2010年11月01日

教会について 2−24

p151〜159


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この文を最初から順序良くお読みになりたい場合は、右側
下段の「過去ログ」の日付の部分をクリックしてください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



1.交わり


 
 交わりは、教会が愛の共同体である事を最も明確に示す活
動です。愛の共同体としての具体的な存在表現です。交わりな
くしては愛の表現がなかったのです。事実、教会はその揺籃期
から、交わりを中心として活動していました。特に現代のよう
な教育機器も通信機器も、交通手段も印刷技術もない時代です
から、教えるという基本的な活動をするにしても、共に集まる
という「交わり」の要素を無視しては、教えることも出来ませ
んでした。ですから、交わりを基本としてまた前提として、す
べての活動が行われていました。集まることなしには活動は成
り立たず、互いに顔を合わせることなしに、愛を具体的に表現
して行くことは、基本的に不可能でした。ですから、愛の共同
体としての教会は、ごく自然に愛の行為としての集まりを持ち、
集まりを愛の表現の場として行く事が出来ました。個々の信徒
が何かの集まりに出席する事がなかったとしても、全体の交わ
りの中に包み込まれ、どこかで主にある交わりを保っていたの
です。主もまた、数人の者がみ名によって集まる所には、特別
な意味で臨在を現し、共同体としての教会の基本的要素を満た
して下さるのです。



 これは、現在の個人主義化した信仰のあり方に、大きな警
鐘となるものです。いま私たちの周囲では、愛の共同体として
の教会、コイノニアとしてのあり方を否定するような、あるい
は無視するような、個人主義の感覚に基づく教会観が広められ
ています。たとえば、たくさんのテレビ福音番組があるのは良
いことですが、その中のあるものは「テレビ教会」なるものを
宣伝しています。どこかの地域教会にわざわざ出かけて行かな
くても、自宅でテレビを見ていながら「教会出席と同じ」とさ
れる番組です。自宅のワイン棚からぶどう酒を取り出させ、テ
レビの音頭に合わせてぶどう酒を飲ませ、テレビ番組の会衆と
共にパンを食べさせて、聖餐をしたかのような錯覚に陥らせ、
番組提供者に献金を送らせて、義務を果たしたかのような気持
ちにさせているのです。実際、彼らが提供する説教は一般の教
会の牧師の「へたな説教」よりよほど良く、多くの場合りっぱ
な通信講座も準備されているのですから、並の地域教会は太刀
打ち出来ないところがあるのです。他にも、地域教会に出席す
る大切さを無視し、地域教会を破壊するような活動がたくさん
あります。



 ある信徒たちは、「教会に行くと嫌いな人間にも会わなけ
ればならないし、人付き合いが面倒くさくて」と言います。し
かし現代においてさえ、実際に顔を合わせることなしには、具
体的に愛するのは容易ではありません。愛が観念に終わってし
まうのです。愛し合うことの出発点は、やはり具体的に交わり
を持つことです。すでに述べたように、礼拝会がこの交わりの
基本です。キリストに贖い出されてひとつとされた者として、
神の愛を自ら体験した者として共に礼拝を奉げることが、愛の
交わりの基であり、中心であり、出発点なのです。そしてその
愛の交わりを象徴するのが聖餐です。聖餐は単に贖罪の象徴だ
けに止まらず、他にも多くの意味を持ちますが、交わりとして
の教会の象徴でもあるのです。同じ杯から飲むぶどう酒は、同
じキリストの血潮によって贖われた者である事を象徴し、同じ
ひとつのパンから食べることは、同じキリストの身体に属する
者である事を表現しています。それらを飲みまた食べる事は、
キリストを信じる信仰を意味し、同じキリストの命によって生
かされている事実を表しています。



