教です。教会に属す
るすべての信徒は、すなわち弱い者も小さな者も、強い者も大
きい者も、皆、互いに愛し合い助け合って生きる者です。その
生き方自体が、キリストの弟子である事の証明となり、この世
界に対する宣教の大きな力になっているのです。教会は教会と
して存在するだけで「地の塩、世の光」としての役割を果たし、
無意識のうちに、いわゆる「プレゼンス」の働きをしているの
です。  



 これは旧約時代のイスラエルの果たした役割に似ています。
イスラエルには神がいると、周辺の人々が認める事によって、
イスラエルが祝福の器となり得たように、教会の愛の共同体と
してのあり方に、周囲の人々は神の祝福と臨在を認めるように
なり、自分もまたその共同体の一員となりたいと願う事さえあ
り得るのです。



 ただこのようなプレゼンスの働きだけでは、教会は宣教の
働きを充分に果たすことは出来ません。聞く事がなければ信じ
る事もなく、宣べ伝える者がいなければ聞く者もいないからで
す。教会の使命はあくまでも宣べ伝える事であって、単に存在
するだけではありません。教会が宣べ伝えると言った場合、私
たちはすぐに説教を思い浮かべますが、説教はあくまでも宣べ
伝えるひとつの方法でしかありません。他にもたくさんの方法
があるはずです。



 また私たちが説教と言う時、そのほとんどは教会堂という
四方が壁で囲まれた、建物の中での説教を思い浮かべます。教
会堂の中にも未信者がいることでしょう。いわゆるEゼロの伝
道、すなわちクリスチャン家族に育っていながら、まだ明白な
救いの経験を持っていないというような、クリスチャン文化の
中の未信者もいるはずです。そのような人々に対する伝道は、
確かにの壁の中でも可能です。しかしそれでは真の意味での宣
教の行為にはなり得ません。教会は教会堂の外で福音を語って
こそ、初めて宣教の第一歩を踏み出すのです。ある教会堂の出
口の鴨居の上に、「あなたは今や、宣教地に入ろうとしている」
と、大きく書かれていたそうですが、教会堂の外に出る時、ま
さに私たちは宣教地に入るのです。



 そして宣教地に入るのは「説教者」だけではありません。
実際、教会堂の外で「説教」する機会など滅多にあるものでは
ないのです。宣教が説教とすり変えられてしまうと、「説教者」
だけが宣教する者となり、説教者は宣教地では宣教する機会を
持てないという事になってしまいます。宣教地での宣教者は
「説教者」であってはならないという事です。むしろあらゆる
機会にキリストを証する「おしゃべり」でなければなりません。
説教のことをギリシヤ語ではホミリーと言うのだそうですが、
この言葉はもともと会話を意味していたという事です。会話こ
そ宣教の基本です。初代の教会がそうであったように、宣教を
会話にする事によって、ほとんどすべての信徒が宣教者になり
得、教会が宣教の共同体となるのです。そういう意味では、宣
教の働きは信徒全体を動員するものであり包括的なものです。



 一方宣教には、賜物を持っている一部の者だけがこの働き
に当たるという、排除的な部分があります。先に述べたように、
パウロの伝道旅行に同行する者は、それだけの資質を要求され
ました。同じように、宣教師の働きをするのには、宣教師にな
って働く事が出来るだけの資質を備えていなければなりません。
能力を持っていない者、賜物を与えられていない者、資質を備
えていない者は、それらの働きからは排除されることになるの
です。



 とは言え、排除されてしまった者は、これらの働きにまっ
たく参画出来なくなるのではありません。それらの働きに直接
関わることは出来ないという事ですが、間接的には、やはり、
すべての信徒が参画出来るものであり、またすべきなのです。
宣教師にはなれなくても、祈る事も献金する事も出来ますし、
さらにさまざまな支援をする事が可能です。またそのような参
画がなくては、宣教師は働く事が出来なくなるのです。



 私が宣教師として任命されて、はじめて全国の教会を巡回
した時の説教は、「私の宣教の働きのために祈る事は、私を助
けるための祈りではありません。私の働きのために献金する事
も、私の働きを助けるためにするのではありません。そうでは
なく、祈るのは、祈りによって宣教に参画する事であり、献金
するのは、献金という働きによって宣教に参加する事なのです。
あなたも私と一緒に宣教のために働く事なのです」というもの
でした。当時、多くの牧師も信徒も「宣教師を助ける」という
意識で祈りまた献金していたものですが、私は「自分は乞食で
はないから助けは要りません。私が欲しいのはキリストのみ体
としての協力です。宣教は宣教師という個人の働きではなく、
教会の使命であり、ここにいる信徒全員の働きなのです」と訴
え続けました。その結果、多くの牧師からは、「頼んだわけで
もないのに、勝手に教会を巡回して来たかと思うと、生意気な
事を言って、感謝の気持ちが足りない」と、随分ひんしゅくを
買ったものです。しかし、これは極めて重要な宣教の原則であ
り、教会のあり方に関わる大切な事なのですから、海外伝道部
の先生たちのご忠告も無視して「意地」を張り通し、巡回の最
後の教会まで同じ説教で貫いたものです。



 宣教とは共同体である教会の働きであり、教会がこの世に
存在している間だけ、可能な働きです。ですから、これこそが
教会がこの世に派遣され、この世に留まり、この世の悪と戦い、
痛みに耐え、人々と悲しみを共にしなければならない理由なの
です。パウロも、早くこの世を後にして栄光のみ国に入りたい
と望みながら、まだこの世で果たすべき使命があると自覚して、
その使命の遂行のために邁進しました。私たちもまた同じよう
に、私たちの国籍がある天に帰ることを望みながら、この世に
ある間、与えられた宣教の働きに全力を尽くすのです。



 さて、先に、宣教地での宣教者は「説教者」であってはな
らないと述べた事につき、もう少し、議論を深めましょう。改
革派の人たちの中には、教会とは、肉体を持った人間が実際に
物理的に集まらなければ存在しないと主張する方がいます。教
会とはその中で説教があり、聖餐があってはじめて成り立つの
だとおっしゃるのですが、教会とは肉体が持った人間が文字通
り集まることを前提とし、要因として存在しますが、それが教
会の存在の絶対必要条件ではありません。かえって、実際には
集まっていない時にこそ、教会は社会の中で宣教者としての役
割を果たすのです。教会が四つの壁の中に閉じ込められている
時には、そこでどのように素晴らしい福音が語られていようと、
宣教者としての役割を充分に果たしているとは言えないのです。
このあたりに、キリスト教を国教とするかそれに近いほどの、
「キリスト教文化」を持った国の中で生まれた教会論と、国民
の1パーセントの何分の1のクリスチャンしか存在しない、宣
教地国の人間の理解の違いがあります。



 教会は必然的に「集まる」人々です。しかし集まった時に
教会が教会として存在するようになるのではなく、集まった時
に、教会としての必然的な表現をしているのです。しかし、集
まっていない時でも教会は教会として、地域の中に、個々のク
リスチャンの生活の場に存在しているのです。言い換えると、
一般の人々の生活の場にまで、宣教者としての教会が入り込ん
でいる事であり、まさに「地の果て」まで、教会が出て行って
いる事なのです。そこが「説教の場」になることは、まずほと
んどあり得ないでしょう。しかし、いつでも証の場となり、宣
教の場とはなり得ますし、そのようにして行くのが、ひとりひ
とりのクリスチャンの役目なのです。



 個々のクリスチャンは、あたかも大きな機械から取り外さ
れた部品のように、教会から切り離され、教会とは関係のない
教会の一部分としてではなく、み体である教会に繋がったまま
の肢体として存在しているのです。 クリスチャンすべてが、
「教会は、自分という存在を通してここに実在しているのだ、
ここで自分が生き活動している事は、取りも直さず、教会がこ
こに生き活動しているのだ」と理解すべきなのです。そのよう
に自覚して生きるべきなのです。そうすると、個々のクリスチ
ャンの職場での仕事も教会の活動の一部になります。教会のプ
ログラムのひとつとしての伝道会だけが伝道となるのではなく、
講壇から語られる牧師の説教だけが宣教になるのでもなく、買
い物をしている時も、文化サークルに出ている時も、電車の中
でおしゃべりをしている時も、信徒が生きているその時その所
が、教会の宣教の場となるのです。



 信仰の場と生活の場、礼拝の場と仕事の場、教会の場とプ
ライベートな場を分けるのは間違いです。クリスチャンは常に
礼拝をしているのです。生きることが礼拝です。そしてまた、
クリスチャンはいつでも教会の一部として、キリストのみ体の
一部として生きているのです。ですから教会の活動は、教会の
プログラムが進められている時だけに限られているのではない
のです。教会堂のドアの鍵が掛けられている時も、牧師が不在
の時も、教会は宣教地において活動をしているのです。



 このように考えると教会の活動には、教会の総意に基づい
て進められる計画あるいはプログラムと、個々のクリスチャン
の自由な意思と選択による、自発的な活動があることに気付き
ます。一般的には普通、前者だけが教会の活動と見られるので
すが、決してそうではありません。宣教としての教会という観
点から見るならば、かえって後者のほうに重要性があるのです。
すでに触れたように、宣教の基本は個々のクリスチャンの自発
的な、自由な証によるのです。



 もちろん、それぞれのクリスチャンの生活と活動、たとえ
ば結婚、仕事、社会活動、政治活動、あるいは学術研究などは、
あくまでも個人の自由と責任において行われます。それによっ
て教会全体の責任が問われることはありません。しかしながら、
それはやはり教会の働きの一部なのです。個々のクリスチャン
の生き方、考え方、行動には、キリストの命が流れ、キリスト
の精神が浸透しているはずだからです。しかし、教会が教会と
しての正当な決議に基づいて行う活動は、教会全体の責任が問
われます。



 ここでもう一度、教会とは和解の共同体であるという、基
本的な理解を思い起こす必要があります。教会とは、ありとあ
らゆる種類の人々が、キリストの和解によって和解させられた
共同体です。その種々雑多な人々が、種々雑多な思想と主義と、
考え方と、やり方を持ったままで、ただ、キリストを救い主と
して信じたという一事によって、その一事を唯一の共通要因と
して集められた集団なのです。ですから、教会は「多様性の一
致」による共同体なのです。同じ思想、同じ考え方を持ってい
る者はひとりとしていないのです。信仰による一致に達し、キ
リストの満ち満ちた身丈にまで成長するという事は、全員がま
ったく同じになる、画一的になるというわけではなく、ただ、
聖書が教える極めて基本的知識において一致し、信仰により、
愛によって繋がり、同じキリストの命によって生かされる事な
のです。



 それぞれのクリスチャンによって信仰の度合い、信仰の成
長の段階が異なります。信仰の成長が進めばおのずと一致出来
る事柄でさえ、現実には、なかなか一致出来ないのです。教会
とはそのように、まさにばらばらな考え方の者たちが同じ命を
共有して生きる、運命共同体なのです。ですから、同じひとつ
の地方教会の中に左翼的な傾向を持つ人がいても良いし、右翼
的な言動をする人がいても良いのです。もっと社会活動に参加
すべきであると考える人たちがいても良いし、社会活動より直
接伝道に力を入れるべきだという人たちがいても良いのです。
クリスチャンは小説なんぞ読むべきではないという方がいても
良いし、いや、週刊誌だって読んでおくべきだという方がいて
も良いのです。またある意味で、いるべきなのです。そのよう
な人たちが、それぞれ不完全ではありながら、キリストの命に
よって生かされ、キリストの教えによって新たな方向付けをさ
れ、聖霊の力によって新たな方向に歩ませられている事実をも
って、それぞれの生き方と方法で、社会の中で証をして行くの
です。教会は、それらひとりひとりのクリスチャンの、右翼的
傾向や左翼的言動に責任を持つ必要はありません。それは彼ら
が教会とは別のところで別の要因で持っている考え方なのです。
しかし、それら個々のクリスチャンの考え方の中にもキリスト
の教えが反映し、生き方の中にもキリストの命があらわであり、
聖霊のお働きが事実として存在していることが大切なのです。
そして、それこそが証の要因なのです。



 その一方で、ひとつの地域教会全体としては、あるいは有
機的教会としても、ある特定の政治的信条や社会的見解など、
キリストへの信仰以外の要因を掲げてはならないのです。もし
それをすると、その教会はたちまち排除の教会になってしまう
からです。教会は和解の共同体であり、排除の共同体となって
はならないのです。たとえば、平和を愛し、平和を作り出すこ
とにはすべてのクリスチャンが賛成すべきであり、教会の宣言
となっても良いのです。それはキリストへの信仰、キリストの
教えへの従順に直接繋がることだからであり、たとえそのよう
に謳っても、信仰以外の要因を持って排除する事にはならない
からです。しかしその平和実現のために祈るだけにするか、平
和運動に参加すべきか、特定の平和団体に所属すべきか、政治
運動に身を置くべきか、武器を持って平和のために戦うべきか
などは、それぞれの文化背景や受けた教育、あるいは体験や考
え方、さらにはクリスチャン信仰の度合いによっても異なるの
です。それをひとつに限定することは排除になるのです。



 したがって教会は、個々のクリスチャンがキリストに従う
者としての信仰と良心をもって、社会のあらゆる分野において
活発に生き発言するのを推奨していくべきです。たとえある者
たちは、クリスチャンとしての成長が未発達なために、さまざ
まな間違いを犯すこともあり得たとしても、それを恐れる必要
はありませんし、それに対して教会として社会的責任を負う必
要もありません。しかし、教会が共同体として何かを計画し実
行して行くならば、それは、あくまでも聖書が直接教える信仰
の分野に留めるべきなのです。それを超えると、排除の共同体
になり、また、教会として社会的責任をも負わなければならな
くなります。












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2010年11月01日

教会について 2−24

p151〜159


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1.交わり


 
 交わりは、教会が愛の共同体である事を最も明確に示す活
動です。愛の共同体としての具体的な存在表現です。交わりな
くしては愛の表現がなかったのです。事実、教会はその揺籃期
から、交わりを中心として活動していました。特に現代のよう
な教育機器も通信機器も、交通手段も印刷技術もない時代です
から、教えるという基本的な活動をするにしても、共に集まる
という「交わり」の要素を無視しては、教えることも出来ませ
んでした。ですから、交わりを基本としてまた前提として、す
べての活動が行われていました。集まることなしには活動は成
り立たず、互いに顔を合わせることなしに、愛を具体的に表現
して行くことは、基本的に不可能でした。ですから、愛の共同
体としての教会は、ごく自然に愛の行為としての集まりを持ち、
集まりを愛の表現の場として行く事が出来ました。個々の信徒
が何かの集まりに出席する事がなかったとしても、全体の交わ
りの中に包み込まれ、どこかで主にある交わりを保っていたの
です。主もまた、数人の者がみ名によって集まる所には、特別
な意味で臨在を現し、共同体としての教会の基本的要素を満た
して下さるのです。



 これは、現在の個人主義化した信仰のあり方に、大きな警
鐘となるものです。いま私たちの周囲では、愛の共同体として
の教会、コイノニアとしてのあり方を否定するような、あるい
は無視するような、個人主義の感覚に基づく教会観が広められ
ています。たとえば、たくさんのテレビ福音番組があるのは良
いことですが、その中のあるものは「テレビ教会」なるものを
宣伝しています。どこかの地域教会にわざわざ出かけて行かな
くても、自宅でテレビを見ていながら「教会出席と同じ」とさ
れる番組です。自宅のワイン棚からぶどう酒を取り出させ、テ
レビの音頭に合わせてぶどう酒を飲ませ、テレビ番組の会衆と
共にパンを食べさせて、聖餐をしたかのような錯覚に陥らせ、
番組提供者に献金を送らせて、義務を果たしたかのような気持
ちにさせているのです。実際、彼らが提供する説教は一般の教
会の牧師の「へたな説教」よりよほど良く、多くの場合りっぱ
な通信講座も準備されているのですから、並の地域教会は太刀
打ち出来ないところがあるのです。他にも、地域教会に出席す
る大切さを無視し、地域教会を破壊するような活動がたくさん
あります。



 ある信徒たちは、「教会に行くと嫌いな人間にも会わなけ
ればならないし、人付き合いが面倒くさくて」と言います。し
かし現代においてさえ、実際に顔を合わせることなしには、具
体的に愛するのは容易ではありません。愛が観念に終わってし
まうのです。愛し合うことの出発点は、やはり具体的に交わり
を持つことです。すでに述べたように、礼拝会がこの交わりの
基本です。キリストに贖い出されてひとつとされた者として、
神の愛を自ら体験した者として共に礼拝を奉げることが、愛の
交わりの基であり、中心であり、出発点なのです。そしてその
愛の交わりを象徴するのが聖餐です。聖餐は単に贖罪の象徴だ
けに止まらず、他にも多くの意味を持ちますが、交わりとして
の教会の象徴でもあるのです。同じ杯から飲むぶどう酒は、同
じキリストの血潮によって贖われた者である事を象徴し、同じ
ひとつのパンから食べることは、同じキリストの身体に属する
者である事を表現しています。それらを飲みまた食べる事は、
キリストを信じる信仰を意味し、同じキリストの命によって生
かされている事実を表しています。



