2010年11月08日

教会について 2−30

p193〜200

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この文を最初から順序良くお読みになりたい場合は、右側
下段の「過去ログ」の日付の部分をクリックしてください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◎◎ 今日の分を掲載したところ、このブログには欠点があ
って、ケイショウ、ケイゾク、コウケイシャなどのケイの字
が「継」と化けてしまうことに気付きました。どのようにし
ても直すことができません。今日だけではなくこのブログの
画面すべてがそうだと思いますので、ご理解くださいますよ
うにお願いいたします。◎◎


E.賜物と教職者制度



 本来、新約聖書時代の教会の指導者と言うものは、聖霊の
賜物の行使が教会全体に認められ、指導者として受け入れら
れ、それが定着して行ったものです。しかし、時代が移ると
共に、その定着したものが固定化して行きました。ひとりひ
とりの賜物の活用としての指導的役割が、特定の名前を持っ
て呼ばれるようになると、その名前に課せられた働きを持つ
ようになり、多くの時間を費やすことなく、その名前が特定
の機能を意味するようになり、名前と働きが固定化され、さ
らに、その名前がひとつの立場あるいは役職と考えられるよ
うになり、ついには、その役割を埋めるために人を探すよう
になって行きました。このような経過はごく普通のことであ
り、それ自体悪いことではありません。ただ、一度定着して
固定化したものを変えていくことは非常に困難なために、そ
こに膠着が起こってしまい、賜物が与えられていないのに、
そこに定着して残された立場に立たされ、役職に着かされる
人たちが出て来るようになり、やがて、教会の指導者と賜物
の間に大きな乖離が起こる事が問題なのです。



1. 教会史の中の教職者制度と信徒の活動 



 現在の多くの教会は、かなり厳格な教職者制度、あるいは
聖職者制度というものを持っています。それぞれ、自分たちの
制度について「聖書的な」説明を試みていますが、実際には、
そのほとんどが、あまり聖書とは関係のないところで作り上げ
られて来たものです。



a.教父時代



 すでに僅かながら触れたことではありますが、使徒時代の
後、教会はいわゆる教父時代に入りますが、この頃になると、
一地方教会の長老たちの上に立つ監督という枠を超えて、複数
の地方教会の管轄権を持つ、力の強い監督たちがそこここに登
場し始めます。それが文化や理解の違い、神学を始めとする意
見の違いなどを契機に、互いに反目し合ったり、寄り集まった
りして行くうちに、影響力が強い大都会の教会の監督が中心に
なり、次第に階級制度に発展して行きました。この頃の指導者
たちは、まだ本物のクリスチャンであり、それぞれ立派な人物
ではありましたが、福音の情報量が絶対的に少ないという欠点
を抱えていました。現在私たちが手にしている新約聖書がまだ
自然編纂の過程にあり、様々なクリスチャン文書が出回ってい
たとは言え、現代の私たちに比べると、一般の信徒はおろか指
導者たちですら、文書による福音の記録に触れることは極めて
希でした。それでも当時はたくさんの教父と呼ばれた監督たち
が現れ、非常に多くの優れた神学的貢献をしているのは驚くば
かりですが、ただ、教会の管理、指導者の働きと言うような面
に関しては、現実の必要性から生まれ、発展させられて来たも
のであり、真に聖書的な考察が加えられた形跡はありません。
そのような事から、教会の制度や指導者の役割、あるいはそれ
らに対する理解が、新約聖書の基本理念から離れたものとなっ
て行ったのもまた、当然と言えば当然の成り行きでした。



 これらの大都会の教会の監督たちを中心にした、階級制度
的な指導者たちはやがてさらに大きな統合を見せて、エルサレ
ム、アンテオケ、アレキサンドリア、コンスタンチノープルの
5つが大監督の教区と認められるようになりますが、やがて、
エルサレムは陥落し、アンテオケとアレキサンドリアも重要性
を失い、遂にローマとコンスタンチノープルのふたつだけが残
るようになります。このふたつの中ではあらゆる意味で、早く
から、ローマの優位が認められていましたが、383年のコンス
タンチノープル会議において、正式にローマの優位が認められ、
コンスタンチノープルは第二の立場を認められました。こうし
てローマ教会の監督の権威はほとんど絶対的なものとなって行
くのです。