 初代の教会では、クリスチャンたちの愛と交わりを表現す
るために、「アガペー」と呼ばれる愛餐会がしばしば行われて
いましたが、その愛餐会は当初、単なる愛参会ではなく、「聖
餐」として行われていたと考えられます。(Iコリ11:17
−34) 聖餐が愛餐会から切り離されて「聖餐式」として発
展したのは、少し後になってからの事です。愛餐会において共
に食事をする、しかも分け合って食べるという行為が、キリス
トによってひとつとされた者が互いに愛し合うこと、互いに助
け合うことを象徴していたのです。その愛餐会の意義を無視し
たような行為が、コリントの教会の中に見られたために、パウ
ロは非常に厳しい言葉を用いて警告をしました。(Iコリ11
:27−34) ここで言われている、「ふさわしくないまま
でパンを食べ、主の杯を飲む」という言葉を、私たちの間では
普通、救われていない者が主の聖餐を受けるという意味に解釈
して、聖餐式には救われた者だけが与るように、注意深く信者
と未信者とを識別し、さらにはオープンだとかクローズドだと
かうるさいことを言っていますが、それは完全にパウロの言う
ことを誤解しています。  



 パウロはここで、聖餐に与る人が救われているかどうか、
などという事を問題にしているのではありません。それは完全
に間違った聖書の読み方です。このパウロの教えの文脈を読む
と、つまり、前後関係をしっかりと読み取ると、それはすぐに
はっきりとわかるはずです。パウロは、教会の中で貧しい者が
ないがしろにされていた、のけ者にされていた、無視されてい
た、差別されていたという事実を糾弾し、(V20−22)そ
のような態度で聖餐を続けていたために、「あなた方の中に、
弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大勢いるのです」と、恐
ろしい言葉を語っているのです。本来キリストにある一致と愛
の交わりを象徴する聖餐が、こともあろうに、差別と無関心と
冷遇の場となっていたのです。これに対して、パウロは激しく
怒ったのです。ですから、聖餐に与る者はそれぞれ、自分の中
にそのような「神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめ
る」思いや行動がないか、深く反省するように、強く勧められ
ているのです。(V22)



 キリストの血とみ体を象徴する神聖なぶどう酒とパンを、
未信者が「自分をわきまえることをせず」飲み食いすると、神
の罰が下るとでも言うような感覚はここにはありません。それ
は、カトリックの化体説の呪縛から、逃れられないままでいる
教会の言うことです。カトリック教会では、一般信徒はぶどう
酒に与ることは出来ません。司祭が代表してみな飲んでしまい
ます。そして聖餐を、「くり返して奉げられる罪のための犠牲」
と定義していますので、パンだけを食べる聖餐を「血の伴わな
い犠牲」であると教えています。もちろん聖書は、血が流され
ることなしに罪の赦しはありえないと教えていますので、カト
リックの聖餐観が大きく誤っているのは明白ですが、信徒がぶ
どう酒を与えられないのは、もしこぼしてしまうと、その神聖
なキリストの血を、文字通り、「覆水盆に返らず」で、取り返
すことがなくなり、冒涜になってしまうからです。聖餐を未信
者に与えることを非常に恐れるのは、このようなカトリック的
感覚の残滓が、プロテスタント教会の中にもあるからです。



 ですから、クローズドの原則を持っている「しっかりした
教会」などは、自分たちの教会が差別の教会に成り下がってい
ることを、現実の問題として厳しく問い詰めなければなりませ
ん。自分の教会の会員以外の人物が、果たして確実に救われて
いるかどうか判別出来ないために、聖餐を自分の教会の洗礼を
受けた会員だけに制限するというのです。また、キリストの交
わりを非常に小さく、地域教会だけに制限しての処置でもある
ようです。確かに、その注意深さには敬意を払いますが、厳密
な意味で、誰が救われているか救われていないかという問題は、
神の判断に任せる以外にはありません。問題はそのようにして
自分たちの社会的身分を守り、差別を正当化している事が多い
点なのです。また、キリストにある交わりは有機的なものであ
り、普遍的なものです。ひとつの地域教会に制限されるべきも
のではありません。