 初代の教会では、クリスチャンたちの愛と交わりを表現す
るために、「アガペー」と呼ばれる愛餐会がしばしば行われて
いましたが、その愛餐会は当初、単なる愛参会ではなく、「聖
餐」として行われていたと考えられます。(Iコリ11:17
−34) 聖餐が愛餐会から切り離されて「聖餐式」として発
展したのは、少し後になってからの事です。愛餐会において共
に食事をする、しかも分け合って食べるという行為が、キリス
トによってひとつとされた者が互いに愛し合うこと、互いに助
け合うことを象徴していたのです。その愛餐会の意義を無視し
たような行為が、コリントの教会の中に見られたために、パウ
ロは非常に厳しい言葉を用いて警告をしました。(Iコリ11
:27−34) ここで言われている、「ふさわしくないまま
でパンを食べ、主の杯を飲む」という言葉を、私たちの間では
普通、救われていない者が主の聖餐を受けるという意味に解釈
して、聖餐式には救われた者だけが与るように、注意深く信者
と未信者とを識別し、さらにはオープンだとかクローズドだと
かうるさいことを言っていますが、それは完全にパウロの言う
ことを誤解しています。  



 パウロはここで、聖餐に与る人が救われているかどうか、
などという事を問題にしているのではありません。それは完全
に間違った聖書の読み方です。このパウロの教えの文脈を読む
と、つまり、前後関係をしっかりと読み取ると、それはすぐに
はっきりとわかるはずです。パウロは、教会の中で貧しい者が
ないがしろにされていた、のけ者にされていた、無視されてい
た、差別されていたという事実を糾弾し、(V20−22)そ
のような態度で聖餐を続けていたために、「あなた方の中に、
弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大勢いるのです」と、恐
ろしい言葉を語っているのです。本来キリストにある一致と愛
の交わりを象徴する聖餐が、こともあろうに、差別と無関心と
冷遇の場となっていたのです。これに対して、パウロは激しく
怒ったのです。ですから、聖餐に与る者はそれぞれ、自分の中
にそのような「神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめ
る」思いや行動がないか、深く反省するように、強く勧められ
ているのです。(V22)



 キリストの血とみ体を象徴する神聖なぶどう酒とパンを、
未信者が「自分をわきまえることをせず」飲み食いすると、神
の罰が下るとでも言うような感覚はここにはありません。それ
は、カトリックの化体説の呪縛から、逃れられないままでいる
教会の言うことです。カトリック教会では、一般信徒はぶどう
酒に与ることは出来ません。司祭が代表してみな飲んでしまい
ます。そして聖餐を、「くり返して奉げられる罪のための犠牲」
と定義していますので、パンだけを食べる聖餐を「血の伴わな
い犠牲」であると教えています。もちろん聖書は、血が流され
ることなしに罪の赦しはありえないと教えていますので、カト
リックの聖餐観が大きく誤っているのは明白ですが、信徒がぶ
どう酒を与えられないのは、もしこぼしてしまうと、その神聖
なキリストの血を、文字通り、「覆水盆に返らず」で、取り返
すことがなくなり、冒涜になってしまうからです。聖餐を未信
者に与えることを非常に恐れるのは、このようなカトリック的
感覚の残滓が、プロテスタント教会の中にもあるからです。



 ですから、クローズドの原則を持っている「しっかりした
教会」などは、自分たちの教会が差別の教会に成り下がってい
ることを、現実の問題として厳しく問い詰めなければなりませ
ん。自分の教会の会員以外の人物が、果たして確実に救われて
いるかどうか判別出来ないために、聖餐を自分の教会の洗礼を
受けた会員だけに制限するというのです。また、キリストの交
わりを非常に小さく、地域教会だけに制限しての処置でもある
ようです。確かに、その注意深さには敬意を払いますが、厳密
な意味で、誰が救われているか救われていないかという問題は、
神の判断に任せる以外にはありません。問題はそのようにして
自分たちの社会的身分を守り、差別を正当化している事が多い
点なのです。また、キリストにある交わりは有機的なものであ
り、普遍的なものです。ひとつの地域教会に制限されるべきも
のではありません。



 そういうわけで、教会の中には、たとえどのような形でも、
差別があってはならないのです。絶対にあってはならないので
す。人権や民主主義、あるいはヒューマニズムが当然の前提と
して語られている、「現代に生きる私たち」がこのような教え
に接すると、「なるほどなかなか良いことを言うな」という程
度の反応しか示しませんが、この教えは、今から2,000年近く
も前に、ごく一般のいわゆる「市井の人間」に過ぎなかったク
リスチャンに与えられたものであることは、まさに驚き以外の
何物でもありません。当時の世界には現代のような人権感覚は
ありませんでした。民主主義やヒューマニズムの観念が、ごく
一部の人々の中には芽生えていたかも知れませんが、一般には、
まったく理解されていませんでした。このころのローマ帝国で
は、競技場が盛んで、次第に残虐さを増していました。繁栄に
慣れ飽食におぼれ倦怠にさいなまれた人々は、はじめの内は動
物たちを戦わせ、悲鳴を聞き、流れる血を見ては楽しんでいま
したが、だんだん見境がなくなり、やがて囚人や捕虜たちを動
物と戦わせる興奮を求めるようなりました。このころ、多くの
クリスチャンたちも動物の餌食となって死んで行ったのは、良
く知られている事実です。血を見れば見るほど血に飢え乾いた
人々は、ついには、剣闘士を育てて、観客の前で死に至るまで
戦わせることに陶酔するようになって行ったのです。そのよう
な非人道的時代の、そのように人権を無視していた社会背景の
中で、パウロはこの教えを記したのです。



 また、教会の交わりの深さ、あるいは親密さというものが
見事に表現されたのが、互いに分け合うという行為です。教会
はその誕生直後から、共に集い、分け合う共同体でした。それ
は心の中に湧き上がる愛の、ごく自然な発露だったと言えます。
彼らは、ナザレのイエスをメシヤと信じる新鮮な共通体験から、
毎日神殿や家々に集まっていました。非常に多くの者がイエス
をメシヤとして受け入れましたので、彼ら全員が一度に集まる
事が出来るような場所はありませんでした。それは物理上不可
能であり、また政治情勢上でも不可能でした。反ローマ感情が
非常に強い「不穏な土地エルサレム」で、一度に何千、あるい
は何万もの人々が一箇所に集まったとなると、たちまちローマ
の軍隊が出動したことでしょう。ですから、彼らは比較的小さ
なグループに分散して、家々で活動していたわけです。その中
では12人の使徒たちが中心となり、かつて7人に選ばれたこ
とのある弟子たちや、復活の主を見た5人の中にいた人々が、
何らかの指導的役割を果たしていたに違いありません。エルサ
レムという、現代の都市に比べると非常に小さな町で、多くの
地域教会が、「家々」という形で出現し、それが町全体で、あ
るいは近隣の集落を含めて組織され、ひとつの管理上の教会と
なっていたのでしょう。



 多分この頃の教会は、まだ自分たちをユダヤ教徒の集まり
として理解していたと考えられます。ですから、直ちに自分た
ちが所属していた会堂から分離して、独自の活動をするという
事はなかったのでしょう。そのような事をすれば、社会的にも
っと大きな混乱を起こし、人々から尊敬を受ける事もなかった
はずだからです。(使徒5:13) そうすると、「ユダヤ教
徒イエス派」とでも言うべき当時のクリスチャンたちは、各々
が属していた会堂の活動を守りながら、クリスチャンとして活
動していたということになります。したがってその活動は、安
息日をはじめ、会堂の活動のある日を避けて行われていたこと
でしょう。そしてまた彼らの活動の多くは、当然ながら会堂の
活動を模倣するものとなって行ったはずです。あるいは、リベ
ルテンという会堂があったように、(使徒6:9) イエス派
という会堂が新たに形成された可能性さえあります。リベルテ
ンとは自由を意味しますので、自由主義的ユダヤ教徒、あるい
は解放奴隷、さらにはローマからの自由を目指す、愛国的ユダ
ヤ教徒の集まる会堂であったのかもしれません。どちらにして
も、当時の会堂には、それぞれの主義主張を持つ者があったこ
とは事実のようですから、ナザレのイエスをメシヤと認める会
堂が出来る可能性はあったわけです。ともあれ教会の揺籃期で
すから、まだ呼称も定まっておらず、「この道の人々」という
のが通称だったのかも知れません。(使徒9:2)



 初期の教会が、ユダヤ教の会堂を模倣していたというのは
紛れもない事実で、パウロの建てた諸教会も例外ではありませ
んでした。当時の会堂の活動には教会が模倣するだけの内容が
あったという事です。少なくても週二回は共に集まり、礼拝と
旧約聖書の教えと説教が続けられ、子どもの教育、寡婦や貧し
い者に対する支援、律法や規定に違反した者への懲罰などが、
きちっと行われていました。このような会堂で長老の役割を果
たしていた者が、新しいイエス派の信徒になった場合、最初か
ら、長老となる資格の多くを備えていたわけです。パウロがい
とも簡単に長老を任命出来た理由です。誕生したばかりの教会
は、長い歴史を持つこの会堂の活動の多くを取り入れ、独自の
意味と解釈を加え発展させて行きました。長老という言葉さえ
も、会堂の用語でした。主の兄弟ヤコブは、一度だけではあり
ますが、教会を会堂と呼んでいるほどです。(ヤコ2:2)



 このように初期の教会は、会堂の要素や活動に新たな意味
を加えたり、解釈を施したりしながら、自分たちのものとして
取り入れていましたが、中でも非常に特徴的なのが、交わりの
具体的表現としての分かち合いでした。ある人たちは、教会の
誕生後間もなく始まったこの持ち物の共有や分かち合いは、当
時の信徒たちが、主は直ちに帰っておいでになるという切迫し
た終末観を持っていて、世俗的なものは不要であると考えたた
めであると推測しますが、それは間違っているように思えます。
なぜなら当時の信徒たちは、確かにキリストの再臨を間近のこ
とと信じてはいましたが、彼らが信じていた再臨は、現在の私
たちが信じているような再臨ではなかったと考えられるからで
す。キリストが昇天された日、弟子たちが待ち望んでいたのは
イスラエルの再興でした。その昇天からまだ間もないこの当時、
この点における彼らの神学的理解が飛躍的に増して、後になっ
てパウロが書き記したような再臨を、待ち望むようになってい
たとは考えられません。彼らの待ち望んでいた再臨は、まだま
だ、「イスラエルを再興させるための再臨」だったはずです。
したがって、世俗の富の重要さは、増大はしても無くなること
はあり得なかったのです。ですから、初代教会の所有物の分か
ち合いは、むしろ純粋な愛の発露、また仲間意識の現われと考
えたほうが良いと思います。



 特に、ペンテコステの日からしばらくの期間は、諸国から
集合していた多くのデイアスポラがいました。彼らが新たな信
仰を受け入れ、予定より長期間滞在することになったために、
彼らの食料や宿泊の場所、その他日常の必要を満たし、支援す
る必要があったのです。これは、旅人をもてなすユダヤ人の律
法と習慣から見ても、当然の事ではありましたが、キリストに
あっての新しい共同体意識に目覚めた人々は、特別な情熱を傾
けてそれを行ったのでしょう。どのような真理であっても、そ
れを受け入れる素地となる文化がなければ、なかなか受け入れ
られないものですし、発展させられて行くことは、なおさらあ
り得ないのです。教会に分かち合いの習慣が栄えたのは、当時
のユダヤ人たちの中に、そのような文化があったからです。



 なぜエルサレムの教会の中に、それほど多くのデイアスポ
ラが常駐していたのかなど、当時のエルサレムの事情について
は不明なところが多いのですが、このような分かち合いが、や
がて教会を組織化し、継続して行かねばならなくなるほどに発
展して行ったのは明らかです。また神さまは、その働きを大切
なものとお考えになったからこそ、敢えて、アナニヤとサッピ
ラの事件を起こして、教会に警告をお与えになったと考えられ
ます。イスラエル人たちの分かち合い、助け合いの習慣は、諸
国に離散したユダヤ人たちの間でも、会堂と律法の教えを通し
て強調され実行されていましたから、ユダヤ人の会堂を拠点と
して福音が語られ教会が設立された地域においては、分かち合
いの教えを浸透させるには、あまり苦労はなかったと考えられ
ます。しかしユダヤ人が比較的少なく、異邦人の習慣が強い土
地の教会では、これを実行するにはかなりの努力が必要だった
と想像されます。飢饉に悩まされていたエルサレムの教会の信
徒たちを助けるために、パウロが、異邦人中心のコリントの教
会に献金の支援を訴えている文書を読むと、その苦労が偲ばれ
ます。(IIコリ8:1−9:15) とは言え、現代の日本
などに比べ、もっともっと強い共同体感覚を持っていた当時の
人々は、パウロの訴えに呼応して、「その極度の貧しさにもか
かわらず」たくさんの支援金を準備したことでしょう。パウロ
はその支援金を持参して、エルサレムに赴くことに命を賭けま
した。エルサレムに行くならば必ず捕らえられて、死をさえも
覚悟しなければならないことを、預言を通してあるいは聖霊の
証を通して、熟知していたにも拘わらず、パウロは多くの人々
の反対を「激情的」に押し切ってまでも、エルサレムに向かい
ました。パウロにとって、教会の内部における助け合い、分か
ち合いは、福音の伝達と同じくらい、充分に命をかける価値の
ある働きだったのです。



 パウロの、前後二回にわたるエルサレム教会への支援金募
金の働きは、教会の交わりが地域教会だけ、あるいはひとつの
管理上の教会だけに留まるものではなく、あるいはひとつの地
域や国家や民族の内部に制限されるものではなく、真実に有機
的教会、普遍的共同体としての教会全体に及ぶものであること
を示しています。この場合、アカヤやマケドニヤの信徒の多く
はエルサレムの教会のことは知らず、そこにいる困窮しきった
信徒ひとりひとりとは何の面識もなかったはずです。しかしこ
れは、現在の個人主義世界のクリスチャンたちが、互いに見も
知らずの間柄のままで、何か共通の目的のために募金をし、助
け合うというのとはかなり異なっています。なぜなら、パウロ
の時代のクリスチャンは、すべて自分たちの土地で地域教会に
所属していたからです。地域教会に所属していた者が、地域教
会に所属していた者を支援していたのです。現代の、どこの地
域教会にも属さない信徒が、これまたどこの地域教会にも属さ
ない信徒を助けるというのとは、異質なものなのです。



2.教育 



 教会の、教会内部に対する働きの第二の分野は教育です。
神のみ言葉を教えることなくして、真の教会は存在しません。
日本語の教会という言葉は、先に述べたように、いささか「教
える」という言う意味が強すぎるとは感じますが、教会は確か
に教える会なのです。教会は神の言葉を教え、神の言葉の正し
い解釈を教え、神の言葉の正しい適応を教えます。そこには個
々のクリスチャンとしての生き方、教会のあり方、共同体とし
ての生き方が含まれ、ひとりのクリスチャンとして成長するこ
とと同時に、共同体としての教会全体が成長することも含まれ
ます。



 またこの教育は単なる知識の教育を超えた、全人格に及ぶ
教育が含まれます。教会  の教育は、決して、ひとつの頭か
らもうひとつの頭に、知識を移す作業ではありません。そうで
はなく、神に造られた人間として、またキリストの贖いを受け
た人間として、「いかに生きるべきか」という事について、聖
書を基にして自ら考え、判断し、決定し、行動することを教え
るのです。この教えるという働きを考える時、私たちは、キリ
ストが弟子たちをはじめ多くの人々をお教えになった方法につ
いて、考える必要があります。



