2010年11月14日

教会について 2−36

p231〜236


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D.選択すべき政治形態



  すでに幾度も強調したように、教会の政治形態は教会そ
のものではなく、あくまでも教会の形態に過ぎません。それ
は時と場所、文化と状況によって常に変化して行かなければ
ならないものです。ところが、教会の政治形態と言うものは、
一度確立されてしまうとそれを変えるのは非常に困難です。
多分、教会の様々な付随物の中で、最も変えるのが難しいも
のだと思います。しかし、これほど文化と状況によって変え
られなければならない付随物も少ないと言えます。教会が効
果的に政治を行い、その命をみなぎらせ成長していくように
するためには、その土地の文化と状況に合った政治形態が必
要なのです。



  すでに触れたように、フィリピンは大変選挙の好きな国
民です。自分に管理指導の能力があるかどうかではなく、人
気と面子のために選挙をしているのではないかと感じてしま
います。日本の選挙も褒められたものではありませんが、フ
ィリピンの場合は異常です。カトリックという絶対主義・全
体主義・権威主義の中で長い間生きてきたこの国の人々には、
アメリカや北ヨーロッパのような民主主義はまだ育っていま
せん。多分、多くのカトリック国は、フィリピンに似た状況
の中にあるのではないかと思います。カトリックの全体主義
・権威主義は人々から民主的な思考能力を奪い、歴史的には、
共産主義と言う異なった権威主義・全体主義に陥って行きま
した。(オーソドックスも含め)世界中の共産主義化した国
々の多くが、カトリックかオーソドックスです。幸か不幸か、
フィリピンは共産化こそしませんでしたが。長期にわたる多
くの共産ゲリラの活動が、国情不安定の最大原因のひとつで
した。



  民主主義と言う基本を知らない人たちが選挙を行うと、
とんでもないことになるのです。それでも、一般世界では、
選挙を行いながら民主主義の何たるかを教えて行かなければ
ならないのですが、それを大多数の国民が理解するためには、
非常に長い年月が必要です。このような文化、状況の中の教
会が、会衆政治形態を採り選挙を行うと、その誤った選挙情
熱のために、その見栄と面子のために大混乱に陥るのです。
従って、すべての信徒を含めた選挙を原則とする会衆政治は、
フィリピンのような社会状況の中では賢いやり方ではありま
せん。そう言う私たちの日本の民主主義も怪しいものです。
思いやりで癌の告知をしない国に、つまり自分が事実に直面
し、その事実にどう対応するかという、基本的人間の責任を
果たせずに、他人の思いやりを期待しなければならないよう
な文化の国、基本的人間の責任を負わせないような心遣いを
美徳とするような文化に、本物の民主主義は育ちません。民
主主義とはしっかりとした自己の確立を前提とするものです。
間違ってもらっては困るのですが、私はこのような自己の確
立を提唱しているのではありません。ただ、民主主義につい
て語っているのです。



  また、たとえ民主主義の原則をかなり理解している人々
であったとしても、聖書の教えを余り理解していない人々が
選挙を行うのも、勧められません。聖書の世界観、価値観、
神観、人間観などが理解され、教会観もしっかりしていなけ
ればなりません。もちろん、あまりハードルを高くすること
は考え物ですが、少なくても、基本的なことは理解している
のが原則です。ましてや、選ばれる方は候補者として、しっ
かりとした資質を備えていなければなりません。そこで、使
徒の働きの中に記された教会歴史上最初の選挙のように、選
挙の前に有資格者を推薦する必要性があるのです。ですから、
特に開拓途上の教会、信徒たちがまだ信仰的に幼い教会は、
会衆政治形態を避けた方が良いと判断されるのです。

  パウロは開拓教会を残して去る時、選挙で長老たちを選
ばせず、彼が任命して行きました。先に述べたように、例外
的な監督制の形態です。ただしこれは、教会がまだ幼く未熟
であったという理由のためだと判断されます。教会が全体と
して成熟して行くにつれて、選ばれる資質を備えたクリスチ
ャンたちが出現し、選ぶ方もまた、ある程度の成熟度を持っ
て選ぶことが出来るようになります。とは言え、パウロが第
一伝道旅行において長老を選任したのは、時期尚早であった
ことがすぐ後になって明らかになりました。パウロでさえも、
教会の指導者の選任の時期については、誤りを犯したのです。