 そういうわけで、教会の中には、たとえどのような形でも、
差別があってはならないのです。絶対にあってはならないので
す。人権や民主主義、あるいはヒューマニズムが当然の前提と
して語られている、「現代に生きる私たち」がこのような教え
に接すると、「なるほどなかなか良いことを言うな」という程
度の反応しか示しませんが、この教えは、今から2,000年近く
も前に、ごく一般のいわゆる「市井の人間」に過ぎなかったク
リスチャンに与えられたものであることは、まさに驚き以外の
何物でもありません。当時の世界には現代のような人権感覚は
ありませんでした。民主主義やヒューマニズムの観念が、ごく
一部の人々の中には芽生えていたかも知れませんが、一般には、
まったく理解されていませんでした。このころのローマ帝国で
は、競技場が盛んで、次第に残虐さを増していました。繁栄に
慣れ飽食におぼれ倦怠にさいなまれた人々は、はじめの内は動
物たちを戦わせ、悲鳴を聞き、流れる血を見ては楽しんでいま
したが、だんだん見境がなくなり、やがて囚人や捕虜たちを動
物と戦わせる興奮を求めるようなりました。このころ、多くの
クリスチャンたちも動物の餌食となって死んで行ったのは、良
く知られている事実です。血を見れば見るほど血に飢え乾いた
人々は、ついには、剣闘士を育てて、観客の前で死に至るまで
戦わせることに陶酔するようになって行ったのです。そのよう
な非人道的時代の、そのように人権を無視していた社会背景の
中で、パウロはこの教えを記したのです。



 また、教会の交わりの深さ、あるいは親密さというものが
見事に表現されたのが、互いに分け合うという行為です。教会
はその誕生直後から、共に集い、分け合う共同体でした。それ
は心の中に湧き上がる愛の、ごく自然な発露だったと言えます。
彼らは、ナザレのイエスをメシヤと信じる新鮮な共通体験から、
毎日神殿や家々に集まっていました。非常に多くの者がイエス
をメシヤとして受け入れましたので、彼ら全員が一度に集まる
事が出来るような場所はありませんでした。それは物理上不可
能であり、また政治情勢上でも不可能でした。反ローマ感情が
非常に強い「不穏な土地エルサレム」で、一度に何千、あるい
は何万もの人々が一箇所に集まったとなると、たちまちローマ
の軍隊が出動したことでしょう。ですから、彼らは比較的小さ
なグループに分散して、家々で活動していたわけです。その中
では12人の使徒たちが中心となり、かつて7人に選ばれたこ
とのある弟子たちや、復活の主を見た5人の中にいた人々が、
何らかの指導的役割を果たしていたに違いありません。エルサ
レムという、現代の都市に比べると非常に小さな町で、多くの
地域教会が、「家々」という形で出現し、それが町全体で、あ
るいは近隣の集落を含めて組織され、ひとつの管理上の教会と
なっていたのでしょう。



 多分この頃の教会は、まだ自分たちをユダヤ教徒の集まり
として理解していたと考えられます。ですから、直ちに自分た
ちが所属していた会堂から分離して、独自の活動をするという
事はなかったのでしょう。そのような事をすれば、社会的にも
っと大きな混乱を起こし、人々から尊敬を受ける事もなかった
はずだからです。(使徒5:13) そうすると、「ユダヤ教
徒イエス派」とでも言うべき当時のクリスチャンたちは、各々
が属していた会堂の活動を守りながら、クリスチャンとして活
動していたということになります。したがってその活動は、安
息日をはじめ、会堂の活動のある日を避けて行われていたこと
でしょう。そしてまた彼らの活動の多くは、当然ながら会堂の
活動を模倣するものとなって行ったはずです。あるいは、リベ
ルテンという会堂があったように、(使徒6:9) イエス派
という会堂が新たに形成された可能性さえあります。リベルテ
ンとは自由を意味しますので、自由主義的ユダヤ教徒、あるい
は解放奴隷、さらにはローマからの自由を目指す、愛国的ユダ
ヤ教徒の集まる会堂であったのかもしれません。どちらにして
も、当時の会堂には、それぞれの主義主張を持つ者があったこ
とは事実のようですから、ナザレのイエスをメシヤと認める会
堂が出来る可能性はあったわけです。ともあれ教会の揺籃期で
すから、まだ呼称も定まっておらず、「この道の人々」という
のが通称だったのかも知れません。(使徒9:2)