 教育というと、普通、私たちはすぐ学校教育などの正式な
教育、いわゆるフォーマル・エジュケーションを思い浮かべま
すが、キリストが採用された教育の方法は、まったく異なって
いました。キリストが取られた方法は、一般にインフォーマル
・エジュケーションと呼ばれるもので、日本で言うと徒弟制度
に近い教育方法であり、むしろ、訓練法と考えた方がわかり易
いものでした。紙と鉛筆、黒板とチョーク、現代ならば、コン
ピューターにパワーポイントという教育ではなく、四六時中共
に生活して、身をもって模範を示す教え方でした。キリストは、
いわゆる当時の正式な教育方法を取ることもできました。それ
に必要な一切の力と能力を持っておられました。また、キリス
ト在世当時のエルサレムにしても、グレコローマン文化全体に
しても、何々学派と言われるのが流行る、フォーマル・エジュ
ケーションの盛んな時代でした。しかし、キリストは敢えてイ
ンフォーマルな教育方法に留まりました。この、敢えてインフ
ォーマルに留まる教育法を、アンフォーマル・エジュケーショ
ンと呼びましょう。
 


 ちょっと注意して見るとわかることですが、パウロが取っ
た教育方法もまた、大部分はアンフォーマルでした。パウロも、
当時のパリサイ派の二大学派であったガマリエルやヒレルに倣
って、あるいはギリシヤの哲学者たちを参考にして、フォーマ
ルな教育を与えるだけの力を持っていました。しかし彼は、敢
えてインフォーマルに留まったのです。インフォーマルに留ま
ったというより、インフォーマルに乗り出したと言うべきでし
ょうか。彼の教育方法も、机と椅子を並べて講義することより
も、生活を共にし、働きを共にすることによって、理解させる
やり方でした。日本で言う徒弟制度に近いものです。見て学ぶ、
真似して学ぶ、実践して学ぶ、失敗して学ぶという事だったの
です。



 この教育方法は、ただ知識を授けるという事よりも、知識
に加えて生き方を示す教育法と言えます。教育の機器や道具が
横にあるのではなく、人間、血が流れ、痛み、悲しみ、喜び、
笑いを感じる人間が横にいるのです。キリストが教えようとさ
れた事、パウロが教えようとした事は単なる知識ではなく、そ
の知識に根ざした生き方でした。それこそが道であり真理であ
ったのです。知識は生き方のためであり、生き方が具体的に示
されない知識は、キリストにとってもパウロにとっても、用の
ない物でした。ですからキリストは謙遜を教えるのに、謙遜の
定義第一、謙遜の定義第二と語られたのではなく、タオルと水
を持って来させて、ご自分で弟子たちの足を洗い始められたの
です。愛について、寛容について、忍耐について、自制につい
て、小さな者の取り扱いについて、弱い者に対する思いやりに
ついて、痛んでいる者に対する同情について、人々の反感に耐
える事について、差別をしない事について、説教について、権
威を持って悪霊を追い出す働きについて、ありとあらゆる事に
ついて、キリストはご自分で手本を示し模範を与えて、お教え
になったのです。パウロもまた、「私に倣う者になって欲しい」
と語ったように、自分を手本として示していたのです。



 すでにお分かりになったこととは思いますが、このような
教育法は、共にいるということを前提とするものです。教える
者と教えられる者が、共に時間を過ごす。寝食を共にし、一緒
に苦労して働き、共に痛み、共に喜び、共に悲しみ、共に笑う
事があって、はじめて可能なのです。キリストが12弟子をお
選びになったのも、まず彼らを共におらせるためでした。(マ
ル3:14、ルカ8:1) そしてそのような教育は、教会と
いう共同体の中でこそ、つまり愛の交わりが実践されている中
でこそ、より良く行われるのです。信徒の交わりが1週間に1
回の礼拝会だけという教会活動では、このような教育の場は確
保出来ません。牧師の姿が1週間に1度、礼拝会の講壇の後ろ
に見られるだけでは、牧師の姿から学ぶことは「牧師牧師した」
パフォーマンスだけで、その真実な姿、生きた信仰の姿に触れ
ることは出来ません。



 信徒のために何もかも犠牲にして、心を砕き身を粉にして、
涙を流し、彼らのためにならば命を捨てても良いと祈り、それ
でも上手く指導出来ず、誤解を受けて落ち込み、行き詰まって
はいくたびも眠られない夜を過ごし、それでも礼拝会を迎える
と一生懸命に明るく振舞い、信徒たちを励まそうとしている牧
師の姿など、元気のいい礼拝会の説教からは、うかがい知るこ
とがないのです。貧しさにも不平を言わず、自分ではしばしば
食べる物にさえ事欠きながら、なお分け与え、感謝の祈りを絶
やさない牧師の姿など、礼拝会の堂々としたイメージからは想
像も出来ないものです。信徒たちの中傷を耐え忍びながら彼ら
のために祈り、悪口を言われては親切で返そうと努め、悪者に
されることにも甘んじて言い訳をせず、病める者を慰め痛んで
いる者を励ますために、自分の家族のことさえ後回しにし、ひ
たすらに信徒の成長を願って生きる牧師の姿は、厳しい火を吐
くような説教の中には現れて来ないのです。



 牧師になるために神学校に入学してくる青年たちを見てい
ると、気が付くことですが、大きな立派な教会から献身してき
た青年は、頭が良くて理屈っぽく、説教だとか教育に情熱を燃
やしていますが、しばしば、忍耐だとか、謙遜だとか、自己犠
牲などということには無頓着です。講壇の後ろの立派な牧師の
パフォーマンスを見て、憧れて入って来たからです。ところが、
小さな教会で苦労を重ねている牧師の姿を、目の当たりに見て
来た献身者は、一般的に、素晴らしい説教や高い教育にあまり
興味を示さず、むしろ、謙遜、献身、忍耐という生活態度を大
切にします。大きな教会から来た献身者は、すぐにあれが足り
ない、これが不充分だと不平を言い出します。彼らが見てきた
牧師の素晴らしさは、そのような「物」の後ろ盾があって、初
めて可能だったからです。しかし小さな教会から来た献身者は、
むしろ、こんな物もある、あんな物もあると驚き感謝をします。
これは私が国外で宣教師として働いていた時の一般的印象です
が、日本では異なっていると期待したいものです。



 キリストがご自分に従う者をお選びになった基準は、「知
識」や「学業」や「学歴」ではありませんでした。むしろ、枕
する所のないキリストに、不平も言わずに同行出来る人間であ
り、たとえ父の死に目に会えなくなろうとも、泣き言を言わず
に同行出来る人間であり、一度決意したならばきっぱりと態度
を決め、後ろを振り向かずに同行出来る人間でした。現在の献
身者に、このような基準を当てはめる教団はあるでしょうか。
このような資質を形成するために、プログラムを作成し、教育
を施す神学校があるでしょうか。キリストの教育は間違いなく、
このような資質を形成するための教育であり、ただ知識を蓄え
させるための教育ではなかった事が明らかです。ただしキリス
トは、基本的知識さえまともに習得出来ないほどの者を、指導
者として育てようとはなさいませんでした。献身態度さえあれ
ば知識は不要なのではなく、知識の上に献身態度がなければ、
正しい意味の指導者にはなれないという事です。



 このように考えると、教会のすべての活動に教育的意味が
あるという事がわかります。教会のあらゆる活動を通して、信
徒全員が、常に人間全体として成長し続けるのが、理想です。
そして教会全体としてキリストの身丈まで成長するのです。こ
の場合、教会の全員が立派なクリスチャン、非の打ち所がない
素敵なクリスチャンになるという意味ではなく、弱い者も、足
りない者も、まだまだ世俗の臭気を紛々と漂わせている信徒も
たくさんいる中で、それらの者たちを喜んで助け、足りないと
ころを埋め、嬉々として世俗の臭気を取り払う働きをし続ける
信徒がいるという意味で、キリストの身丈まで成長するのです。
「まだこんな弱い信徒がいる。まだこんな欠点だらけの者が出
入りしている。世俗っぽい人がいてもらうと迷惑する」と、不
平をこぼしながら働いていてはだめなのです。自分の強さ、自
分の豊かさ、自分の能力が、キリストのみ体の足りない部分を
補う事が出来ることに喜んで、奉仕するようにならなければだ
めなのです。完全な家庭とは、手のかかる、世話の焼ける者が
ひとりもなく、全員が立派な大人として、責任をもって生きて
いるという家庭ではありません。世話が焼ける赤ちゃんがいて、
手のかかる幼稚園児がいて、そのような子供たちがいることを
こよなく喜び、世話をすることに幸せを感じる親がいる家庭が、
完全に近い家庭です。
 












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2010年10月31日

教会について 2−23

p144〜151


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VV.教会の働き



 教会の使命は宣教です。教会はこの使命のためにこの世に
遣わされています。他に使命はありません。教会はこれを目的
として生き、これを目指して歩みます。教会の使命は、キリス
トがこの世に送られた目的を、自分の目的として生きる事です。
それはキリストの贖いの愛のみ業を、宣教という働きで継続し
て行くことです。しかし、教会の働きは宣教だけではありませ
ん。他にもたくさん働きがあるのです。



 伝統的なプロテスタント神学では、教会の働きを、王とし
ての働きと預言者としての働きと祭司としての働きに分けるの
が一般的でした。これはキリストの働きと言われる働きを、そ
のまま教会に適応したもので、それなりに説得力があり、教会
の働きの多くの分野を説明することがますが、いささか思弁に
過ぎ聖書の素直な読み方を離れる傾向がありますし、教会の働
きを充分に説明する事が出来ません。また、この思弁的傾向と
理解の仕方を進めると、王、預言者、祭司のどの働きの分野に
おいても、社会的活動を強力に推進して行く理論的基盤が出来
上がります。特に、千年紀後再臨説を採る多くの伝統的プロテ
スタント神学では、王としてのキリストがおいでになるにふさ
わしい世界を作り上げるために、この社会活動が大切な要因と
なって来ます。



 福音派の人たちの間では、教会の働きを上、すなわち神に
対する礼拝と、内、すなわち教会内部に対する交わりと、外、
すなわちこの世に対する伝道に分けて考えるのが一般的です。
これは王、預言者、祭司という理解の仕方に比べると、思弁を
避け、より聖書の直接的教えに根ざしていると考えられますが、
不充分なところもあるように思われます。それは例えば、内、
すなわち教会内に対する働きとして「交わり」しか挙げられて
いないところです。上、内、外、という分け方に捕らわれ過ぎ
て、教会内におけるもうひとつの大切な働きである、教育とい
う点が軽く取り扱われています。教育と交わりをひとつにする
のには、少々無理があると考えられます。また、先の王・預言
者・祭司の考え方が、社会活動に流れていく傾向を持つのに対
し、外に対しては「伝道」と定義し、社会活動の入る余地をな
くしています。



 このように物事を幾つかの分野に分類して考えるのは、考
えを整理するのには役立ちますが、ともすると、その分類に沿
った考え方をしてしまい、大切な側面を見落としてしまう傾向
があります。神は教会の働きを、そのような分類に合わせてお
定めになったわけではないからです。上=礼拝、内=交わり、外
=伝道では、あまりにも単純化されていると言えます。むしろ、
上=礼拝・奉仕・交わり・伝道であり、内=交わり・教育・訓練
・礼拝・伝道であり、外=伝道・一般愛の行使・礼拝・奉仕と
いうように、複雑に絡み合い、影響しあっているものです。

 

 そのような、分類の欠点というものを理解した上で、敢え
て分類の利点を考慮して取り入れると、むしろ、私たちの仲間
内で用いられている分類の方が、聖書の教えをより良く表現し
ているように思います。それは普通、WIFEという言葉で表現し
ます。これは、礼拝=WorshipのWと、教え=InstructionのI
と、交わり=FellowshipのFと、伝道=EvangelismのEを綴り
合わせて、WIFE(妻)としたものです。この分類でも、しばら
く前の福音派の分類らしく、社会活動という一面はまったく無
視されています。だからと言って、社会活動すなわちSocial
serviceのSを入れるとWIFESという存在しない単語になってし
まい、しっくりしません。ではと言って、社会活動を伝道の中
に加えてしまうと、先に述べたように、愛の行いが伝道のため
の道具あるいは手段とされ、釣り針の隠された餌となってしま
います。



 そこで、この学びでは福音派の上・内・外という言い方を
止め、単純に神に対する働き、教会自身に対する働き、世界に
対する働きと分けて考えて見ましょう。



A. 神に対する働き



 教会の究極の存在目的は、すでに学んだように、神の栄光
をほめ称える事、すなわち礼拝をする事です。自分たちの全存
在を賭けて、あらゆる方法をもって、神を礼拝することです。
教会はこの目的のために、天地創造以前から、神のご計画の中
に組み込まれていたのです。(エペ1:4−6) 現在教会に
与えられている多くの働きは、やがて完全なものが現れる時、
必要のない働きになるでしょう。教会がこの世に派遣された目
的である宣教と言う働きでさえ、永遠の中では不要になってし
まうのです。しかし、神をほめ称える礼拝の働きは永遠に途絶
えることのない働き、究極の働きとなるのです。



 教会は、神の贖いの愛を自分自身で体験したものとして、
誰かに聞いて知った事でも、横で見ていた事でもなく、自分の
人生の中で体験した愛、受けた愛として、感謝と喜びを持って、
神を礼拝します。このような礼拝が出来るのは、すべての創造
物の中で教会だけです。天使たちでさえ、そのような礼拝は出
来ないのです。教会は、神の愛の大きさと深さと広さを、知的
に理解するだけではなく、自らの体験として理解し、とこしえ
に神を称え、礼拝をし続けるのです。



1.礼拝の内容 



 礼拝とは、万物の創造者である神を、神として認め、神と
して崇める行為です。神は神であられるゆえに、崇められるべ
きなのです。神は万物の創造以前から、三位が互いに愛し合う
永遠の方として、何にもよらず自在し、すべての存在するもの
の源であり、たとえ万物が消滅したとしてもなお存在し続ける
お方です。万物が存在し続ける限り、万物の賞賛を受けるべき
お方です。万物は神の栄光の発露として造られたのです。人間
の礼拝とは、造られた者としての自覚を持って創造者を崇め称
えることです。自分が存在し生きていることを、存在させられ、
生かされているという事を神への賛美とする事です。



 しかしクリスチャンは、単に創造者としての神を、畏敬を
もって崇めるだけではありません。自分たちは神の愛の対象と
して造られている事を知っています。罪によって神の敵となっ
てしまった後も、なおも愛され続け、贖罪の愛によって贖い出
され、再び愛の交わりの中に入れられた事も理解しています。
その愛の経験を背後に、大きな感動をもって神を愛し、感謝の
心に満ち溢れてほめ称えるのです。



 ただし礼拝というものは、単に神をほめ称える事、賛美す
る事だけではありません。ほめ称える事は礼拝の中でも最も高
い部分であり、中心であり、永遠に続く部分でもあります。そ
の中には、言葉をもってほめ称える事、歌をもってほめ称える
事、音楽や創造的な芸術をもってほめ称える事、祭りをもって
ほめ称える事などが含まれるでしょう。教会は地上の一切の戦
いから開放されて永遠の安らぎに入った後も、その全存在を、
神を称える事に費やすのです。



 とはいえ、教会がこの地上に存在している間は、まだまだ
戦いの中にあり、悪魔と戦い、自らと戦い、痛みや困難と戦わ
なければなりません。ここで大切なのは、教会はただ自分の勝
利のために戦うのではなく、神への礼拝の行為として戦い、神
への礼拝の行為として勝利するのだという事です。ダビデが詩
篇23篇で、「み名のゆえに」と歌った時、そのような礼拝を思
い浮かべていたのでしょう。またゴリアテと戦った時も、神に
対する礼拝の気持ちが伺えます。さらに教会は、この世に存在
する限りは委ねられた福音を宣べ伝えます。しかしそれもまた、
ただ単に滅び行く同胞に対する愛のためにするものではなく、
究極的には神への礼拝の行為として行うのです。ましてや、自
分たちの教会を大きくしたり、有名にしたり、賞賛を受けたり
という自己目的のために行うのではありません。教会が、小さ
な者、弱い者、虐げられている者のために働くのもまた、ただ
彼らを愛し、痛みを共有して行うのではなく、神への礼拝の行
為として行うのです。



 さらに、教会の内部で互いに愛し合い、助け合い、教え合
い、励まし合い、あるいは厳しく躾け合い、互いに成長しよう
と励むのも、すべてそれ自体を目的として行うのではなく、神
への礼拝として行うのです。まさに、生きるのも死ぬのも主の
ため、飲むのも食べるのも、結婚をするのも子をもうけるのも
主の栄光のためなのです。人間の生の営みそれ自体が、神への
礼拝なのです。またそのような意識があり、神の臨在の感覚が
あり、臨在したもう神への怖れがあってこそ、自己顕示欲を押
しのけた伝道ができ、自己賛美から開放された愛の奉仕ができ
るのです。あらゆるところに満ち溢れていらっしゃる神を想い、
太陽が昇るのを見て感動し、七色にきらめく野の花の朝露には
っとして息を潜め、虫の音に耳を傾け、満天の星を感嘆して仰
ぐ中に、礼拝があるのです。