  確かにパウロは、異邦人への使徒として、異邦の土地に
多くの教会を建てました。そしてそれらの教会の、初期のク
リスチャンたちの多くは、以前から熱心に会堂に集っていた
ユダヤ人であり、またたとえ異邦人であったとしても、ユダ
ヤ教に改宗していた者や、少なくてもユダヤ教に惹かれてユ
ダヤ教の学びをしていた者たちでした。つまり彼らは、文化
的に、福音を受け入れる素地が出来ていた人々でした。神に
ついても、旧約の律法についても、すでに深い理解を持って
いました。やがて出現するメシヤを待ち望んでさえいました。
ですから、彼らは短い期間の伝道で救われることが出来たの
です。このような人々の中にはすでに、会堂の中で長老だっ
た者もいたことでしょう。長老になる資質を備えていた人も
いたでしょう。パウロはそのような人々を見つけ出しては、
「新しい宗派の会堂」とも誤解されていたに違いない、新た
な共同体の長老、指導者として任命したのです。パウロは長
老制度に慣れた人々の間で、長老制度を敷いて行ったのです。



  ところが、このように福音を直ちに理解し、信じること
が出来たこれらの人々は、内側に大きな危険性を抱えていた
のです。それは、間もなく表面に現われて来ました。それが
割礼の問題です。ユダヤ人であった、また、改宗してユダヤ
教徒となっていた、あるいはなりかけていた彼らは、ユダヤ
人の優越性を当然のように信じていたことでしょう。神はユ
ダヤ人のみに救いをもたらすと主張する割礼主義者は、彼ら
の優越感をくすぐったのです。彼らは教会に加わろうとする
人々に対して、まずユダヤ人にならなければならないと主張
し、割礼を強制し始めたのです。これがパウロの頭痛の種と
なり、ガラテヤ書を書く理由となり、さらにはエルサレム会
議の召集理由となって行ったのです。


  この例は、文化的にはかなりしっかりしていても、また
福音の真髄をかなり理解していたとしても、クリスチャンと
しての経験の浅い信徒は、教会の指導者としては向いていな
いと言うことを示すものです。パウロは自分の失敗を直ちに
理解したようで、第二伝道旅行からは、長老の任命にはもう
少し時間をかけ、注意深くなって行ったように読み取れます。
そして、自分の若い弟子テモテには、信徒になってまだ間も
ない人物を長老に任命しないようにと、指導しています。



  こうして見ると、聖書は特定の教会政治形態を定めてい
ないことが明白です。文化的背景、社会状況、信徒の成長具
合など、多くの要因を良く判断して、どのような形態が相応
しいかを選ぶべきであると判断します。たとえば私たちの母
教団に近い存在であるアメリカ・アッセンブリーズ・オブ・
ゴッド教団では、長老形態と監督形態も部分的には残してい
ながら、基本的に会衆形態を採っています。フィリピンでは
それをそのまま取り入れて、失敗をしました。しかし日本に
おいては、非常に監督制に近い長老制、あるいは長老形態を
そこここに用いた監督制として発展して来ました。それは、
日本と言う民主主義がまだ芽生えもしないでいた土地で、会
衆制を採ることの危険性を、当時の指導者たちが心得ていた
からでしょうか。あるいは教会がまだ幼いと判断したからで
しょうか。あるいは初期の指導者たちの多くが、監督制の教
会から移って来た人々だったからでしょうか。ともかく、ア
メリカやイギリス、オーストラリアの会衆主義の政治形態を、
私たちの先輩は拒絶したのです。もちろん、監督制に近い教
団運営は様々な葛藤を生み出しましたが、全体としてはよく
機能して来たと言えるでしょう。かなり多くの教職が今、少
しずつ大人の信仰に近付き、僅かずつながら、もっと緩やか
な長老制へと移行したいという気持ちを、表現しているとこ
ろです。それだけではなく、民主主義政治が最も良い政治形
態だと教えられ、それを鵜呑みにして来た若い世代の教職の
間には、教会の政治も民主的に行なわれるべきであると、短
絡的に考える人たちもかなりいるように見受けられます。民
主主義を個人主義の発露と考え、 個人の権利をかざして、
「自分たちにも発言させろ」という叫びを持つ人が多くなっ
ているのは残念なことです。教会は、個人の権利を主張しあ
う場ではないからです。



  ある教団は、個教会の集合に過ぎません。商店街の協同
組合のようなものです。自分の利益が第一で、協力するのは
あくまでも自分に益があるからであり、自分に益するところ
がなければ離脱してしまうのです。ある教団は、専制君主の
ような監督や総裁と言われるような人が、権威を振るい、小
さな者や弱い者が無視され、取り残され、泣かされる、まさ
に日本的共同体と成り下がっています。 そして、そこでは
「長いものには巻かれろ」、「臭いものには蓋をしろ」の文
化がまかり通るのです。