 初期の教会が、ユダヤ教の会堂を模倣していたというのは
紛れもない事実で、パウロの建てた諸教会も例外ではありませ
んでした。当時の会堂の活動には教会が模倣するだけの内容が
あったという事です。少なくても週二回は共に集まり、礼拝と
旧約聖書の教えと説教が続けられ、子どもの教育、寡婦や貧し
い者に対する支援、律法や規定に違反した者への懲罰などが、
きちっと行われていました。このような会堂で長老の役割を果
たしていた者が、新しいイエス派の信徒になった場合、最初か
ら、長老となる資格の多くを備えていたわけです。パウロがい
とも簡単に長老を任命出来た理由です。誕生したばかりの教会
は、長い歴史を持つこの会堂の活動の多くを取り入れ、独自の
意味と解釈を加え発展させて行きました。長老という言葉さえ
も、会堂の用語でした。主の兄弟ヤコブは、一度だけではあり
ますが、教会を会堂と呼んでいるほどです。(ヤコ2:2)



 このように初期の教会は、会堂の要素や活動に新たな意味
を加えたり、解釈を施したりしながら、自分たちのものとして
取り入れていましたが、中でも非常に特徴的なのが、交わりの
具体的表現としての分かち合いでした。ある人たちは、教会の
誕生後間もなく始まったこの持ち物の共有や分かち合いは、当
時の信徒たちが、主は直ちに帰っておいでになるという切迫し
た終末観を持っていて、世俗的なものは不要であると考えたた
めであると推測しますが、それは間違っているように思えます。
なぜなら当時の信徒たちは、確かにキリストの再臨を間近のこ
とと信じてはいましたが、彼らが信じていた再臨は、現在の私
たちが信じているような再臨ではなかったと考えられるからで
す。キリストが昇天された日、弟子たちが待ち望んでいたのは
イスラエルの再興でした。その昇天からまだ間もないこの当時、
この点における彼らの神学的理解が飛躍的に増して、後になっ
てパウロが書き記したような再臨を、待ち望むようになってい
たとは考えられません。彼らの待ち望んでいた再臨は、まだま
だ、「イスラエルを再興させるための再臨」だったはずです。
したがって、世俗の富の重要さは、増大はしても無くなること
はあり得なかったのです。ですから、初代教会の所有物の分か
ち合いは、むしろ純粋な愛の発露、また仲間意識の現われと考
えたほうが良いと思います。



 特に、ペンテコステの日からしばらくの期間は、諸国から
集合していた多くのデイアスポラがいました。彼らが新たな信
仰を受け入れ、予定より長期間滞在することになったために、
彼らの食料や宿泊の場所、その他日常の必要を満たし、支援す
る必要があったのです。これは、旅人をもてなすユダヤ人の律
法と習慣から見ても、当然の事ではありましたが、キリストに
あっての新しい共同体意識に目覚めた人々は、特別な情熱を傾
けてそれを行ったのでしょう。どのような真理であっても、そ
れを受け入れる素地となる文化がなければ、なかなか受け入れ
られないものですし、発展させられて行くことは、なおさらあ
り得ないのです。教会に分かち合いの習慣が栄えたのは、当時
のユダヤ人たちの中に、そのような文化があったからです。