2.礼拝と献身



 従って、礼拝とは、神の栄光のために自分が存在している
と知り、神に自分を捧げることです。それこそ、パウロが霊的
な、本来あるべき礼拝の姿であると教えているものです。(ロ
ーマ12:1) かつて、私たちが死んでいた時には、自分の
幸福のために、自分の利益のために、自己の獲得のために生き
ていました。天地をお造りになった神を知り、神を信じて生き
るようになった後も、あくまでも自分の幸福のために、神をさ
え利用しようとしたに過ぎないものです。幸せになりたい、救
われたい、平安な暮らしがしたい、問題を解決してもらいたい
と、言うならば自分を獲得するために神を信じたのです。あく
までも自分が中心で、神は、自分の幸せに奉仕をするため、あ
るいは利用する多くの要因のひとつとして、自分の周りにある
ものに過ぎなかったのです。その信仰哲学は、悪魔と同じでし
た。(ヨブ1:9−10) 「私たちはいたずらに神を信じな
い。神が私たちの手の業を祝福してくださるから、神を信じて
いるのだ」と考え、「神が祝福を取り除かれたら、私たちも直
ちに神を信じるのをやめよう」と考えていました。 



 しかし、そのような低い信仰の状態にあっても、神は忍耐
を持って私たちを教え導き、正しい信仰のあり方へと入れてく
ださいます。その正しい信仰のあり方が、自分自身を捧げる事
であり、それこそがまた、本来あるべき姿の、正しい礼拝であ
るという事です。この自分を捧げることこそ、人生の方向転換
です。クリスチャンになるということも、その人間の世界観、
人間観、価値観、宗教観の大きな変化ではありますが、自分を
世界の中心に据え、神さえも周辺に置き、すべてを自分中心に
考え、判断し、行動してきた生き方から、神中心の考え方と行
動に変えるのは、さらに大きな人生観の変化です。自分が中心
ではなく、神が中心になるのです。これをパウロは、「心を新
たにすることによって造り変えられ」と、表現しています。多
くの聖書翻訳者の理解が正しいとすると、心を新たにするのは
人間の側の行為で、それを受け止めて作り変えてくださるのは
神の行為です。  そしてこれは、救いの経験の後、クリスチャ
ン人生の成長段階で起こる事です。



 ですから本物の礼拝、真に霊的な礼拝、あるべき姿の礼拝
は、礼拝する側の自己放棄から始まります。ちょうど、24人の
長老が自分たちの冠を投げ捨てたように、(黙4:10)礼拝
者たちは己の冠を投げ捨てて、始めて真の礼拝者になるのです。
伝道の功績も、牧会の功績も、神学の分野の功績も、聖書学の
分野の功績も、あるいは音楽の分野の功績も、その他どのよう
な功績も、その冠を頭に頂いたままでは真の礼拝者にはなり得
ないのです。その冠を投げ捨てられない心でする奉仕は、しば
しば大きな争いと軋轢の原因となって来ました。たとえ、牧師
になり宣教師になっても、この心の一新によって作り変えられ
る体験、己の冠を投げ捨てる経験をしていない者は、いつまで
も、神の栄光を現す事よりも自分の功績を評価してもらうこと
に熱心になり、競い合いと、争いと、やっかみと、中傷の火種
を作り、主の働きを傷つけ、ご栄光を損ねます。しかもこの真
の自己放棄、本物の謙遜というものは、一度だけの事で終わる
のではなく、毎日まいにち、しかも一日に何度も繰り返さなけ
ればならないものなのです。

 
 
 正しい自己放棄を経験して、自分中心の人生観から神中心
の人生観に転換してこそ、本当の意味で、神に仕える事が出来
るのです。このことが徹底しないままで奉仕を続けていくと、
教会の中に虚栄心による妬みといがみ合いが起こり、分裂と分
派に進んで行くのです。個人主義に根ざしたアメリカなどの文
化では、独立あるいは、単立という言葉がもてはやされ、多く
の独立教会、単立教会が存在します。その影響で、日本でも、
あたかもそのような教会が、麗しいものであるように勘違いし
ている人々がいますが、多くの独立教会・単立教会は、正しい
自己放棄と献身の出来ていない働き人が作り出したものです。
多くの場合、彼らは大変謙遜で、神さまのみ声には聞き従いま
すが、キリストのみ体である教会の声に従うことはないのです。
もっと端的に言うと、「鶏頭となるも牛後になるな」という精
神に満ちているのです。本当にキリストの精神を持つならば、
牛後どころか鶏尾になっても良いはずですが、それが出来ない
のです。共同体としての教会の理解が出来ていないのです。



3.共同体としての礼拝



 教会は礼拝をする民です。個々人が礼拝することは当然で
すが、教会とはひとつの民として礼拝をするものです。民とし
てと言った場合、礼拝する個人がたくさん集まるという事では
ありません。西欧的な個人主義の中では、個々の人格を持った
個人の集合、自由意志によって集まるの個人の集団が「民」で
すが、共同体文化の中では、個人がその中に生まれ育つ人々が
「民」なのです。民の中に生まれたものは、その民の一部にな
るのです。個人は民を選ぶ事が出来ず、その中に生まれるので
す。従って、共同体文化の中で形成された教会は、礼拝をする
人々が自由意志で集まって、礼拝する集団となった民ではあり
ません。神によって生まれた者は、神の民、神の家族の中に生
まれたのです。つまり、個々のクリスチャンは礼拝をする民の
中に生まれ、礼拝をする民の一部となったのです。




 個人主義の国アメリカは、憲法によって成り立つ国です。
アメリカという国を成り立たせているのは、人種でも、原語で
も、文化でもなく、合衆国憲法です。それにも拘らず、アメリ
カという国土と領空に生まれた者は、その背景と理由を問わず、
アメリカの国籍を持つことができます。アメリカに生まれれば
アメリカ人なのです。これは、三代も4代も前から日本の国土
に住んでいても、日本国籍を取る事の出来ない人がいる日本と
大きな違いです。日本では日本人の血が国籍感覚を決めるとこ
ろがあります。ですから、祖父母の代からブラジル住んでいて、
ブラジルの国籍を持ち、ポルトガル語を話していても、血が日
本人の血であるため日本人であると勘違いされて、「日本人の
くせに日本語がわからないとは」と非難されるわけです。どち
らにしても、子供は自分の所属を選択する事が出来ません。



 クリスチャンは礼拝する民、神の民の中に生まれたのです。
ですから、神を礼拝する民の中で、神を礼拝する民の一部とし
て、神を礼拝するのが当然なのです。それはアメリカの国土と
領空に生まれた者はすべて、アメリカ国民して認められ、アメ
リカ国民としての権利を有するのと同じように、そしてそれ以
上に、神の国に生まれた者は、神の国の国民としての国籍と権
利を持って礼拝するのです。これが公同の礼拝と言われるもの
です。単に、礼拝する個々人が任意で集まった礼拝会が、公同
の礼拝なのではありません。ひとりひとりが、自分は礼拝をす
る神の民という共同体の中に生まれた者であり、この共同体か
ら切り離されることはあり得ないという強い自覚と意識をもっ
て、共に礼拝するのです。神の家族として、キリストのみ体と
して、不可分の者として共に礼拝をするのです。同じ神を信じ、
同じキリストの血の贖いを受け、同じ聖霊によって生かされ、
同じ愛と同じ目的を共有し、同じ永遠のみ国を受け継ぐ者とし
て、そのような自覚を持って、ひとつにしてくださったひとり
の神を崇めるのです。



 ですから、クリスチャンが礼拝会に集まるのは、個々人の
礼拝として集まるのではなく、礼拝会に集まるのです。共に礼
拝するために集まるのです。自分たちが主にあってひとつであ
ることを確認するために集まり、ひとつの民として礼拝するの
です。そこで大切なのは、主にあってひとつであるという、強
烈な思いです。互いに憎み合い、いがみ合っていては、この公
同の礼拝は不可能なのです。たとえ個人的にはどのように素晴
らしいささげ物を携えて来ていても、もし、兄弟と仲たがいし
ているのを思い出したら、そのささげ物をそこに残して、まず、
兄弟と和解しに行くことが大切なのです。兄弟をさげすみ、嫌
い、憎み、ないがしろにし、あしざまに言いながら、真実の礼
拝会はあり得ないのです。自分のために命を捨ててくださった
主を愛しているならば、主が命をお捨てになるほど愛しておら
れる人間をさげすみ、嫌い、憎み、ないがしろにし、あしざま
に言うことは出来ないのです。



 それはまた、クリスチャンたちが協力して神に奉仕をする
時、そこに共同の礼拝が形成されるという事です。クリスチャ
ンがキリストの名によって集まり、キリストの名によって協力
して働く時、たとえそれがひとつの地域教会であろうと、ある
いは管理上のひとつの教会であろうとも、あるいは有機的教会
としてであろうと、そこに奉仕という公同の礼拝が成立すると
いう事です。キリストが「2、3人私の名によって集うところ
には、わたしもその中にいる」とおっしゃったとき、ひとりだ
けの時にはそこにおられないとおっしゃったのではなく、特別
な意味において、臨在してくださるとおっしゃったわけですが、
その特別な意味とは公同性ではないかと考えます。たとえわず
かな数のクリスチャンであっても、主にある信仰に一致を具体
的に表現するとき、たとえまだまだ未成熟であり胚芽の状態で
はあっても、そこには公同性が形成されるからです。ですから
公同の礼拝には、質においても価値においても、個人の礼拝と
は異なるところがあるのです。それは私たちが判断する価値で
はなく、礼拝をお受けになる神がそのように判断されているの
です。



B. 教会自身に対する働き



 教会の働きの第二の分野は、教会自身に対する働きです。
教会は、すでに学んだように有機体ですから、すべての部分が
有機的に繋がって、それぞれの働きが互いに影響し合い、補佐
し合っていますので、それぞれの働きを別個に取り上げて語る
ことは困難ですが、一応、ここではふたつの分野に大別する事
が出来るでしょう。それは、交わりに関する働きと教育に関す
る働きです。












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2010年10月30日

教会について 2−22

p136〜144


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D.キリストの派遣に伴ったと同じ権威



 キリストはこの世に遣わされた時、第二神格者としての栄
光と権威を横に置いて来られたという事については、すでに学
んだ通りです。しかし、キリストはその公生涯を開始なさった
時、明らかに、公生涯の働きを遂行するために聖霊をお受けに
なったと同時に、権威をも付与されたと考えられます。その権
威は甦られてから取り戻された権威とは別の権威、あるいは甦
られた後に取り戻された権威ほどの完全なものではありません
でしたが、(マタ20:19) 悪魔を叱り、(マタ4:10)
悪霊を追い出し、(マタ8:28−32) 病を癒し、断定的
に教え、(マタ7:28) 自然を治め、(マタ7:27) 
罪を許し、(マタ9:1−8) 死人を甦らせる権威でした。
実際、キリストはすべてのみ業を権威によって行い、信仰とは
キリストの権威を認める事であると教えておられるように思え
ます。(マタ8:5−11) キリストは、祭司長や長老たち
が敵愾心をもって、「何の権威によって、これらのことを教え
ているのか。だれがその権威を授けたのか」と質問をした時に、
敢えて彼らの挑発に乗るようなことはなさいませんでしたが、
答えは明らかです。(マタ21:23−27) 父なる神に与
えられた権威です。キリストは、ご自分の権威は父から来たも
のであることを、かなり明確に主張なさいました。(ヨハ5:
19−47、7:14−18、8:23−30、10:18)



 キリストの弟子たちは、このキリストから汚れた悪霊どもを
制する権威を与えられて、み国の福音を宣べ伝えるようにと派
遣されました。(マタ10:1−15) 弟子たちの派遣には
権威の委託が伴ったのです。弟子たちはこの権威を持って、与
えられた使命をまっとうしました。この権威はまた、権威を委
託した方の権威に関わるものであり、さらにその権威を委託し
た方をお遣わしになった、父なる神の権威に直結するものでし
た。(マタ10:40−42、ヨハネ13:20) こうして
見ると、弟子たちに与えられた権威は悪霊どもを制するだけに
止まらず、福音宣教全体に関わるものであることが分かりま
す。キリストは、未熟な弟子たちが悪霊に対する権威の力を目
の当たりに体験して、有頂天になってしまったのを戒めて、永
遠の命の大切さをもう一度強調し、確認しなおさなければなり
ませんでした。教会は、誕生前の胎児の時代から、権威を委託
され、権威によって働くようにされていたのです。



1.教会に与えられた権威与えられていない権威



 まだ人間の肉体を取っておられた時のキリストが、未だ生
まれてもいない教会の権威について、予め、お語りになってい
るのはとても興味深い事です。(マタイ18:15−20) 
教会が解くことは解かれ、教会がつなぐことはつながれるとい
うことですが、これが実際何を意味しているのかは、解釈者に
よって異なります。とは言え、これは懲罰ということでは教会
の内部の問題に関わることであり、福音の宣教とその結果とい
うことでは、外部の者に関わることであるということだけは明
ら。かです。



 教会が、自分たちの内部の問題に対しては、権威をもって、
しかも正しい手段で正しい判断をすべきことは当然のことです。
しかしいま取り上げようとしているのは、教会が外部の者に対
しても権威を持っているという側面です。福音宣教の使命を与
えられた教会は、使命と共に、福音に関わる権威をも与えられ
ています。教会がそのことを自覚していようがいまいが、与え
られているという事実にはかわりがないのです。教会が福音宣
教に携わるということは、人間の永遠の運命を定めるという結
果をもたらす、重大な権威を行使する事であり、軽々しく、い
たずらに取り扱うべきではないのです。福音は信じる者には命
を与える力ですが、拒絶する者には永遠の滅びを定めるものだ
からです。そしてまた、この福音宣教の使命がただ教会にだけ
与えられているという事実、教会以外の何者にも与えられてい
ないという事実が、非常に重要です。教会が独占している使命
であり、独占している働きであり、独占している権威なのです。
教会は、キリストが「あなたの罪は赦された」と宣言なさった
ように、福音を聞いて悔い改める者に「あなたの罪は赦された」
と宣言する権威を持つのです。



 また、教会の誕生がいよいよ近くなった時、キリストは改
めて権威について触れておっしゃいました。「わたしには天に
おいても、地においても、一切の権威が与えられています。そ
れゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々(部族)を弟
子としなさい。」 甦られたキリストは、はじめから天でお持
ちになっていた権威を取り戻し、その権威をもって教会の土台
となる弟子たちに、「すべての民族を弟子とする」ようにお命
じになったのです。  甦られた後のキリストが、一切の権威を
与えられ、その権威のゆえにお命じになった世界宣教に関わる
教会の権威と、人間の肉体をお持ちだったときに、弟子たちに
お与えになった権威にどのような違いがあるのか、具体的には
定かではありませんが、肉体を持っておられた時のキリストの
権威は、いろいろな意味で限られていたと考えられます。とこ
ろが甦られたキリストは、受肉前の完全な権威を取り戻された
のです。従って教会は、美しの門に座っていた足の萎えた乞食
を、甦られたナザレのイエスの名、すなわち甦りのキリストの
権威によって立ち上がらせたペテロのように、よみがえりのキ
リストの権威によって福音宣教の働きを進めて行くのです。
(使徒3:1−4:12)

 

 パウロが、教会は和解の福音を任せられている「使節」で
あると語った時、教会に委譲されている権威について、思いを
及ばせていたと考えられます。この使節という言葉は、大使ま
たは全権大使、さらには代理とも訳すことが出来るということ
ですから、当然、遣わす者の権威が伴うと考えられるのです。
言語の意味合いから察するならば、キリストが父から遣わされ
たとおっしゃった時も、権威が伴っているという意味あいがあ
ったと考えられます。キリストが教会を遣わすとおっしゃった
言葉にも、同様に、権威の意味合いが込められていることが明
らかです。遣わすと訳されているふたつの原語には、権威を与
えて使わすという意味があるからです。



 教会はたとえどんなに小さく弱く見えても、どれほど貧し
く困窮しているようであっても、権威を帯びているのです。こ
の世界の、他のどのような者にも絶対に与えられていない、強
大な権威を与えられているのです。教会が福音を語る時は、神
の権威をもって語るのです。教会が病を癒し悪霊を追い出す時
には、甦られたキリストのみ名の権威によって行うのです。こ
の、権威によって癒しや悪霊の追放を行う働きは、癒しや悪霊
を追い出す賜物よりも、より基本的な教会の働きであり、賜物
を与えられている者だけが行う働きではなく、教会の基本的働
きとして、教会全体が関わっていく働きです。それはちょうど、
パウロの福音宣教がこの世の知恵や賢さによらず、福音の力に
よって行われたと言われているように、教会も自らの知恵や知
識といった資質に頼らず、福音宣教に伴う権威によってしるし
と奇跡を行い、悪魔の支配を打ち破って神の国の到来を明示す
るのです。