 この過程においての管理や指導者の選択決定において、す
べてが間違っていたのではないばかりか、実際は極めて信仰的
に考えられ、良心的に行われていたものです。しかし、ローマ
の優位を証明するためにマタイ16章18〜19節の、キリス
トの言葉が誤用された以外は、聖書的考察が加えられた様子は
あまりありません。彼らは、ローマ教会がキリストの権威を引
きついだ、ペテロによって建てられたのであるから、ローマ教
会の歴代の監督は、ペテロの権威をひきついだ者としてキリス
トの権威を受けついでいると論じ、他の監督たちに対する優位
を主張することが出来たのです。また、当時の教会内の様々な
事情も、さらには世俗の事情も、聖書とはまったく関わりのな
いところで、ローマの監督を最高権威者とするのに有利に働い
たという事実もあります。このローマの監督の地位がますます
高められ、やがて世俗の政治の世界でも大きな権力を掌握する
ようになり、キリストの権威の後けい者として絶対の権威を行
使して、教皇と呼ばれるようになったのはレオ1世のときから
です。(440〜461年) やがて、最も優秀な教皇であっ
た言われるグレゴリウスが教皇となり、(590年) その能
力をあらゆる方面に発揮したことにより、教皇の座は揺るがな
いものになって行きました。



 まさにこの教父の時代に、実に多くの誤りが教会の中に導
入されて来たのです。まず、キリスト教がローマの公認宗教と
なり、続いて国教となった事により、改心を経験していない多
くの人々が教会に流入して来ました。教会はこれに対応するこ
とが出来ず、結果として教会の規律が失われ、国家権力によっ
て規律が保たれなければならなくなり、世俗との癒着が強めら
れて行きました。さらにまた、天使礼拝、聖人礼拝、遺物礼拝、
絵画や彫刻の礼拝などの異教的習慣が教会内に持ち込まれ、素
朴な使徒時代の教会の礼拝がけばけばしい儀式に取り替えられ
て行くに伴い、聖職者と一般信徒の間の溝がますます深められ
て行き、ついには聖職者の任命が礼典と看做されるようになり
ます。さらに堅信礼や塗油礼が定められ、原罪の教理から幼児
の洗礼も絶対に必要なものとされ、聖餐は犠牲であると理解さ
れて行くと、それらを執行する聖職者の地位と権威は嫌が上に
も高められて行きました。ローマ・カトリック教会が秘蹟と看
做している7つの礼典は、すべてこの頃に確定したものです。
そしてこれらの既成事実の上に、その権威をさらに確定させる
祭司制度が取り入れられてしまいました。いったん祭司制の概
念が取り入れられると、あたかもローマの監督が旧約時代の大
祭司であるかの様な、階級的祭司制度が出来上がるまで、多く
の時間を費やすことはありませんでした。時代遅れとなったロ
ーマの服装が、一般信徒と祭司の差別を歴然とさせるための祭
司の正装と定められ、たちまちのうちに、教会のあらゆる機能
が祭司の占有となり、恵みは祭司のとりなしを通してのみ与え
られるものとされ、一般信徒は直接神の前に出て祈ることさえ
ままならぬ事態に陥ってしまいました。ここにおいて、教会の
働きはほぼ完全に信徒の手から略奪されて、聖職者と言うひと
握りの者に委ねられ、賜物の機能としての指導者の概念もまっ
たく消滅してしまいました。



 また、太陽を奉る日曜日が礼拝の日と定められ、異教の祝
日がクリスマスとされたのを始め、様々な非聖書的な教会暦が
取り入れられて行ったのもこの期間の事です。また、異教世界
の女性崇拝に根を持つマリヤ礼拝も、4世紀後半にはかなり広
範囲に行われていたらしく、5世紀にはあらゆる聖人たちの上
に置かれ、マリヤに関する様々な非聖書的な教え、たとえば無
原罪懐胎、(キリストが罪を持たないでマリヤの内に宿ったこ
とではなく、マリヤが罪を持たないで母の胎に宿ったという説)
 昇天、とりなしの祈りなどが一般民衆の間に広がって行きま
した。祭司の仲介なしには神のみ前に出る事が出来なくなった
一般大衆は、ますます天使や聖徒、遺物、絵画、彫刻などの礼
拝に傾き、そのような神ではない礼拝の対象の頂点として、
「神の母マリヤ」を置くようになったのです。



b.中世から宗教改革まで



 中世とはいったいいつから始まり、いつまで続いたのかと
言う事については、歴史家の見解によって多少の差はあります
が、一般的に、教父時代の古代教会が教皇による徹底した中央
集権的古代カトリック教会に移行した頃をもって、中世に入っ
たと考えられています。中世においては教皇の権威がますます
強まる一方、様々な民族の移動があり、社会的要因の勢力の拡
大も宣教による勢力の拡大もありました。また回教徒の興隆が
教会を脅かしたことも大事件でした。また、教皇とローマ帝国
との関係にもいくつもの変遷があり、勢力争いの闘争も平和の
締結もありました。東方教会の分離も大きな事件でした。しか
し今問題にしている、賜物の行使による信徒の活動という命題
から見るならば、一貫してまったく絶望的な状態が継続したと
言えるでしょう。実際、中世には聖職者と信徒の間の差別が絶
対化され、教会の命である聖霊の賜物は、僅かに残された優秀
な修道院の中での限られた活動などを除いては、完全に失われ
たかのようでした。