 なぜエルサレムの教会の中に、それほど多くのデイアスポ
ラが常駐していたのかなど、当時のエルサレムの事情について
は不明なところが多いのですが、このような分かち合いが、や
がて教会を組織化し、継続して行かねばならなくなるほどに発
展して行ったのは明らかです。また神さまは、その働きを大切
なものとお考えになったからこそ、敢えて、アナニヤとサッピ
ラの事件を起こして、教会に警告をお与えになったと考えられ
ます。イスラエル人たちの分かち合い、助け合いの習慣は、諸
国に離散したユダヤ人たちの間でも、会堂と律法の教えを通し
て強調され実行されていましたから、ユダヤ人の会堂を拠点と
して福音が語られ教会が設立された地域においては、分かち合
いの教えを浸透させるには、あまり苦労はなかったと考えられ
ます。しかしユダヤ人が比較的少なく、異邦人の習慣が強い土
地の教会では、これを実行するにはかなりの努力が必要だった
と想像されます。飢饉に悩まされていたエルサレムの教会の信
徒たちを助けるために、パウロが、異邦人中心のコリントの教
会に献金の支援を訴えている文書を読むと、その苦労が偲ばれ
ます。(IIコリ8:1−9:15) とは言え、現代の日本
などに比べ、もっともっと強い共同体感覚を持っていた当時の
人々は、パウロの訴えに呼応して、「その極度の貧しさにもか
かわらず」たくさんの支援金を準備したことでしょう。パウロ
はその支援金を持参して、エルサレムに赴くことに命を賭けま
した。エルサレムに行くならば必ず捕らえられて、死をさえも
覚悟しなければならないことを、預言を通してあるいは聖霊の
証を通して、熟知していたにも拘わらず、パウロは多くの人々
の反対を「激情的」に押し切ってまでも、エルサレムに向かい
ました。パウロにとって、教会の内部における助け合い、分か
ち合いは、福音の伝達と同じくらい、充分に命をかける価値の
ある働きだったのです。



 パウロの、前後二回にわたるエルサレム教会への支援金募
金の働きは、教会の交わりが地域教会だけ、あるいはひとつの
管理上の教会だけに留まるものではなく、あるいはひとつの地
域や国家や民族の内部に制限されるものではなく、真実に有機
的教会、普遍的共同体としての教会全体に及ぶものであること
を示しています。この場合、アカヤやマケドニヤの信徒の多く
はエルサレムの教会のことは知らず、そこにいる困窮しきった
信徒ひとりひとりとは何の面識もなかったはずです。しかしこ
れは、現在の個人主義世界のクリスチャンたちが、互いに見も
知らずの間柄のままで、何か共通の目的のために募金をし、助
け合うというのとはかなり異なっています。なぜなら、パウロ
の時代のクリスチャンは、すべて自分たちの土地で地域教会に
所属していたからです。地域教会に所属していた者が、地域教
会に所属していた者を支援していたのです。現代の、どこの地
域教会にも属さない信徒が、これまたどこの地域教会にも属さ
ない信徒を助けるというのとは、異質なものなのです。



2.教育 



 教会の、教会内部に対する働きの第二の分野は教育です。
神のみ言葉を教えることなくして、真の教会は存在しません。
日本語の教会という言葉は、先に述べたように、いささか「教
える」という言う意味が強すぎるとは感じますが、教会は確か
に教える会なのです。教会は神の言葉を教え、神の言葉の正し
い解釈を教え、神の言葉の正しい適応を教えます。そこには個
々のクリスチャンとしての生き方、教会のあり方、共同体とし
ての生き方が含まれ、ひとりのクリスチャンとして成長するこ
とと同時に、共同体としての教会全体が成長することも含まれ
ます。



 またこの教育は単なる知識の教育を超えた、全人格に及ぶ
教育が含まれます。教会  の教育は、決して、ひとつの頭か
らもうひとつの頭に、知識を移す作業ではありません。そうで
はなく、神に造られた人間として、またキリストの贖いを受け
た人間として、「いかに生きるべきか」という事について、聖
書を基にして自ら考え、判断し、決定し、行動することを教え
るのです。この教えるという働きを考える時、私たちは、キリ
ストが弟子たちをはじめ多くの人々をお教えになった方法につ
いて、考える必要があります。



 教育というと、普通、私たちはすぐ学校教育などの正式な
教育、いわゆるフォーマル・エジュケーションを思い浮かべま
すが、キリストが採用された教育の方法は、まったく異なって
いました。キリストが取られた方法は、一般にインフォーマル
・エジュケーションと呼ばれるもので、日本で言うと徒弟制度
に近い教育方法であり、むしろ、訓練法と考えた方がわかり易
いものでした。紙と鉛筆、黒板とチョーク、現代ならば、コン
ピューターにパワーポイントという教育ではなく、四六時中共
に生活して、身をもって模範を示す教え方でした。キリストは、
いわゆる当時の正式な教育方法を取ることもできました。それ
に必要な一切の力と能力を持っておられました。また、キリス
ト在世当時のエルサレムにしても、グレコローマン文化全体に
しても、何々学派と言われるのが流行る、フォーマル・エジュ
ケーションの盛んな時代でした。しかし、キリストは敢えてイ
ンフォーマルな教育方法に留まりました。この、敢えてインフ
ォーマルに留まる教育法を、アンフォーマル・エジュケーショ
ンと呼びましょう。
 