 一方教会には、福音宣教という使命に伴う権威以外の権威
は、与えられていません。教会は、福音宣教とは関係のないい
ろいろな分野で、権威を行使してきました。そのすべてが間違
った結果をもたらしたとは言えないまでも、多くの場合、誤っ
た判断に基づいた誤った結論となり、正義の神の名によって悪
を行う結果となってしまいました。特に教会が世俗の権力と手
を組んでいた時、あるいは、世俗の権力を手中にしていた時に
行使した権威は、多くの場合、悲惨な結末に終わってしまいま
した。この事についてはすでに簡単に述べたとおりです。教会
は与えられていない権威を行使してはならないのです。その権
威を行使する能力も与えられていないからです。与えられてい
ない能力と権威を行使すると、必ず悲惨な結果に終わるからで
す。



 教会の歴史は、キリストによって委任された権威と、教会
が世俗の力を掌握したときに獲得した権威の間の、葛藤、衝突、
融合、混乱の歴史でもありました。それは、ヨハネとヤコブと
の母が、ふたりの息子たちを、それぞれキリストの右と左に座
れるようにと画策した時から始まって、自己を捨てきれない不
肖の弟子たちの、権力闘争の場でもあったのです。このような
精神から権力を行使するならば、教会は内部の問題に対してさ
え、正しい手段を採って正当な判断をする事が出来なくなって
しまいます。原始教会から、原始カトリック教会に移行してい
く途上での、各地の監督たちの意見の相違と権力闘争は、やが
て東西教会の分裂をもたらしました。そして東西の教会共に、
権力の官僚機構を作り上げ、それを動かしがたいものとしてし
まいました。そしてこれが世俗の政治権力・経済力を手中に収
め、国家権力さえ掌握するに至って、教会の名によって、神の
名によって、そしてキリストの名によって、あらゆる犯罪行為
が行われてきました。もちろん、教会が行ったすべてのことが
犯罪であったわけではなく、多くの素晴らしいことも行われた
のですが、全体として見るならば、神の権威によって行われた
と言うにはとても恥ずかしいものです。



 すでに触れたように、教会は、世俗の事柄を裁く権威を与
えられていません。権限も能力も与えられていないのです。世
俗の事柄の善悪を見極め判断する知識も知恵も力も賦与されて
いないのです。それを与えられていると思い込み、神の名をも
って発言するのは愚かな事です。日本のように、教会が社会の
中で小さい場合は少数意見として無視され、せいぜい福音伝道
の妨げになるだけであり、アメリカのように、教会が社会の中
で力を持つほど大きい場合は、世論を誤った方向に導くものに
なってしまいます。人間が神の御前に正しい信仰を持って、良
心に恥じない生き方をするという事と、社会的にあるいは政治
的に正しい判断をし、正しい選択をして行くという事は、まっ
たく別の事柄なのです。その事がわかっていないと、「クリス
チャンの大統領ならば正しい事をするに違いない」とか、「キ
リスト教政党ができれば、それが最善だ」などという、幻想を
抱く事になるのです。ましてや、教会が神の名をもって発言し、
行動していくべきだなどと考えるのは、鯨が空を飛ぶ事を妄想
するようなものなのです。



 このような幻想は、カトリック教会が教皇をキリストの代
理とし、この地上におけるキリストの権威を主張したことに、
深く関わっています。教会内の官僚機構の頂点に立ち、さらに
地上の権力を掌握することによって、文字通り、教皇は絶対の
権力を手にしたことがあります。カトリック教会には、現在で
もその時代を懐かしんでいるところがありますし、あわよくば、
その権威をいくらかでも取り戻したいと考えている事も、様々
な国々でのカトリック教会の動きを見ていると明白です。カト
リック教会は、いつも国家権力と手を結ぼうとしています。



 プロテスタント教会もまた、そのようなカトリック教会と
基本的に同様である場合が多いのです。特に伝統的キリスト教
国家と言われる国々ではそうなのです。各国の宗教迫害を逃れ
て、新天地を求めて移住者が集まって来ていた開拓時代のアメ
リカでは、ロジャー・ワグナーによって提唱された政教分離の
原則が受け容れられました。戦後、アメリカの影響を強く受け
て民主主義を模索してきた日本では、このアメリカから輸入し
た政教分離が当然の原則のように語られていますが、決して世
界の常識ではないのです。教会がこの世におけるキリストの代
理であることは、聖書によって明白です。しかし、教会の官僚
機構がキリストの代理ではありませんし、ましてや、キリスト
はこの世の事柄には敢えて干渉なさらなかった、苦しみと痛み
の救い主だったのです。第一降臨のキリストは、「カイザルの
ものはカイザルに」とおっしゃって、自分を政治の世界、世俗
の世界に引きずり込もうとした人々に、はっきり「否」とお答
えになったキリストであり、そのキリストの代理を教会が勤め
ているのです。私たち教会は、雲に乗っておいでになる、第二
降臨のキリスト、裁き主としておいでになるキリストの代理で
はないのです。このことを明確に理解しなければ、私たちは、
自分がキリストと共に裁く者であるという幻覚を抱き、とんで
もない事をしでかしてしまうのです。この世の事に関しては、
今の教会、第一降臨のインマヌエルとしてのキリストの代理で
ある教会は、何の力も持っていないのです。ただ、良心と信仰
をもって、神のみ前に生きるだけなのです。教会に必要なのは、
「知りません」「わかりません」と言える勇気です。教会が裁
くようになるのは、すべてが明らかにされて、キリストから改
めて裁きの権威を与えられてからなのです。



2.権威の源と内容 
 


 では教会は、キリストから権威を与えられたからと言って、
自動的に福音宣教に関する事柄すべてに、権威を振るう事が出
来るのでしょうか。確かに、悪霊を追い出し病を癒す権威、キ
リストのみ名によって命ずる権威、キリストのみ名をもって福
音宣教に携わる権威は与えられており、その件に関しては、あ
まり深く考える必要はないように思います。しかし、私たちが
宣べ伝える福音の権威は、私たちがキリストの名をもって語る
だけで、自動的に権威を持つものでしょうか。



 私たちは、福音宣教のために特別な召しを受けた牧師や伝
道者、あるいは宣教師たちが、「神のみ声を聞いて」説教をす
るのにしばしば出くわします。「今朝早く、何を語ろうかと祈
りながら瞑想しておりますと、神さまが語りかけて下さいまし
た」という枕詞で始まる説教を、実にしばしば聞かされたもの
です。彼らは自分が召されているという事と、神の声を聞いた
という二重の主張によって、自分たちの語ることを権威付けま
す。確かに全能の神が、何にも妨げられない自由意志によって
なさることですから、今も、み声をもってお語りになることも
あり得るでしょう。しかし、神はよちよち歩きの幼子ではあり
ません。自分に出来ることを、何でもして見たいというような
幼児性は持ち合わせておられません。神がなさることには必要
性あるいは必然性というものがあるのです。現在、神が世界中
の伝道者や牧師、宣教師たちにいちいちみ声をおかけになる、
必要性も必然性も認められないのです。神がみ声をおかけにな
ることがある事は否定いたしませんが、66巻の聖書が完結し
ている現在、人間に必要な事柄として神がお認めになった事に
ついては、すでに啓示され、霊感を受けて聖書の中に記録され
ているのですから、猫も杓子も神のみ声を聞くのは腑に落ちま
せん。「神のみ名をみだりに唱えてはならない」と旧約聖書は
教えています。もう少し、聖い神に対する畏れと誠実さをもっ
て、すなわち真の礼拝者の心をもって、自分の言葉に責任を持
って欲しいと望むものです。また、牧師や伝道者あるいは宣教
師として「召される」という体験もあり得ますが、これも聖書
の教えるところではない事はすでに述べた通りです。このよう
な聖書の権威を離れたところで、誠実さを欠いた権威付けをす
るのは、神の仕事を与る者にはふさわしくありません。



 では、福音の伝達者、宣教者としての教会を権威づけるの
は、いったい何でしょう。ある人たちは、立派な学校を卒業し、
修士号や博士号を持っていることで、権威を持っているかのよ
うに振舞います。他の人は癒しや奇跡を行うことによって、自
分には権威があるかのような言い方をします。あるいは自分が
祈れば人が倒れるとか、自分はたくさん預言をするとか言うこ
とで、あたかも権威ある者であるかのように見せかけます。大
多数の者は所属する団体から認証を受けている事を、自分の権
威とします。それらの事柄にはそれなりの価値があるかも知れ
ません。しかし、それは聖書の教えるところではありません。
パウロが、自分に授けられている権威について語ったとき、彼
が意味していたのは使徒としての権威、あるいはその教会を建
て上げた使徒のとしての権威であったと考えられます。(IIコ
リ10:8、13:10、Iテサ2:6) ただそれは教会内
の特定の権威であって、教会そのものの権威ではありません。



 福音伝達者としての教会、贖いの愛のみ業を継続する者と
しての教会を権威付けるのは、神のみ言葉です。たとえ天地が
滅びたとしても滅びることがない、神の言葉が教会の権威の拠
り所、また源です。カトリック教会では、教会が聖書を成立さ
せたと考えて、教会の権威を聖書の上に置いてきました。実質
的には信徒たちの共同体としての教会ではなく、教皇を頂点と
する聖職者の官僚機構としての教会が、聖書の上にありました。
しかし私たちは、教会が聖書を成立させたというのは皮相的だ
と考えます。聖書は聖霊によって成立させられたものであり、
教会は聖霊に動かされ用いられたに過ぎないと理解しているか
らです。私たちは聖書自体が主張するように、聖書は誤りのな
い神の言葉であると信じていますし、その誤りのない神の言葉
に、神の権威を認めています。教会は福音を宣べ伝える権威と
義務をキリストから与えられていますが、その福音とは現在の
教会にとっては、聖書に記された記録以外の何物でもありませ
ん。



 初代の教会が神の言葉として受け容れていた旧約聖書と、
神の子として信じていたイエスの生涯と教え、そしてその弟子
たちが聖霊の助けによって理解した福音を記した新約聖書が、
現代の教会の権威の拠り所です。キリストが教会に権威をお与
えになったということ自体が、聖書によって、そして聖書によ
ってのみ伝えられた事なのです。教会の権威は、霊感された神
の言葉である聖書の権威に拠るものです。教会の権威は、神の
言葉を預かるものの権威、つまり預言者の権威です。神の言葉
を預かっていなければ、権威を持たないのです。教会は、様々
な方法で啓示された福音、神の言葉が、霊感という神の手段に
よって記録された聖書によって、権威を持つのです。福音を委
ねられた教会は、霊感によって福音を記録した聖書を委ねられ
ているのです。


 しかし、教会が聖書を所持しているというだけで、神の権
威を所持しているという事にはなりません。神の言葉は正しく
理解され、正しく語られてこそ、神の言葉だからです。正しく
理解されておらず、正しく語られていない神の言葉は、神の言
葉ではないのです。勝手気ままに、自分に都合の良いように聖
書を用いるのではなく、厳密な聖書解釈による、正しい聖書の
理解を心がけなければなりません。この点においては、私たち
の仲間もかなり厳しい自己批判をする必要があると言わざるを
得ません。聖書、聖書といいながら、自分の勝手な思い込みを
聖書の中に読み込んで、聖書の教えであると主張している場合
がかなりあるからです。聖書を用いて、聖書に法って語ると主
張している私たちは、神の名によって語っているのですから、
純粋な怖れをもって、聖書を学び、語らなければなりません。



 そういう意味では、熱心さを最優先に掲げてきた私たちペ
ンテコステ派の人々は、聖書に対する真摯な学びを欠く傾向が
あります。とは言え、改革派神学を基盤にした、現在の厳密な
聖書解釈の手法の主流には、おおいに問題を感じるところがあ
ります。この手法では、パウロの聖書解釈の方法が誤りになっ
てしまい、復活のキリストがエマオの途上で、また昇天の直前
に弟子たちにお教えになった時にお用いになった、旧約聖書の
解釈の方法が受け容れられなくなってしまうからです。西欧的
な思考方法で聖書の解釈法を決定してしまうのでは、聖書の言
うところが不明になってしまうことがあるのは明らかです。こ
のあたりに、まだまだ、研究の余地が残っていると言えるでし
ょう。今ここで、改革派神学を基盤とした聖書解釈に欠けてい
るものをひとつ挙げるとするならば、それは、聖書をお書きに
なった聖霊が、お書きになった事柄の意味を明らかにしようと、
今も、私たちに働きかけてくださっているという事実を、大切
にしない事です。



 ペンテコステ派の伝統的聖書の読み方は、「素人的読み方」
です。この素人的読み方は聖書の厳密な解釈、一字一句の厳密
な学びなどには、無知と誤りを露呈しながら、大きな全体的な
意味の捕らえ方においては、ひどい誤りに陥っていないばかり
か、大要において正しい捕らえ方をしているという事です。細
部にわたる厳密な研究の大切さと必要性は言を待ちませんが、
木を見て森を見ない誤りに陥りやすいという欠点があります。
幸いペンテコステ派の主流の人々の聖書の読み方は、素人的で
非学問的でありながら、改革派やバプテスト派、あるいはメソ
ジスト派の基本的神学を受け容れつつ、それ以上追求しようと
はせずに、その枠付けの中で聖書を読んで来たために、自分に
都合が良いように勝手に読んで、細かいところでは支離滅裂な
解釈を持ち込みながらも、わずかの例外を除いては、大きな間
違いに陥らずに済んだと言えるでしょう。手前味噌な言い方で
すが、あるいはそのようなところにも、聖霊の導きと照明に期
待して祈りながら聖書を読むペンテコステ派の人々に対して、
聖霊が働きかけてくださっていたのかも知れません。



 実際、でたらめな聖書解釈による説教などを聴くと、神の
言葉を委ねられ、その権威によって立つ教会としては恥ずかし
い限りで、その誤った聖書解釈によって権威が乱用されるのを
見るのは、実に残念なことです。ただ教会は、福音の本質の理
解を「神の許容範囲の中で」最小限の誤りの範疇に止めながら、
神の権威を行使していると見るべきでしょう。私たちは、神の
言葉に立つことによって初めて権威を持つのですから、聖書の
正しい解釈、正しい理解を求めて、最大の努力をしなければな
りません。



 ペンテコステ派の、聖書理解の間違いから来る問題のひと
つに、「預言」があります。多くの人々が預言の賜物を与えら
れたと主張し、彼らは自分たちの預言に、何らかの権威を認め
ることを要求しているからです。彼らは聖書を単純に読むペン
テコステの伝統から、先ず、「預言者」という働きについて、
勝手な思い込みをしてしまいました。また、「預言」というも
のについても、「預言の賜物」の賜物についても、聖書を正し
く理解することに失敗してしまいました。その結果、現在でも、
あたかも旧約聖書の時代の預言者のように、「主はこのように
言われる」と、主の権威を持って語りだすことができる預言者
の出現を信じる事によって、預言者と自称する人たちの語る言
葉を「聖書以外の権威」として受け入れ、本当の神の言葉が教
えていない教えに、迷い出る可能性があるのです。実際、多く
の信徒たちが、誤った教職たちによってこの預言を信じるよう
に指導され、聖書によらない信仰へと誘われてしまったのです。



 伝統的福音派の教会、すなわち、正統的プロテスタント教
会にとって、聖書以外の「神的権威」を認めることは、絶対に
あり得ない事です。もしペンテコステ派の教会が、現代におけ
る神的起源の預言の存在を認めると、聖書以外の権威を認める
事になり、正統的プロテスタント教会の仲間として、認めても
らえなくなる危険性があるのです。では、伝統的、正統的プロ
テスタント教会の仲間と認めてもらうために、私たちは、現代
における預言の可能性を否定してしまうのでしょうか。ペンテ
コステ派の神学者の間にも、そのような傾向の方々がいます。
しかし、現代における神的起源の預言を認め、しかも聖書の権
威を損ねない信仰と理解のあり方を求めることも可能です。