 このような状態は、中世の終わりである宗教改革の時代を
経ても、まだ教会の大勢として変わらずに継続されて行きまし
た。ルターは贖罪論においては万人祭司説を唱え、祭司(司祭)
の不要を主張しましたが、聖職者制度にはほとんど触れずじま
いでカトリックの制度を継承しています。また、カトリックと
対抗するためにドイツ諸侯と手を結ばざるを得なかった事から、
国家と教会という面においても、教会と世俗の権力の癒着を断
ち切る事が出来ませんでした。カルビンにしても、多くの点に
おいてルターの改革より徹底していたとは言え、聖職者の制度
については、多くの概念をカトリックから受け継いで、自ら、
あたかもカルビン主義教会における教皇のような権威を行使し
ています。ツイングリの改革は、ルターやカルビンの改革より
聖書に近くなる可能性がありましたが、彼の早期の死はその機
会を与えませんでした。イギリス国教会は、制度的にはイギリ
スのカトリックになっただけであり、後代の貢献は別として、
当初においてはほとんど見るべきものがありません。ただ、ア
ナバプテストだけは「素人」のように聖書を読んだ結果、最も
過激な改革者となり、聖職者に対する考え方も、最も聖書に近
いものになりましたが、カトリック側からもプロテスタント側
からも激しい迫害を受け、勢力においても思想においても、ア
メリカの福音的教会が起こるまで、その後のプロテスタント教
会に大きな影響を与えることはありませんでした。



c.宗教改革後からアメリカの福音主義教会へ



 とは言え、宗教改革を経験した教会は、散発的ではありま
したが、そこここで信徒による活動を取り戻す運動を起こすよ
うになりました。冷たい教条主義に陥ったルター派への反動と
して興った、敬虔派の運動もそのひとつです。アナバプテスト
の流れを汲んだメノ・シモンズの運動もそうですし、フレンド
派(クエーカー)の人々にも、強い信徒運動の傾向がありまし
た。この流れは、やがてイギリス国教会やオランダの改革派教
会などを中心とした清教徒運動を推進して行く力となり、迫害
を逃れ、新しい宗教的自由を求めて新大陸アメリカに移住して
行った人々の、精神土壌ともなったのです。



 新大陸アメリカでまず大きな力を持った教会は、歴史上初
めて国家と教会の分離を明確に宣言したことで知られる、ロジ
ャー・ウイリアムズに導かれたバプテスト教会でした。バプテ
スト教会は、それまで小規模にしか存在しなかった会衆政治を
教会の中に持ち込み、信徒の活動の範囲を飛躍的に広げました。
また、イギリス国教会内部の運動でありながら、敬虔派の影響
を強く受けたメソジスト運動が、やはりより広範囲な信徒の参
加を認めた運動として、開拓時代のアメリカの教会を特徴付け
ながら、イギリス国教会から分離して行きました。アメリカの
教会は、このバプテストとメソジストというふたつの異なった
教会の働きによって、その大部分が形成されて来ましたが、片
方は会衆政治形を強調し、もう一方は監督政治を引き継ぎなが
ら清い信仰生活と信徒の活動の場を広げたという、共通点を持
っていたのです。



 これらの清教徒の精神は、やがて例に漏れず形骸化し始め
たアメリカの教会の中で、様々な形での信仰復興を起こして行
きました。また聖書学校運動  や学生宣教運動などを初めと
する、信徒の参加を促す教会運動が広がって行き、聖職者と信
徒の壁を打ち破る試みが繰り返されました。その結果、アメリ
カではかつて無いほどの勢いで、信徒と聖職者との間の壁が壊
されることになりました。また、清教徒運動はアメリカの精神
土壌となっただけではなく、各国の福音的教会を奮い立たせ、
世界宣教へ駆り立てて行きました。このようにして、近代プロ
テスタントの世界宣教は、教会活動への信徒の参加という新し
い風を送る事になったのです。とは言えそれは、それまで長い
間続いて来た聖職者中心主義の教会歴史に比べて、信徒の参加
が増えたと言うだけであって、聖書が教える本来の教会のあり
方、「賜物の行使による信徒活動の教会」にはまだまだ程遠い
ものでした。



d.20世紀とペンテコステ運動



 清教徒の精神は、このように、19世紀の世界宣教の土台
ともなったものであり、特に清教徒の精神が最も強く根付いた
アメリカからの世界宣教は、20世紀の世界の教会に大きな影
響を与えました。アメリカからの宣教には当然功罪が伴います
が、福音宣教という教会の至上命令という観点から見るならば、
教会歴史の中でも最も素晴らしい事と考えるべきでしょう。