  キリストにあってひとつであると言う、霊的意識が高く、
構成員のひとりひとりがキリストの謙遜を身に着けていれば、
たとえどのような組織形態、政治形態を採ろうとも、教会や
教団は、キリストのみ体としての性質を遺憾なく現すことで
しょう。しかし、霊的意識が少しでも低くなると、組織や政
治形態の不備が、キリストの霊によって生かされる教会、あ
るいは教団という共同体を、少しずつ窒息させて行くことに
なるのです。



  ですから、長老制形態を採ったからと言っても、教会を
構成する人々の霊的資質が低ければ、決して上手く機能する
ことはないでしょう。それでも長老制は監督制の危険と会衆
制の弱さを、ある程度覆うことが出来る制度であると考えら
れます。また、教団や個教会が単なる人為的な集団ではなく、
キリストのみ体であると言う事実を、最も表現し易い形態で
あると思われます。ただそのようなことよりも、教会はその
存在する文化と状況に合わせた形態を取ると言うことが大切
です。そして、もっとも大切なことは、エルサレム会議にお
いて参加者が感じた、あの聖霊の臨在の確認です。人の意見
だけによるのではなく、聖霊が共に参与して話し合われ、決
定されて行くということの重要性を認め、熱心に聖霊の臨在
を求め、その臨在を強烈に感じながら物事を進めることです。



]V.教会と礼典



  カトリック教会には、秘蹟と呼ばれる七つの礼典があり
ますが、プロテスタント教会では、一般的にふたつの礼典を
認めているだけであるということは、よく知られています。
多くの教会論が取り扱う内容には、必ず礼典の項目が含まれ
ていることからもわかるように、伝統的プロテスタント教会
にはそれぞれ特徴的な礼典論があります。ただ、伝統的プロ
テスタント教会というのは、まだまだあらゆる点で、カトリ
ック教会の「卵の殻を尻にくっつけている雛」のようなとこ
ろがあり、特に礼典論においてはそれが顕著です。聖書主義
を掲げたプロテスタント教会ではありますが、その聖書主義
というものの発展生育が、まだまだ足りなかった頃に形成さ
れた神学であったために、今、私たちが見ると、とても聖書
主義の神学とは考えられないような面がたくさんあるのです。
私たちは、そのような伝統的なプロテスタント教会の礼典論
については、すでに様々な機会に学んで来たことですから、
一応、基本的な理解を持っているということを前提にして、
改めて、聖書に示されている礼典について学んで行きたいと
思います。



A.洗礼式



  カトリック教会では伝統的に幼児洗礼を行って来ました。
宗教改革を行ったルターもカルビンもこの伝統を受け継ぎま
した。しかしアナバプテストと呼ばれる神学的素人の一団は、
その素人らしい率直さで聖書を読み、幼児洗礼の無効を宣言
し、自意識を持った者の信仰告白を前提とした洗礼を主張し、
かつてカトリックの洗礼を受けた人々に、再び洗礼を施すよ
うになりました。しかし残念なことに、アナバプテストの人
々はカトリックからもルターからもカルビンからも迫害され、
多くの殉教者を起こしてしまい、当時のプロテスタントの主
流になることが出来ませんでした。しかし、その流れはピュ
ーリタンに引き継がれ、現在のバプテスト教会に注ぎ込まれ
ています。私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の神
学は、極端な予定論とディスペンセーション(時代真理)は
別として、基本的にバプテストの神学を継承するものである
ことから、洗礼論においても、原則的にバプテストの立場に
立つものです。
 


1. キリストがお受けになった洗礼 

 

  キリストがお受けになった洗礼は、バプテスマのヨハネ
が授けていた洗礼で、一般には「悔い改めの洗礼」と呼ばれ
ていたように、罪を悔い改める決意を表現していました。そ
れはまた、あくまでも心の決意を儀式という行動によって表
現するものであって、洗礼自体に何か特別な力があったわけ
ではありません。ですからヨハネは、表面だけは悔い改めを
装って、洗礼を受けようとしてやって来ていた当時の宗教家
に向かって、悔い改めにふさわしい身を結ぶようにと、厳し
く警告しているのです。