 聖書の教えを素直に読む限り、現代においても、神からの
直接の語りかけとしての預言を否定する理由がありません。そ
の一方で、聖書に書き加えることは禁じられています。すなわ
ち、聖書と同等の権威を持つものの存在が否定されています。
言い方を変えると、聖書に従属する権威は否定されていないの
です。歴史を見ても、教会は様々な信条や信仰告白を作成して
来ました。これらは聖書のまじめな学びから導き出されたもの
とは言え、聖書と同等の権威を持つものではなく、あくまでも
聖書の権威に従属するものです。現代の預言もまた、たとえそ
れが、正真正銘、神からのものであったとしても、聖書と同等
の権威を持つものではありません。あくまでも聖書の教えの範
囲内で、聖書の教えを補佐する形で、聖書の教えに光を当てる
という意味で権威を持つものです。従って、聖書の中には含ま
れていない、新たな啓示としての預言というものについては、
厳しい疑いの目を持たなければなりません。聖書に書き加える
べき事はないからです。



 現代の預言や啓示がどれほど明瞭なものであり、素晴らし
い内容であったとしても、それらは聖書の霊感と同じ霊感を受
けたものではありません。聖書が権威を持つのはそれが啓示の
書だからでも、預言の書だからでも、キリストの言葉が含まれ
ているからでもありません。それが霊感を受けて書かれたもの
だからです。聖書の権威は霊感に拠るのです。現在の預言は、
たとえそれが、現代の電子機器によって誤りなく記録されたと
しても、その言葉は人間の表現であり、人間の言葉です。預言
の言葉、啓示の言葉が神の言葉となるのは、霊感という聖霊の
お働きによってです。聖書の言葉は、人間の選択による言葉で
はありますが、霊感によって、すべての言葉、一字一句が、神
の承認を受けた言葉、神の言葉となったのです。例えばヨハネ
は新しい天と新しい地を見て、「透き通ったガラスのような純
金」という表現を用いましたが、その表現を、聖霊は霊感によ
ってよしとしてくださったのです。今かりに、預言者と言われ
る人が同じ幻を見せられたとするならば、たぶん、異なった表
現をする事でしょう。間違いなく同じ幻ですが、それを見た人
たちによって表現は異なるのです。その表現は、幻を見た人の
ものであり、それだけでは神の絶対の権威にはなり得ないので
す。それが神の権威を持った表現とされるには、霊感が必要な
のです。霊感は単に、聖霊が著者を導いたという事ではなく、
神がその言葉の選択をよしと認められたという事なのです。現
代の預言には霊感がない、すなわち、聖霊のお墨付きがないの
です。



 私たちは、教会の権威が、神の言葉である聖書の正しい理
解と、その理解したことを明確に宣言して行く事にあると、し
っかり確認しておかなければなりません。誤った権威を主張し
たり、権威を失ったりする事がないためです。私たちは、キリ
ストから権威を託されて、派遣されているのです。私たちが語
る言葉によって、人々は永遠の命を獲得するか、永遠の死に定
められるのです。これは実に大変な権威です。












posted by MS at 00:00| Comment(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月29日

教会について 2−21

p127〜136


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B.キリストの派遣条件と同じ条件



 完全無欠、絶対無限の存在。至高の聖さと本源的主権を備
えておられる第二格の神が、罪ある人間に近付き、その人間と
共に住んでくださるためには、自らへりくだり、ご自分の神と
しての資質を横に置き、有限をまとい、服従を道としなければ
なりませんでした。第二神格者が、本来、自分の本質である至
高の聖さと絶対の主権を所持したまま、罪ある人間に近付いた
ならば、罪ある人間は、燃え盛る火の中に投げ込まれた昆虫の
ように、瞬時に消滅する以外にあり得ないからです。罪人を救
おうとされる神が、罪人を滅ぼさずに罪人に近付くためには、
神としての性質を、自ら進んで放棄しなければならなかったの
です。この自発的自己放棄こそ、キリストが派遣されるための
絶対必要条件だったのです。そしてこの絶対条件こそ、キリス
トの代理である教会にも、またその教会を構成しているクリス
チャンひとりひとりにも、求められているものです。



 この自己放棄の教会、へりくだって仕える者の姿を取り、
服従の道を歩む教会というのは、現在の富める国の教会には、
なかなかなか見る事ことが出来ないものです。特に、大きな教
会、成長している教会、しるしと不思議が顕著に現れている教
会に、この自己放棄と謙遜の姿を認めるのは非常に困難な事で
す。勢いがあり、力があり、美しく、魅力的な教会を作ろうと、
全教会を上げて努力し、取り組みます。そのような努力には、
当然ながら正当性がありますし、賞賛されるべきものでさえあ
ります。しかし、その努力の途上で、自己放棄と謙遜が忘れら
れてしまっては、キリストの大使としての資質を失ってしまう
のです。様々なキリスト教書物を読んでみると、個々のクリス
チャンの霊的成長として、謙遜や自己放棄が重要な課題として
取り上げられることは良くありますが、ひとつの地域教会とし
て、あるいは管理上の個教会として、それが取り上げられてい
るのを見た事がありません。むしろ、個々のクリスチャンの自
己放棄は、教会を大きく華美にする手段として用いられ、牧師
の栄光のために利用されているようにさえ思えます。ましてや
キリストのみ体として、教会全体として、謙遜や自己放棄が語
られているのには出会った事がありません。



 18世紀から始まった近代世界宣教の歴史を見ると、わず
かの例外はあるとは言え、 宣教は富める強国から貧しい弱国
へ行われて来ました。富める強国から派遣された宣教師のほと
んどは、それぞれ非常に優秀で、献身態度も自己放棄も、一般
人はおろか、並みのクリスチャンたちに比べても、非常に立派
であったと言えるでしょう。その一方で、経済的に強い事、高
度な文明を背景にしている事、高等教育を受けている事、また、
多くが白人であった事などに不可避的に影響されて、思わず知
らず高慢な宣教師になっていたのではないかと考えさせられま
す。しょうもなく未開で、貧しく、何も知らない現地人を、教
えてやる、助けてやる、指導してやる、訓練してやるという態
度が、あまりにも鮮明だったのではないでしょうか。現地の人
々に取っては教師であり、指導者であり、管理者であり、監督
であり、雇い主であったのではないでしょうか。それがどのよ
うに愛と善意に溢れたものであっても、高いところにいる人が、
低いところにいる者を哀れみ見下しながら、助けの手を差し伸
べるという意識が強かったように思われます。 有名な絵本の
「ちび黒サンボ」が、その善意いっぱいの著者の思惑から外れ
て、差別文書として槍玉に上げられてしまったのも、そのよう
な意識が読み取れたからです。



 キリストは、救おうとされた人々とまったく同じ立場まで
降りて来て、降りて来た方であることを誰にも知らさず、公生
涯を始めるまでの三十年間、天から降りて来た神としてではな
く、周囲の人々の助けなしには生きて行けない、ひとりのか弱
い人間として生活してくださいました。「自己犠牲の神」は、
あくまでもキリストが天にお帰りになってから、弟子たちが悟
ったキリストであって、キリスト在世当時は誰ひとりとして理
解しなかったのです。その姿は人と異ならなかったとは、自分
ひとりでは生きて行けなかった弱々しさを持っていたという事
です。この弱さを30年間経験してから、キリストは公生涯を
お始めになったのです。罪人のための身代わりの死だけが必要
だったのならば、キリストは生まれてすぐに死ぬ事も出来たで
しょう。紫の衣を着て王宮に住む事も出来たでしょう。しかし
キリストは大工の倅として生きたのです。人を頼り、人に助け
られて生きたのです。そのような生き方に大きな意義があった
からこそ、キリストは敢えてそのようになさったのです。



 教会は、このキリストが遣わされたように、遣わされてい
るのです。そしてその遣わされている事実と、遣わされている
意味を最も深刻に考え、キリストに倣う者となろうとするのが
宣教師です。しばらく前になりますが、日本からフィリピンに
遣わされていた宣教師家族が、現地の銀行の不手際のために、
日本から届くはずの支援金を数ヶ月にわたって受け取ることが
出来ず、文字通り食べるにも窮したことがありました。そのと
き、彼らの痛々しい姿を見て、粗末な食べ物を運び、あれこれ
と助けてくれたのが、何の関わりもない、ただ同じところに住
んでいるというだけの、貧しいフィリピン人たちでした。彼ら
の宣教師としての生き方が、貧しいフィピン人にさえ、哀れみ
を起こさせるに充分だったのでしょう。そしてそのような彼ら
だからこそ、フィリピン人たちの心に届く働きを、いまも継続
しているのでしょう。彼はフィリピン人に対する貢献を認めら
れて、無料でフィリピン政府から永久ビサを与えられた、数少
ない日本人のひとりです。



 このように、現地の人々に助けられなければ、生きて行け
ないような弱さを持った宣教師が必要なのです。本来は富み、
能力を持ち、力があり、高度な訓練を積んできた宣教師が、あ
たかも貧しく、何もない能無しのように見られる事もまた、必
要なのです。宣教師たちが、自分たちは本国ではどのようにい
い暮らしをしていたか、どんなに豊かだったか、どんなに立派
な家を持っていたか、どんなに高度な教育を受け将来を嘱望さ
れていたかなどという事を、現地の人々に理解してもらおうと
している姿を見るのは、情けないことです。謙卑の極限である
クリスマスでさえよく理解できず、「イエス様。お誕生日おめ
でとうございます!」とやっている普通の牧師や信徒に、まし
てや一般の人々に、宣教師が本国の栄光と富と力と将来を捨て
てやって来ているなどということが、理解してもらえるはずが
ないからです。宣教師は本国のことを語らず、遣わされた先の
人々と共に住み、共に生きるのです。イエス様も、天上のこと
をお話しすることはありませんでした。(参照:ヨハ3:12)


 貧しいフィリピンの中でも一段と貧しかった、山岳部族の
中で働きながら、教会成長運動や、繁栄の福音に影響された欧
米の宣教師たち、あるいは都市部の豊かな教会の牧師たちの、
心無い教えをしばしば聞かなければならなかったのは、私にと
ってはこの上ない苦痛でした。教会が苦しむ人々と共に苦しむ
ことや、宣教師が遣わされた先の人々と共に痛むことが、あた
かも敗北であり、不信仰の罪の結果であるかのような言われ方
をしたのも、1度や2度ではありません。いったい、教会成長
運動や繁栄の福音には、自己放棄や謙遜という教えは含まれて
いないのでしょうか。現在の、欲望むき出しの資本主義経済の
中で繁栄するという事は、まず例外なく、弱者を痛め傷つける
事に直結しているという事に気付かず、「正当な労働で得た富
は神の祝福である」と主張し続けるほど、私たちのキリスト教
は天真爛漫に無知なのでしょうか。豊かで強い先進国が、自分
たちに都合の良い経済協定を結び、都合よく解釈し都合よく適
用して、貧しく弱い国々から「正当に」搾取をくり返している
という現実が見えないほど、私たちのキリスト教は盲目なので
しょうか。持っているもので満足出来ず、もっと持ちたいと願
うことが貪りであり、新約聖書のいう偶像礼拝の罪であること
がわからないのでしょうか。(コロ3:5)



 このような社会的、文化的、経済的、人種的おごりを持ち
ながら、教会は宣教を続けて来ました。たくさんの宣教師が、
多くの人々の批判の通り、ゴールドとグローリーとゴスペルと
いう[みっつのG]のために働いて来ました。その中でも、困
難な状況の中で自分の働きを立派にやり遂げたという賞賛を得
るために、一生懸命に働いた宣教師が最も多かったのではない
でしょうか。宣教地の宣教師たちが、自分を捨てる事がないた
めに、名誉を賭けて互いに競い争う醜い姿を嫌というほど見て
きました。しかし、それでも、キリストの大使としての役割を、
少しでも果たせたことを喜ぶべきでしょう。私たちは、完全に
ならなければ主に用いられないのではないからです。まさに、
不完全に泣きながら、不完全な者をもお用いになる主の哀れみ
と忍耐に、ただただ感謝しながら働きを続けるのみです。ただ、
そのような不完全さにいつまでも甘んじているべきではないと
思うのです。教会は、キリストが遣わされた時に実践された、
謙遜と自己放棄を自らの模範として、それを模倣して生きるこ
とを条件として、キリストの大使なのです。



C.キリストの派遣の姿と同じ姿



 キリストは弱小植民地の寒村で、非常に貧しい誕生をなさ
いました。汚れた家畜小屋の不潔な飼い葉おけが、最初のベッ
ドでした。彼の育った家庭もごくごく貧しく、まともな税金も
納める事がないほどでした。(ルカ2:23、レビ12:8)
しかも、父親の役割を与えられたヨセフは、どうやら早死にし
たらしく、キリストは少なくても4人の弟とふたりの妹の、父
親代わりになって働かなければなりませんでした。ヨセフは年
季の入った大工で、良い手間賃を取る事が出来たとしても、キ
リストはまだ若くあまりよい仕事は出来ませんでしたから、手
間賃も安かったに違いありません。

  天地の創造者、絶対の力と栄光の主が、人のためにご自分
の位を捨てて、人となり、人として生きてくださったのです。
その姿はまったく普通の人でした。キリストはどんなに貧しく
ても、自分たちの生活のために奇跡を行うことはありませんで
した。石をパンに変えることはなかったのです。そっと隠れて
「み言葉」をもって家具や農機具をお造りになることもありま
せんでした。み言葉によって天地をお造りになった主が、手に
切り傷や打ち傷を作り、額に汗を流し、ちり芥にまみれて働き、
貧しい家計のためにお働きになったのです。食べ物に事欠いた
事は、1度や2度ではなかったでしょう。暑さ寒さのために体
を壊し、無理をして働いた事もあったでしょう。弟や妹のため
に自分は食べるのも着るのも控えて、我慢した事もたびたびだ
ったはずです。近所の人たちが見るに見かねて、そっと食べ物
を運んでくれた事があったかもしれません。古着を分けてくれ
た事もあったでしょう。だからこそ、公生涯に入ったキリスト
が故郷を訪れたとき、誰も、彼が救い主であると信じる事がで
きなかったのです。「あの、ヨセフの子が!?」と言うわけで
す。



 キリストは完全な人間になってくださいました。天の栄光
と力を放棄して、まったくお用いにならなかったのです。公生
涯においてさえ、キリストは聖霊の力によってみ業を行われた
のであり、第二神格者としての力と権威を行使されたのではあ
りません。キリストは、人間以外の何物でもないお方になって
くださったのです。ですから、自らの無限を有限の中に閉じ込
められたキリスト、人の姿をお取りになって、この地上で生き
ておられた時のキリストには、出来ない事や知らない事がたく
さんありました。当然のことです。ある人々はこの事実を取り
上げて、「キリストには出来ない事も知らない事もあった。だ
からキリストは神ではない。神の子でもない。単なる偉大な人
間に過ぎなかった。神に最初に造られた者であった」などと誤
って主張して、キリストの恵みから落ちてしまいました。その
ように誤解されるほど、キリストは完全に自己を否定なさった
のです。キリストは神であり、神でなかった事はありません。
しかし、人の救いのために、一時期とは言え、神の位を放棄な
さった神であられたのです。このようにして、キリストはまさ
にインマヌエルとなってくださったのです。



 キリストは、このようにご自分を空しくして、罪人の救い
のために罪人と生活を共にしてくださいました。そしてこの姿
こそ、キリストが「ように」とおっしゃった内容なのです。教
会はこのキリストのみ姿のように、それと同じように、同じ形
で、同じ原則と様態で、この世に派遣されているのです。すな
わち、自分を空しくして、自分の地位や名誉や栄光、権威権力
というものを放棄し、あくまでも仕える者の姿をとって、遣わ
された対象の人々と同じようになって、共に住み、共に生きる
という事です。言い換えると、現在の教会は勝利の教会であっ
てはならないのです。繁栄の教会であってはならないのです。
悩みも痛みも、病も苦痛も持たない、喜びの教会であってはな
らないのです。そのような完成は、やがて与えられるものとし
て、間違いなく約束されています。そして、その約束の証印と
して、いま、部分的とは言え、癒しを体験し、新しい命を体験
しています。その事のために喜びましょう。おおいに喜びまし
ょう。しかし、基本的に、そして原則的に、今の私たちの教会
は、キリストが遣わされたように遣わされた教会であり、キリ
ストが人々と共に生き共に苦しまれたように、人々と苦しみを
共にするものなのです。



 私たちの国籍は天にあり、私たちの富は天に蓄えられてい
ます。「金は我がもの銀も我がもの」とおっしゃる神が、私た
ちの父です。私たちが豊かになるために、キリストが貧しくな
ってくださいました。私たちは豊かなのです。しかし、今は、
貧しい者と共に生きるために、キリストと同じように貧しい者
として遣わされているのです。痛んでいる人々と共に生きるた
めに、キリストと同じように痛む者として遣わされているので
す。キリストが痛みをもって完成された福音は、キリストのみ
体である教会の痛みを通して、宣べ伝えられるのです。言い換
えると、キリストは今も教会というみ体をもって、痛みながら
贖罪愛を遂行なさっているのです。すなわち、教会の痛みはキ
リストの痛みなのです。(コロ1:24)