 20世紀のアメリカの教会、またアメリカなどの清教徒の
精神を受け継いだ各国の教会は、世界各地に信徒の活動を受け
入れ、促進させる素地を作り上げました。そのような中に、ペ
ンテコステ運動が起こったのです。  このペンテコステ運動
の様々な特徴の中で、決して小さくない特徴が、聖職者の枠を
超えた活動を促す運動であったことです。実際、非常に多くの
信徒たちが聖霊のバプテスマを体験し、世界宣教を始め、多く
の働きに献身して行きました。そしてまた、ペンテコステ運動
は聖霊の働きに注目し、聖霊の働きを強調する運動でしたので、
当然のように聖霊の賜物に対する関心と渇望を呼び起こしまし
た。聖霊のバプテスマを受けた者たちの多くは、自分に委託さ
れた聖霊の賜物に目覚め、それらを積極的に用いて活動し出し
たのです。ペンテコステ運動が世界中に紹介されると、すでに
清教徒の精神によって信徒の活動の素地を作られていた世界各
地の教会は、信徒活動としてのペンテコステ運動を、抵抗なく
受け入れ、強化し、拡大して行く事が出来たのです。



 このようにペンテコステ運動は、教会の働きを信徒の手に
取り戻す運動でもありました。聖霊の賜物を高揚し、信徒の積
極的な活動を促し、聖職中心の教会から、信徒たちの交わりの
教会へと移行させる運動でした。とは言え、ペンテコステ運動
も時を経て定着し出すと、たちまち保守主義となり、ペンテコ
ステ的伝統を守るだけの形骸化を起こし始めます。また、古い
聖職者中心主義への回帰現象も、至る所に見る事が出来ます。
特に、広い意味ではペンテコステ運動に属するとは言え、伝統
的な教会の組織形態の枠と神学の枠の中で、ペンテコステ運動
を受容したカリスマ運動や第三の波運動は、賜物の行使による
信徒の活動の教会とはなり得ないまま、終わってしまう可能性
があります。とは言え、全体として見るならば、ペンテコステ
運動は、やはり教会を信徒の教会にし直す運動と言えるのです。



2.運動と制度



 教会にしても賜物の活用にしても、本来、運動であって制
度ではありません。制度は運動を入れておく器のようなもので
す。あるいは運動は車のエンジンや車輪と言った部分、車の車
たる部分のようなものです。車輪のない車は車ではありません
し、エンジンのない車も車ではありません。しかし車には車輪
を制御するブレーキが必要であり、エンジンの力を正しい方向
へ向けるハンドルが必要です。制度とはハンドルやブレーキの
ようなものです。



 ハンドルの利かない自動車に乗るのは危険です。しかしエ
ンジンのない自動車に乗っても始まりません。ブレーキの利か
ない自動車には乗らないのが賢明です。しかしブレーキが利き
すぎて走らない車に乗っても意味がありません。私たちの教会
は命を持っています。命が命の本性を発揮し、自由に生きる事
が出来るようにするのが教会の制度です。命は動き回り、走り
出します。これを上手に制御し方向を定めるのが制度です。制
度は時々取り替えられたり、移し替えられたりしなければ、命
に合わなくなってしまいます。制度が命を止めてしまう事さえ
あるのです。



 昔、日本がまだ貧しかったころ、私たち北海道の農家では
山葡萄を収穫しては、自家製のぶどう酒を造ったものです。酒
造法に違反していたかどうかは知りませんが、私たちがまだ子
どもの頃のことです。竹かごにいっぱい取った山葡萄を4斗瓶
に入れてしばらく置くと、自然に醗酵してぶどう酒になるので
す。ところがある時、葡萄液が瓶から溢れ出して床いっぱいに
流れているのに、びっくりしてしまいました。醗酵した葡萄液
は体積を増やして、後から後から流れ出てくるのです。あわて
て他の瓶を持ち出して葡萄液を移し、なんとかその場をしのぎ
ました。葡萄液は生きていたのです。命があったために命のな
い瓶に閉じ込めておくと、あふれ出す以外はなかったのです。
何でも興味を持っていた私は、それではと言うわけで、2本の
1升瓶にいっぱい葡萄液を入れて、1本にはコルクで硬く栓を
して、もう1本にはさらにそのコルクを針金できつく留めて置
いてみました。数日後、夜中にパンと言う音を立ててコルクが
飛び出しました。もう1本のビンはそのままでしたがしばらく
して開けてみると、おかしな味に変化していました。よくはわ
かりませんが、通常に醗酵出来なかったのでしょう。