 ちょっと注意して見るとわかることですが、パウロが取っ
た教育方法もまた、大部分はアンフォーマルでした。パウロも、
当時のパリサイ派の二大学派であったガマリエルやヒレルに倣
って、あるいはギリシヤの哲学者たちを参考にして、フォーマ
ルな教育を与えるだけの力を持っていました。しかし彼は、敢
えてインフォーマルに留まったのです。インフォーマルに留ま
ったというより、インフォーマルに乗り出したと言うべきでし
ょうか。彼の教育方法も、机と椅子を並べて講義することより
も、生活を共にし、働きを共にすることによって、理解させる
やり方でした。日本で言う徒弟制度に近いものです。見て学ぶ、
真似して学ぶ、実践して学ぶ、失敗して学ぶという事だったの
です。



 この教育方法は、ただ知識を授けるという事よりも、知識
に加えて生き方を示す教育法と言えます。教育の機器や道具が
横にあるのではなく、人間、血が流れ、痛み、悲しみ、喜び、
笑いを感じる人間が横にいるのです。キリストが教えようとさ
れた事、パウロが教えようとした事は単なる知識ではなく、そ
の知識に根ざした生き方でした。それこそが道であり真理であ
ったのです。知識は生き方のためであり、生き方が具体的に示
されない知識は、キリストにとってもパウロにとっても、用の
ない物でした。ですからキリストは謙遜を教えるのに、謙遜の
定義第一、謙遜の定義第二と語られたのではなく、タオルと水
を持って来させて、ご自分で弟子たちの足を洗い始められたの
です。愛について、寛容について、忍耐について、自制につい
て、小さな者の取り扱いについて、弱い者に対する思いやりに
ついて、痛んでいる者に対する同情について、人々の反感に耐
える事について、差別をしない事について、説教について、権
威を持って悪霊を追い出す働きについて、ありとあらゆる事に
ついて、キリストはご自分で手本を示し模範を与えて、お教え
になったのです。パウロもまた、「私に倣う者になって欲しい」
と語ったように、自分を手本として示していたのです。



 すでにお分かりになったこととは思いますが、このような
教育法は、共にいるということを前提とするものです。教える
者と教えられる者が、共に時間を過ごす。寝食を共にし、一緒
に苦労して働き、共に痛み、共に喜び、共に悲しみ、共に笑う
事があって、はじめて可能なのです。キリストが12弟子をお
選びになったのも、まず彼らを共におらせるためでした。(マ
ル3:14、ルカ8:1) そしてそのような教育は、教会と
いう共同体の中でこそ、つまり愛の交わりが実践されている中
でこそ、より良く行われるのです。信徒の交わりが1週間に1
回の礼拝会だけという教会活動では、このような教育の場は確
保出来ません。牧師の姿が1週間に1度、礼拝会の講壇の後ろ
に見られるだけでは、牧師の姿から学ぶことは「牧師牧師した」
パフォーマンスだけで、その真実な姿、生きた信仰の姿に触れ
ることは出来ません。



 信徒のために何もかも犠牲にして、心を砕き身を粉にして、
涙を流し、彼らのためにならば命を捨てても良いと祈り、それ
でも上手く指導出来ず、誤解を受けて落ち込み、行き詰まって
はいくたびも眠られない夜を過ごし、それでも礼拝会を迎える
と一生懸命に明るく振舞い、信徒たちを励まそうとしている牧
師の姿など、元気のいい礼拝会の説教からは、うかがい知るこ
とがないのです。貧しさにも不平を言わず、自分ではしばしば
食べる物にさえ事欠きながら、なお分け与え、感謝の祈りを絶
やさない牧師の姿など、礼拝会の堂々としたイメージからは想
像も出来ないものです。信徒たちの中傷を耐え忍びながら彼ら
のために祈り、悪口を言われては親切で返そうと努め、悪者に
されることにも甘んじて言い訳をせず、病める者を慰め痛んで
いる者を励ますために、自分の家族のことさえ後回しにし、ひ
たすらに信徒の成長を願って生きる牧師の姿は、厳しい火を吐
くような説教の中には現れて来ないのです。