 そういう訳で、教会の苦しみ、クリスチャンひとりひとり
の苦しみには、大切な意味と意義があるのです。私たちは理由
なく苦しんでいるのではないのです。私たちの罪と弱さの結果
としてだけ、苦しんでいるのでもないのです。私たちはキリス
トの大使として、キリストの代理として、私たちに与えられて
いるキリストの苦しみを苦しんでいるのです。(ピリ1:29、
3:10) 私たちが苦しみを嫌い、避けようとするのはごく
自然です。しかし、キリストの代理としての苦しみ、苦しんで
いる世の人々と共に生きるための苦しみを、避けようとしては
ならないのです。また教会は、苦しむことを恥じてはならない
のです。痛んでいることを隠す必要もないのです。痛み苦しん
でいることこそ、キリストの大使として派遣されていることの
印だからです。
 


 キリストは、私たちがこの世に生きる限り苦しみに遭うこ
とを、はっきりとお話しになりました。また、私たちから苦し
みを取り去ってくださるようにとではなく、私たちが苦しみに
打ち勝つことが出来るようにと、父に祈ってくださいました。
苦難は、クリスチャン人生の大切な一要素なのです。それは、
キリストの生涯にとって苦難が重要な要素であったのと同じで
す。では、キリストにとって、この世に生き、人々と共に苦し
むという事は、どのような意味を持っていたのでしょう。キリ
ストが罪人と共に住み、共に生きたという事実の背後には、ど
のような意義があったのでしょう。



 ヘブル書の著者は、「あわれみ深い大祭司となるために、
主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませ
んでした。それは民の罪のために、なだめがされるためなので
す。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられて
いる者たちを助けることがおできになるのです」 と説明し、
(2:17−18)「私たちの大祭司は、私たちに同情できな
い方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点
で、私たちと同じように、試みに会われたのです」と教えてい
ます。(4:15) すなわち、キリストが苦しみに会われた
のは、もっぱら私たち、弱い人間のためだったのです。キリス
トご自身が、ご自分の必要や条件のためにお苦しみになったの
ではありません。弱い人間の弱さを自ら身をもって体験するこ
とによって、弱い人間に真実の意味で同情をすることが出来る
ようになってくださったのです。もちろん、キリストが弱い人
間の弱さ、苦しみ、痛みを理解するために、自らそれらを体験
する必要はありませんでした。そのようなものは、全知全能の
主であられる方は、体験せずともご存知であり、主ご自身、滅
び行く罪人たち本人が自分たちの滅びを痛み悲しむよりも、は
るかに深く痛ましいほどに、罪人の滅びのために悲しみ呻いて
くださったのです。そこに救いを提供して下さろうという御心
の原点があるのです。しかし、もしキリストが人間の弱さを身
に帯びず、勇ましく猛々しいみ姿のまま、ユダのライオンとし
て、英雄の死を遂げられたとしたならば、はたして、弱々しい
私たちは、このキリストに恐れなく近寄ることが出来たでしょ
うか。



 キリストは、弱い私たちが恐れることなく近づくことが出
来るように、敢えて弱い者となってくださったのです。弱い者
が、先ず、第一に求めるのは、自分たちの弱さ、痛み、苦しみ、
悲しみというものを理解してくれる人です。じっと話を聞き、
共に痛み、共に苦しみ、共に悲しみ、共に憤慨し、共に怒って
くれる人です。それは同じような体験をし、痛んだ事がある人、
苦しんだ事がある人、悲しんだ事がある人、憤慨し、怒った事
がある人に限られるのです。聖書に記されているキリストの生
涯を知らないカトリックの信徒たちは、キリストは雄々しい方
で、弱々しい人間の痛みを理解してくださらないからと考え、
人間としての弱さを充分に体験し、良く知っていると思われる
「マリヤ様」という女性におすがりします。これはキリストに
対する冒涜であり、キリストの努力を水泡に帰し、み心を痛め
るものです。



 教会は、このキリストのみ姿に似る者です。キリストが遣
わされたように、それに倣って遣わされているのです。本来、
教会は苦しむ必要はありません。すでにこの世の者ではなくな
っているのです。私たちは天に属する者です。しかしながら、
キリストが派遣されたように、私たちも派遣されているのです。
教会は、キリストが罪人と共に生き共に苦しまれ、あたかも罪
人のひとりであるかのようになってくださったのと同じく、こ
の世の人々と同じように生き、同じように苦しむのです。それ
は、苦しみながらも力強く生きる教会、痛みながらも負けない
で生きる教会の姿を見て、人々が教会に近づいてくるためです。
強い教会、負けない教会だけではだめなのです。それでは近づ
いて来られない人々が多いのです。教会は、キリストが持って
おられなかった不完全さを持っています。それは、自ら苦しま
ないでは苦しんでいる者の苦しみを理解出来ないということで
す。教会は、キリストの大使、代理、み体として、キリストの
贖いの働きを継承していくために、苦しみを通して、あるいは
痛みを通して、人々の苦しみと痛みを理解するようにならなけ
ればならないのです。痛みを知らない教会、苦しみを知らない
教会は、真の意味では、悲しみの人で病を知っていたキリスト
の代理にはなれないのです。


 キリストが遣わされたように、教会もまた遣わされている
という真理を、最も重く受け止めなければならないのが、宣教
師である事についてはすでに述べましたが、開発途上国で働く
先進国からの宣教師の多くが、現地の人々の尊敬や憧れは勝ち
取ることができても、効果的な福音の伝達が出来ないでいるひ
とつの理由がここにあります。同じ現地人牧師が何かするより、
先進国から来た宣教師が、金と物資と機動力と能力を発揮して
やったほうが、断然多くの人集めができます。しかし、それで
福音伝達がうまく出来て、教会が建て上げられ、その教会がキ
リストのみ丈まで成長して行くというのは、まれな事です。ほ
とんどの場合、貧しく能力も劣る現地の牧師の方が、効果的な
福音伝達をし、より強力な教会を建て上げることが出来るので
す。先進国からやってくる宣教師たちの多くは、後進国の生活
に溶け込むことがないためです。彼らの非文明的生活様式、理
屈に合わない文化習慣、非生産的な社会形態、非効率的な労働
慣習。どれをとっても先進国からの宣教師にとっては珍糞で、
批判し、嘲笑し、帰国して友人たちとコーヒーを飲むときの会
話の面白い「つまみ」にはしますが、自分がその中に入り込み、
その中で生活するなど、考えても見たくありません。しかし、
現地の人々の苦しみや悲しみは、現地の人々の生活様式に入っ
て、現地の人々と同じように生きてみなければ理解出来ないも
のです。また、そのように生活してみて始めて、表面的にはま
さにばかばかしいような習慣や文化、あるいは社会の仕組みと
いうものが、それなりの歴史と存在理由を持ち、時には、それ
らが非常に美しいものであることさえ解るのです。そしてそれ
らが解ってはじめて、現地の人々の心が解り、福音を有意義に
語ることが出来るのです。



 現地の人々の生活様式に入り込むということは、具体的に
言うと、現地の人々と同じ種類の家に住み、同じ種類の食べ物
を食べ、同じ経済感覚を持つことです。それが単に、現地の国
民服を着るとか現地語で挨拶が出来るとかいう表面の事柄に止
まらず、日常の生活感覚が現地の人々と同じになるということ
です。もっとわかり易く言うならば、現地の人々と1ヶ月間、
あるいは2ヵ月間、一緒に暮らしてみることです。現地の伝道
者の家にお世話になってみることです。そして現地の人々と同
じ家に住み、同じ食卓で同じ食器から同じ食べ物を食べてみる
ことです。同じ寝具で眠り、同じ便所を使い、一緒に買い物に
出かけ、一緒に安いものを探し、一緒に信徒を訪問してみるこ
とです。現地の伝道者たちと伝道旅行に出かけるのも良いでし
ょう。同じ宿の同じ部屋に泊まり、同じ食事をし、同じ乗り物
に乗り、何もかも同じに10日間くらい生活してみることです。
そうすると、単に現地の人々の生活感覚や考え方、習慣や文化
が理解出来るだけではなく、その中で生きる人々の苦労や喜び
も解ってきます。何よりも、現地の人々と心の繋がりが出来て
きます。



 このような実験をするには、当然独身の宣教師の方が有利
でしょう。しかし、たとえ家族持ちでも、敢えてそのくらいの
冒険は出来るでしょうし、やってみる価値はおおいにあります。
ようするに現地の人々に溶け込み、現地の人々の感覚を得るこ
とです。1度でわからなければ、2度3度と繰り返してみると
良いでしょう。誰と余暇を過ごしたいと望むかが、宣教師にと
って重要な個人評価になります。同じ宣教師仲間や同じ国から
来ている人々を求めているうちは、まだまだなっていないと知
るべきです。現地の協力者、現地の人々と過ごすのが最も楽し
くなって、初めて、宣教師の心に近づいたのです。宣教師たち
が自分の家族の生活を第一にして、現地の人々とはほとんど交
わりを持てないような環境で、交わりを拒絶するような生活様
式を保っているのは、つまり、出来るだけ母国に近い生活を保
とうとしているのを見ると、非常に悲しくなります。家族を大
切にするのも理解出来ますが、宣教師はやはり何と言っても、
人の姿を取り、人と共に生き、人と共に住んでくださった、キ
リストの姿に倣う者だからです。



 宣教師が現地の人々と共に生活し、彼らの痛みと苦しみを
理解し出すと、現地人や現地の生活習慣や文化に対する、一方
的な批判が少なくなります。寛容性が増し、現地のやり方に対
する忍耐力も加わります。現地で起こるさまざまな問題に対し
て、宣教師的な解決方法、つまり、現地の習慣を無視した宣教
師の母国のやり方を用いないで、現地のやり方を学び、現地の
人々の示唆と助けを求めるようになります。すると、現地の人
々は喜んで助けてくれます。現地の人々は、助ける事が出来る
ことに、助けられるより喜びを感じるからです。このようにし
て、コミュニュニケーシヨンが築かれるのです。徐々に、現地
の人々は隔てなく宣教師と付き合うことが出来るようになり、
宣教師も隔てを感じないで共に仕事が出来るようになるのです。
そうなってはじめて、宣教師たちは現地の人々が恐れなく近づ
くことが出来る者、痛みを分かち合うことが出来る者として理
解されるのです。



 教会は、キリストが遣わされたように、遣わされているの
です。教会全体が、あたかも宣教師のような意識になって、自
らがキリストと同じようにこの世に遣わされている存在である
ということをしっかり認識するならば、教会の中に大きな変化、
改革が起こるに違いありません。教会は、遭遇する痛みや苦し
みに不平不満を募らせるのではなく、キリストの苦しみに与る
ことができる喜び、キリストのゆえに苦しむのに足る者とされ
た喜びを知るべきなのです。












posted by MS at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

教会について 2−S

p121〜128


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2.正義の戦いとしての社会活動

  

 では、教会が政治的社会的分野に活動範囲を広げることに
関しては、どのように考えるべきでしょうか。慈善的活動に関
しては、神の一般愛という視点から、一応の理解を得ることが
出来ましたが、教会は、社会派の人々が主張するように、ある
いはローザンヌ会議の宣言のように、社会悪に対して戦う使命
を帯びているものでしょうか。教会は社会悪に対して積極的に
戦いを挑まなければ、本来の教会の姿を失ってしまったことに
なるのでしょうか。あるいは、教会が社会悪に対して戦いを挑
むことは、聖書的に正しいことなのでしょうか。



 社会派の中には、単なる慈善的社会活動に限度を感じ、慈
善を必要とする人々を作り出している社会悪や政治悪と戦う、
戦闘的社会活動にのめり込んで行った者もたくさんいました。
中には単なる理論闘争にも満足出来ずに、様々な意思表示活動
を起こし、ついには武力闘争さえ擁護し、自ら武器を取った者
さえ現れたのです。この過程の中で見失われていたものは、し
っかりと聖書に学び、聖書に聞くという態度でした。しかし、
すでに聖書の絶対的権威を認められなくなっていた彼らは、聖
書に聞く代わりに、聖書を、自分たちの都合の良いように用い
てしまいました。啓蒙思想と合理主義に感化されて、聖書に対
する怖れを失っていた彼らであったために、そのようなことを
容易に行うことが出来たのです。もちろん、すべての社会派の
人々がそうなのではありませんし、福音派との交わりがまった
く不可能というわけでもありませんが、福音派の人々が、聖書
の絶対性と福音の唯一性を信じられない人々と交わりをし、共
に働くのは並大抵の事ではありません。



 繰り返しますが、私たちは現代社会の状況やその必要性か
ら、教会のあり方やその活動について論じるのではありません。
あくまでも、聖書がどう語っているかを学び、自分たちの教会
のあるべき姿を描き出し、活動すべき活動が何であるかを知ろ
うとするものです。時代は変わります。状況も変わり、必要も
変わります。教会のあり方自体や基本的活動が、そのように変
わり行くものに対応して決定されなければならないとしたら、
教会の本質が普遍・不変ではなくなってしまい、聖書が教える
教会ではなくなってしまうのです。まず、聖書が教える普遍・
不変の教会があり、その教会が社会の状況と必要に対してどの
ように呼応していくかが大切なのであり、決して、社会の状況
や必要性が教会のあり方や活動を決定するのではないのです。



 では聖書は、教会が社会悪に戦いを挑むべきであると、明
確に教えているでしょうか。「単に、抑圧されている人々に慈
善的活動をするだけでは、いたちごっこに過ぎない。我々は、
抑圧されている人々を生み出している社会の構造や政治のあり
方に積極的に発言し、必要ならば、闘争もいとうべきではない」
というような主張は、はたして聖書の教えに合致するものでし
ょうか。「教会は正義の神の代弁者として、あたかも旧約時代
の預言者がそうであったように、社会の悪を糾弾する活動をす
べきである」という尤もらしい主張は、聖書の教えから導き出
されたものでしょうか。



 先に述べましたように、これらの主張は聖書の正しい学び
から出てきたものでは決してありません。少なくても、現代の
聖書神学的な、より厳密な聖書の解釈から生まれてきた聖書の
理解ではなく、聖書を自分たちの主張に合わせて「使用する」
やり方から生まれて来た、前近代的理解なのです。もう一度明
確にしておきますが、私たちはそのような聖書の用い方に反対
し、そのような用い方から生まれてきた結論には、たとえそれ
が結果として正しい結論であったとしても、納得しないのです。



 まず、教会が社会悪と戦わなければならないという教えは、
聖書の中に見出せないことを明確にしておきましょう。社会派
の人々は、キリストが全世界に出て行って福音を宣べ伝えるこ
とを明確にお教えになり、新約聖書全体が福音の宣教を教会の
使命として教えているにも拘らず、福音宣教を意味のない事柄
として退け、宣教師の引き上げを主張したことを覚えておかな
ければなりません。もちろん、社会派の人々すべてがそれに賛
成したのではありませんが、そのような聖書の読み方をする傾
向があるという事実は否定出来ません。聖書の明確な教えをい
とも簡単に否定出来る彼らですから、聖書に書かれていない事
柄を、聖書の中に読む込む事もまた自然であり、聖書が命じて
いない社会悪に対する戦いを教会の使命であると、聖書を持っ
て主張することも可能なのです。



 教会は、社会悪と戦うようにという使命を与えられていな
いだけではなく、社会悪と戦うべきであるという教えも与えら
れていません。ですから、教会には何が社会悪であり何が社会
悪でないかという判断能力も与えられていません。パウロは、
教会の外部の人々を裁くのは私たちのすべき事ではないと、は
っきりと述べています。(Iコリ5:12−13) パウロが
語った文脈を読むと、世の中の不品行な者、貪欲な者、偶像を
礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者を裁くの
は、教会のすべき事ではないということです。それらの人々の
裁きは神に任せておきなさいという事です。教会は、やがて、
世界だけではなく、み使いをも裁くようになるのですが、今は
そうではないのです。