 長い教会の歴史を見ると、聖職者制度と言う硬い器は命を
閉じ込め、閉塞させてしまいました。しかし、神は、教会の命
を完全に死に追いやるような事はなさいませんでした。教父時
代の教会でも、聖霊の賜物を用いて教会の働きをした人々がい
ました。中世の教会においてさえ、僅かながらとは言え、聖霊
の賜物は発揮されていました。宗教改革を経た教会は、徐々に
信徒の活動の場を広げ、聖霊の賜物の行使を可能にしてきまし
た。そしてペンテコステの体験は多くの信徒を解き放ち、ペン
テコステ運動を信徒の運動と見る事さえ出来るほどに、信徒の
賜物の行使を強調しました。その結果、この運動はかつて例を
見ないほど、至る所で柔軟で多様な適応をしながら、急速な成
長を遂げてきたのです。そのようなペンテコステ運動の特徴を
受けつぐ私たちは、今、過度の組織化や制度化には疑いの目を
向け、システムの固定化と組織の形骸化に警鐘を鳴らし、賜物
の行使による信徒の活動を、聖書が教えている通りに教え、実
行して、信徒運動としてのペンテコステ運動を引きついで行か
ねばなりません。



X.教会の力



 教会は、神の愛による贖いの業、すなわち御子キリストの
十字架を通しての救いの働きを、キリストの大使としてまたキ
リストのみ体としてけい続するために、召され、遣わされた者
です。しかも徒手空拳で働くようにではなく、聖霊の賜物と言
う装備を与えられて遣わされたのです。そしてさらに、その賜
物をより効果的にまた力強く大胆に用いるために、聖霊の力を
付与されているのです。



A.聖霊と教会



 教会は徹頭徹尾聖霊に依存するものです。聖霊のお働きな
くして教会は存在出来ず、継続も不可能でした。聖霊がいかに
教会の存在と働きに関わっているか、主なものだけでも列挙し
てみましょう。@教会の誕生は聖霊の働きの結果です。キリス
トの弟子の集団は、聖霊が降られる前は単なる弟子の集団に過
ぎませんでしたが、聖霊が降られ、その集団の内に宿ってくだ
さった事によって、キリストのみ体すなわち教会となったので
す。A人を改心させるのも聖霊のお働きです。誰も聖霊によら
ないではイエスを主と告白することが出来ません。B信じた者
をキリストのみ体にバプタイズするのも聖霊のお働きです。教
会に信徒を加えるのは役員会でも牧師でもなく、聖霊の主権に
よります。C教会と言う共同体に宿るというだけではなく、ひ
とりひとりの信徒の内にお住みになるのも聖霊のお働きです。
このようにして神との有機的交わりを可能にしてくださいます。
D教会を活かし、成長させてくださるのは聖霊の働きです。聖
霊の命の流れがあってこそ教会は霊的に生き、成長するのです。
E教会を日々絶え間なく清め、キリストのみ姿に似る者として
くださるのも聖霊の働きです。聖霊の助けがなければ私たちは
罪の力に敗北してしまいます。F聖霊の実もまた、内に住んで
くださる聖霊のお働きです。教会が聖霊の主権的お働きに身を
委ねるとき、聖霊は私たちの内に実を結んでくださいます。G
キリストのみ言葉、神の啓示を理解させてくださるのも聖霊の
働きです。霊的な事柄は聖霊によって教えられなければ人間は
理解出来ません。H祈りをとりなして下さるのも聖霊の働きで
す。祈れない時、切なるうめきを持って祈らせてくださるのは
聖霊のみ業です。I教会に賜物を与えて働かせてくださるのは
聖霊の働きです。J教会が正しい選択決定をすることが出来る
ように、導いてくださるのも聖霊の働きです。K迫害の中にあ
る教会に、語るべき言葉を与えてくださるのも聖霊の働きです。
L教会と共に働き、伴うしるしをもってみ言葉を確かなものと
してくださるのも、聖霊のお働きです。教会は聖霊を離れては
一瞬たりとも生きて行けないのです。












posted by MS at 00:00| Comment(0) | 聖書の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。