  ヨハネが授けていた洗礼は、当時の社会の一般的な慣わ
しを利用し、それに悔い改めの意味を加えたものと理解され
ます。当時のユダヤ教の中には、ヨハネの洗礼の模範になっ
たものがありました。また、当時のグレコローマンの文化の
中にも、類似した習慣が伺われます。ユダヤ教の中では、た
とえば、普通、律法学者と呼ばれている聖書の写本を作る作
業をしていた人々が、仕事を始める時、あるいは「神」とい
う言葉を書き写す時に、自分の体を水で清めたという習慣が、
罪を悔い改めるところから罪を清めるという理解に至る、バ
プテスマのヨハネの洗礼の意味の一面に関係したと考えられ
ます。(参照:ヨハネ3:25)また、異邦人たちがユダヤ教
に改宗する時に受けた儀式の中のひとつに、洗礼があったこ
とは特筆に値します。異邦人としての過去の人生に別れを告
げて、ユダヤ人としての新しい人生を迎えるという、いわゆ
る契機の儀式、イニシエーションとしての洗礼が、罪を悔い
改めて、神のみ前に清く生きる人生を始めるという、ヨハネ
の洗礼の意義に通じるところがあったと考えられます。キリ
ストがお受けになった洗礼は、このようなものだったのです。



  しかしキリストが洗礼を受けられた場合は、ヨハネが意
図した悔い改めの象徴としての洗礼に止まらず、さらに深い
意味を含んでいたと理解すべきです。なぜなら、キリストは
罪人ではなく、ヨハネ自身が告白しているように、ヨハネの
洗礼を受ける必要のないお方だったからです。それにも拘ら
ず、キリストが敢えてその洗礼をお受けになったのは、その
ようにして、罪人とアイデンティフィケーションをお持ちに
なるためであったと考えられています。しかし、ここで私た
ちは、キリストがこのようにして洗礼をお受けになったのは、
単にご自分を罪人と同じ立場に置かれたというだけではなく、
もう一歩進んで、将来建てられるであろう教会の、頭となる
ためであったという可能性にも、気づいておくべきだと考え
ます。もちろんヨハネの洗礼は、後の、キリストのみ名によ
る洗礼とは意味が異なっており、ヨハネの洗礼を受けた者が
キリストのみ体に繋がることはあり得ないのですが、キリス
トはそこに、ヨハネの意図しなかった象徴的な意味を持たせ
ておられたことは、充分に考えられることです。キリストが
お受けになったヨハネの洗礼が、単にヨハネの洗礼に終わら
ないことは、聖霊が鳩のようにお降りになって、天から声が
あったことによっても明らかです。この時から、キリストは
単なる人となった神ではなく、聖霊によって力ある業を行わ
れる神となったのです。ここにおいてもキリストは、自分の
力ではなく聖霊の力によって働くという、クリスチャンの基
本的生き方の模範となっているのです。



2.キリストがお授けになった洗礼



  キリストが実際に洗礼を授けておられたかどうかは不明
ですが、キリストの代理として、弟子たちが授けていたのは
確かです。(ヨハネ4:1−2)ともあれ、キリストが何ら
かの意味で洗礼を用いておられたのは確かです。この時の洗
礼を、後にパウロが理解した「キリストにつくバプテスマ」、
あるいは「キリストの死にあずかるバプテスマ」と同じもの
とは考えられません。なぜならこの時は、まだキリストは死
んでおらず、ましてや甦っておられないからです。そして聖
霊もまだ来ておられなかったからです。キリストの死と蘇り
にあずかるということだけならば、旧約の人々もキリストの
十字架で救われたと同じような意味で、キリストのご計画の
先取りとして可能だったとしても、まだ聖霊がお降りになっ
ておられず、聖霊の直接の干渉なしには「キリストにつく」
事は不可能だったはずだからです。パウロの理解では、キリ
ストにつくバプテスマを受けてこそ、キリストの死と甦りに
あずかることが、本当の意味で霊的現実となるのです。では、
この時キリストが授けておられた洗礼は何だったのでしょう
か。多分、バプテスマのヨハネが授けていた洗礼と基本的に
は変わらない、悔い改めのしるし、キリストの弟子として新
しい人生を始める、イニシエーションとしての洗礼であった
と考えるのが無難です。しかしまたこの洗礼は、やがて甦ら
れたキリストがお命じになった洗礼を、予表するものであっ
たと言えるかもしれません。キリスト在世当時の洗礼と、甦
りの後のキリストのみ名による洗礼が、まったく異なるふた
つの洗礼と理解するのは困難です。弟子たちもまた、キリス
トの死と蘇りによって洗礼の意味が変わったなどとは考えず
に、むしろキリストによって教えられ実行していたものを、
継続して行っただけのことと考えられます。












posted by MS at 00:00| Comment(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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