 ところが教会は、歴史的に、世俗の権力も手にする事によ
って自らの能力を過信し、委ねられていない権威を掌握し、任
せられていない働きを遂行しようとしました。しかし、任せな
かった働きのための能力を、神は教会にお与えになっていない
のです。教会はこの世の世俗的な支配者としての能力も、社会
悪と戦う能力も与えられていないばかりか、社会的な問題に関
する善悪の判断能力さえ、与えられていないのです。ですから
教会は、社会的問題に関しては非常に大きな誤りと、過ちを繰
り返してきました。十字軍や宗教裁判を持ち出すまでもなく、
近代では、先進国の植民地政策への積極的参画、アメリカを主
な舞台とした奴隷問題や黒人問題への対応、ドイツ教会のヒト
ラーへの追従、アメリカ福音主義教会のベトナム戦争をはじめ
とする数々の戦争への積極的賛同があります。教会が自らに与
えられていない能力を用い、権力を行使しようとした時、悲劇
が繰り返されて来たのです。このような外部の事柄に関しては、
教会は善悪の判断能力を与えられていないのです。ですから、
このような事柄に関して、教会の中に基本的理解の一致さえ出
来ていないのです。



 イスラエルの預言者たちが、「主は言われる」と叫んで、
社会悪・政治悪に腐敗したイスラエルに対して、神の代弁者と
しての役割を果たした事は良く知られています。しかし、教会
は、果たして旧約の預言者のこの働きを直接引き継ぐものでし
ょうか。直接引き継ぐのだという教えは聖書のどこにもありま
せん。また、預言者たちが語った対象は、あくまでも代理神聖
政治を取っていたイスラエルであり、他民族について語られた
部分でさえも、彼らがイスラエルに関わる範囲で語られている
のです。つまり、旧約の預言者の働きは、神に救い出された歴
史を持ち、神を前提とした世界観と人生観を持っていた、神の
民イスラエルに対するものであり、一般諸国、一般社会に対す
るものではないのです。ですから、イスラエルの預言者の義の
叫びの働きを、現代社会や国家に対する教会の働きとするのは、
完全な間違いです。ヨナの物語でさえ、表面的には、アッシリ
ヤの首都ニネベに住む人々の悪に対する、神の義と裁きのメッ
セージのように受け取られますが、本質はむしろ、イスラエル
に敵対する異邦人に対してさえ、哀れみをお持ちになる神の愛
の表示にあると思われ、イスラエルを通して啓示される神の救
いの歴史の中で理解されるべきものです。



 さらに、教会がキリストの大使であり代理であり、キリス
トの使命を継承するものであることは確かですが、キリストの
使命を先取りするものではありません。世界を糾弾し、お裁き
になるキリストは、2,000年前にベツレヘムの馬小屋でお生ま
れになった謙卑のキリストではなく、やがて雲に乗っておいで
になる栄光のキリストです。私たち教会は謙卑のキリストの代
理であり、キリストが遣わされたように遣わされているのです
が、栄光のキリストの働きを先取りして、栄光のキリストのよ
うに遣わされているのではありません。パウロは、確かに教会
が裁く者となると語っていますが、それはあくまでも「やがて」
であり、キリストが雲に乗っておいでになる時に続く事なので
す。



 謙卑のキリストは、社会を糾弾する働きをなさいませんで
した。キリストが住んでおられた当時のイスラエルには、あら
ゆる社会悪が満ちていました。植民地であった国家には腐敗が
蔓延していました。巷には差別と抑圧が横行していました。行
く先々で貧しい者を助け、小さな者を保護する慈善的働きでは、
まさに焼け石に水の気休め に過ぎなかったはずです。しかし
キリストは、ご自分の慈善的働きを組織化して、もっと大きく、
効率的にし、社会的にインパクトを与え、より多くの人々がこ
の働きに賛同し、社会を作り変えて行くようにしようなどとは
なさいませんでした。キリストの慈善的社会活動は、あくまで
も、行く先々で遭遇する人々を対象としたものだったのです。
ましてや、社会的弱者を生み出している社会構造を変えようと
か、政治体制を変えようとか、社会や政治を牛耳っている者に
対して、大衆運動を起こして戦いを挑んで行こうなどとは、ま
ったく考えておられなかったと断言出来ます。キリストは、ロ
ーマの兵士たちがイスラエル人たちを思いのままに徴用し、労
働させているのを幾度もご覧になったはずです。そして、その
ような現実に抗議をし、反対運動を起こし、改めるように働き
かけたりなどはなさいませんでした。かえって、「無理に1里
行かせようとする者には、2里行きなさい」とおっしゃって、
文句を言わず、ローマ軍の荷物を背負って、言われた以上の距
離を運んでやるようにお教えになったのです。キリストは、あ
くまでも贖罪愛の遂行を目的としてお働きになったからです。



 また、パウロやペテロを始めとする、新約聖書の時代の人
々や当時の教会を調べてみても、社会悪に戦いを挑んで行く姿
からは程遠いものです。宗主国ローマは、当時としては非常に
寛容であったとは言え、とても残忍で、あらゆる非人間的な政
策と差別に満ちていました。社会の貧富の差は激しく、民族間
の差別もありました。奴隷はごく一般的であり、非人道的取り
扱いが日常の事でした。女性の社会的地位は低く、人権が無視
されていました。肉体的・精神的ハンデイキャップを負った人
々は、社会的にも経済的にも宗教的にも差別されていました。
そのような中で、使徒たちはどのような抗議行動をとり、どの
ような戦いを進めて行ったのでしょうか。



 パウロはローマの為政者たちの権威を認め、彼らのために
祈る事を教えました。ローマの国家が素晴らしいものだと誤解
していたからではありません。ローマ国家が邪悪なものである
ことをも承知でそのように教えたのです。奴隷制度に関しても、
パウロは充分にその犯罪性を理解していたと考えられます。し
かし彼は、その社会的風潮、習慣に、あえて立ち向かう事をし
ませんでした。かえって、奴隷制度に従った行動をとるように
奴隷たちを教え、逃亡奴隷のオネシモを、主人のピレモンのも
とに送り返しています。(ピレモンへの手紙) 女性差別にし
ても、表面的には、パウロは反対運動や抗議運動を起こすよう
な過激な真似をせず、当時の社会通念に従った指導をしていま
す。パウロは当時の、たとえば奴隷制度や女性の身分に対して、
直接あからさまに異議を唱え、反対運動を起こし、敢えてその
ような社会通念に反した行動をとった場合、どのような社会的
反応が起こるか、また、教会の使命である福音伝達にいかなる
影響を与えるかを、注意深く考慮したのではないでしょうか。
社会の機構と経済産業に深く関わっているこのような問題に対
し、基本的人権と平等の御旗を翻して、直接、戦いを挑む事が
決して益にならないと判断したのではないでしょうか。しかし
その一方でパウロは、奴隷を主にある兄弟として取り扱うよう
にと諭して、奴隷制度廃止の礎を築き、主にあっては女性と男
性との間に差別はない事を教えて、女性差別撤廃の土台を据え
ているのです。



 そういう訳で、私たちは、教会の使命は唯一、贖罪愛の遂
行である福音伝道であると考えます。一般愛の表現である社会
活動は、教会の生きる姿、教会のあり方ではありますが、教会
がこの世に派遣された使命、目的ではありません。また正義の
ために戦う事は教会の使命や目的ではないばかりか、この世に
おける教会の姿でもありません。教会は正しい生き方をする事、
またそのためには種々の苦しみをも耐えるべき事が教えられて
いますが、社会悪と戦うことは教会がなすべき事ではありませ
ん。教会は、自らが正しい生き方をするようにと教えられては
いますが、世の罪人に「正しく生きよ」と叫ぶようには教えら
れていないのです。教会がこの世に派遣されるにあたって与え
られた使命、目的はただひとつ、贖罪愛の遂行である福音伝道
です。



 ところで、日本語では名詞の単数形と複数形の間に区別が
ありませんから、「使命」あるいは「目的」と簡単に言ってし
まいますが、実は「使命」と訳されている英語には単数形と複
数形があり、果たして教会の使命はいくつもあるのか、それと
もひとつだけなのかという議論があります。 「mission」か
「missions」 かという事です。 伝統的に、 教会は普通
「missions」と複数形で表現してきた歴史がありますが、そ
れは、教会がこの世で果たすべき使命はいくつもあると考えて
いたからです。教会というものの理解が曖昧で、その使命ある
いは目的と、様々な働きとの関係の理解に混乱があったためで
す。つまり、教会には礼拝会や伝道会、日曜学校や聖書の勉強
会、それから幼稚園や学校の運営、さらには町内会に参加し、
地域社会で世の光地の塩として生きる事、その上に宣教師を送
り、教会を建て、病院を建て、貧しい者を助け、無教育な者に
教育の機会を与えるなど、実にいろいろあり、それがみな大切
な働きであること考えられ、「使命」であると受け取られてい
たためです。



 後でも触れますが、教会がこの世界で存在して行くために
は様々な活動をしなければなりませんし、その多くは非常に大
切ですが、教会がこの世界で生きるための活動と、教会がこの
世に派遣された目的の活動、すなわち使命との間には、明確な
違いがある事を理解しなければなりません。たとえば、日本の
大使がアメリカに派遣されている目的と、その大使がアメリカ
で生活するために必要な活動、すなわち、住居を借りたり、洋
服を買ったり、食料を買い込んだり、子供を学校に入れたりと
いう働きとの間には、明確な相違があるというのと同じです。
教会にはさまざまな活動があり、多くの仕事があります。しか
し、教会がこの世に派遣されている理由、目的、使命はただひ
とつです。ですから、ここでの私たちの学びでは、教会の単数
の使命 「mission」 についであって、 複数の様々な使命
「missions」についてではありません。



3.派遣の目的・宣教か伝道か



 さて、教会がこの世に派遣されている目的は、福音の宣教
であって、すなわち贖罪愛の遂行あるいは継続であって、一般
愛の表現である社会活動ではないと言う事は明らかになりまし
たが、それでは、福音宣教とは何でしょう。伝道とどこが違う
のでしょう。

 

 元々私たちは、宣教という言葉と伝道という言葉を、時に
は同じ意味に、時には少しばかり違う意味に、明確な定義をし
ないままかなり曖昧に用いて来ました。すでに述べたように、
宣教というのは、英語の「mission(s)」の訳として用いてき
ましたが、もともとは、任務を与えて派遣するという意味の新
約聖書用語「アポステロー」のラテン語訳である、「ミッシオ」
に語源を持つものです。「アポステロー」の名詞形が「アポス
トロス」で、日本語では使徒と訳されています。それらの事か
ら、「宣教」の厳密な意味は曖昧でありながらも、常に「派遣」
と深く関わるものとして理解されてきました。ですから、すで
に幾度も繰り返した言い方ではありますが、宣教とは教会が派
遣された使命、任務、あるいは目的と理解するのが適当でしょ
う。宣教するとは、教会の目的、使命、任務を遂行するという
ことです。そしてその目的、使命、任務とは何かというと、贖
罪愛の遂行である福音伝道です。この理解からすると、伝道と
は教会の「missions」、すなわち多くの使命のひとつなので
はなく、教会の「mission」唯一の使命そのものであるという
事になります。



 では、伝道とは何でしょう。いろいろな定義がありますが、
最もふさわしい定義は単に福音を宣言するだけではなく、人々
を救いに導く事でもなく、洗礼を授けことでもなく、また、個
々人をキリストの弟子とする事で終わるのでもなく、救われた
人々で構成される、キリストのみ体を建て上げる事であり、そ
のみ体、すなわち地域に自己を表現した不変・普遍の教会を、
キリストの身丈まで成長させる事です。キリストの身丈まで成
長した教会は、必然的にさらに教会を生み出して行く教会にな
ります。



 このように、原則的には、宣教とはすなわち伝道であると
言う事になりますが、それだけでは充分ではない側面もありま
す。伝道をしている教会のすべてが、必ずしも宣教をしている
と言えないところがあるからです。たとえば、誕生間もなくの
エルサレム教会は、間違いなく伝道の教会でした。伝道の情熱
に燃えていました。多くの人々が福音を聞き、救われ、洗礼を
受け、教会に加えられ、交わりとみ言葉と祈りによって育てら
れていました。しかし、このエルサレム教会は、果たして宣教
の教会だったでしょうか。



 現在、キリスト教の影響の非常に強い国、あるいは地域、
民族の中にある教会はどうでしょう。熱心に福音を語り、多く
の人々を救いに導き、洗礼を施し、教会に加え、教育訓練をし
ているならば、立派に伝道をしていると言えます。しかし、果
たして、宣教はしているでしょうか。自分たちの場所に留まっ
ているだけでは、教会は、宣教をしていると言い難いのです。
まだ、福音が伝えられていない地域、福音を聞いたことのない
人々のグループに出て行って、福音を語る努力をしていなけれ
ば、宣教に携わっている、すなわち、キリストの遺言を遂行し
ていると言い切れないのです。エルサレム教会は、伝道はして
いました。しかし、エルサレムに留まり続けていたのです。そ
の間、宣教は出来ていなかったのです。しかし神は、そのよう
なエルサレム教会を、本来の使命である宣教に駆り立てるため
に敢えて迫害を起こし、クリスチャンたちを四方八方に散らし
てくださいました。散らされたクリスチャンたちは、そうとは
知らずに「派遣」されていたのです。そうとは知らずに、行く
先々の人々に甦られたイエスのことを話し聞かせる事によって、
宣教の使命を果たしていたのです。



 ですからこの宣教の使命は、直ちに弟子たちに理解され、
遂行されたのではありません。ユダヤ人として、ユダヤ人の先
入観に固まっていた弟子たちは、キリストの命令の意味、派遣
の意味を把握出来ないでいたのです。それを弟子たちに理解さ
せ、その使命に取り組ませるためには、聖霊の強い働きかけが
必要でした。聖霊はまず、ユダヤ人たちの間でも比較的柔軟な
ユダヤ主義を採っていたと思われる、デイアスポラのユダヤ人
を奮い立たせ、福音の普遍性に対して少しずつ目覚めさせて行
きました。ステパノを通して神殿の不要性を説かせ、ピリポを
通してサマリヤ人に福音をもたらし、さらにエチオピア人にも
救いを適用しました。その後、使徒たちの中でも中心人物であ
ったペテロを、聖霊はかなり無理をして説得し、ローマの軍人
にも福音を宣べ伝えさせ、聖霊がペテロに先行してお働きにな
る事によって、異邦人も救いに与る事が出来るという事実を明
確に見せ、教会全体に福音の普遍性を徐々に理解させ、世界宣
教の土台を築いて行かれたのです。そして、その上にバルナバ
とサウロの異邦人社会への伝道、すなわち宣教が重なるのです。



 しかし、バルナバとサウロでさえも、また、彼らを派遣し
たアンテオケ教会でさえも、この異邦人世界へ出て行って伝道
をする働きの重要性、すなわち宣教の使命をはっきりと自覚し
ていたのではありません。彼らの派遣は、聖霊の明確な先導と
強烈な後押しがあって、初めて可能だったのです。アンテオケ
教会は、多くの人たちが考えるほど、異邦人宣教に積極的だっ
たわけではありません。バルナバとサウロを積極的に派遣した
のは聖霊ご自身で、アンテオケ教会ではありません。アンテオ
ケ教会は聖霊の働きを妨げず、ただ出て行くふたりを許して見
送ったに過ぎません。  教会が世界を畑として種を蒔くよう
になるには、福音の普遍性と自分に与えられた使命を鮮明に理
解する必要がありました。



 今日の多くの教会も、エルサレムの教会と同様に、自分た
ちの周辺にいる人々、自分と同じ国の人々、あるいは同じ文化
圏の人々には伝道をしていることでしょう。それなりに教会も
大きくなり、地域教会、あるいは管理上の個教会も増加してい
ることでしょう。しかし、すでに教会が存在し、多くのクリス
チャンが存在しているところで伝道をして、成功を収めている
だけで満足していてはならないのです。キリストのみ体である
教会として、与えられた世界宣教の使命を果たしていく責任が
あるのです。世界には、まだまだ福音が充分に伝えられていな
い人々が、たくさん存在するからです。すべての地域教会が、
あるいは管理上の個教会が、直接世界宣教に携わるのは効果的
ではありませんし、現実的ではありません。ほとんどの場合不
可能でしょう。しかし有機的教会として、そして普遍的教会と
して、互いに有機的に関わり協力する事によって、世界宣教に
積極的にまた具体的に関わって行く事が出来ますし、そのよう
にすべきなのです。
   


 宣教とは派遣に関わり、常に出て行く事に関わります。出
て行ってやることは伝道です。しかし、出て行く事を止めた伝
道は宣教ではありません。キリストは天のみ位を捨て、失われ
た羊を尋ね求めて神と人との間の無限の隔たりを旅し、人とな
ってこの世に来てくださった宣教師です。しかし、キリストは
この世に来てくださっただけで満足なさらず、さらに町々村々
を行き巡ってくださった方です。今日の多くの教会に必要なの
は、この、町々村々を行き巡るキリストの姿です。












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