 牧師になるために神学校に入学してくる青年たちを見てい
ると、気が付くことですが、大きな立派な教会から献身してき
た青年は、頭が良くて理屈っぽく、説教だとか教育に情熱を燃
やしていますが、しばしば、忍耐だとか、謙遜だとか、自己犠
牲などということには無頓着です。講壇の後ろの立派な牧師の
パフォーマンスを見て、憧れて入って来たからです。ところが、
小さな教会で苦労を重ねている牧師の姿を、目の当たりに見て
来た献身者は、一般的に、素晴らしい説教や高い教育にあまり
興味を示さず、むしろ、謙遜、献身、忍耐という生活態度を大
切にします。大きな教会から来た献身者は、すぐにあれが足り
ない、これが不充分だと不平を言い出します。彼らが見てきた
牧師の素晴らしさは、そのような「物」の後ろ盾があって、初
めて可能だったからです。しかし小さな教会から来た献身者は、
むしろ、こんな物もある、あんな物もあると驚き感謝をします。
これは私が国外で宣教師として働いていた時の一般的印象です
が、日本では異なっていると期待したいものです。



 キリストがご自分に従う者をお選びになった基準は、「知
識」や「学業」や「学歴」ではありませんでした。むしろ、枕
する所のないキリストに、不平も言わずに同行出来る人間であ
り、たとえ父の死に目に会えなくなろうとも、泣き言を言わず
に同行出来る人間であり、一度決意したならばきっぱりと態度
を決め、後ろを振り向かずに同行出来る人間でした。現在の献
身者に、このような基準を当てはめる教団はあるでしょうか。
このような資質を形成するために、プログラムを作成し、教育
を施す神学校があるでしょうか。キリストの教育は間違いなく、
このような資質を形成するための教育であり、ただ知識を蓄え
させるための教育ではなかった事が明らかです。ただしキリス
トは、基本的知識さえまともに習得出来ないほどの者を、指導
者として育てようとはなさいませんでした。献身態度さえあれ
ば知識は不要なのではなく、知識の上に献身態度がなければ、
正しい意味の指導者にはなれないという事です。



 このように考えると、教会のすべての活動に教育的意味が
あるという事がわかります。教会のあらゆる活動を通して、信
徒全員が、常に人間全体として成長し続けるのが、理想です。
そして教会全体としてキリストの身丈まで成長するのです。こ
の場合、教会の全員が立派なクリスチャン、非の打ち所がない
素敵なクリスチャンになるという意味ではなく、弱い者も、足
りない者も、まだまだ世俗の臭気を紛々と漂わせている信徒も
たくさんいる中で、それらの者たちを喜んで助け、足りないと
ころを埋め、嬉々として世俗の臭気を取り払う働きをし続ける
信徒がいるという意味で、キリストの身丈まで成長するのです。
「まだこんな弱い信徒がいる。まだこんな欠点だらけの者が出
入りしている。世俗っぽい人がいてもらうと迷惑する」と、不
平をこぼしながら働いていてはだめなのです。自分の強さ、自
分の豊かさ、自分の能力が、キリストのみ体の足りない部分を
補う事が出来ることに喜んで、奉仕するようにならなければだ
めなのです。完全な家庭とは、手のかかる、世話の焼ける者が
ひとりもなく、全員が立派な大人として、責任をもって生きて
いるという家庭ではありません。世話が焼ける赤ちゃんがいて、
手のかかる幼稚園児がいて、そのような子供たちがいることを
こよなく喜び、世話をすることに幸せを感じる親がいる家庭が、
完全に近い家庭です。
 












posted by MS at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/164788328

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。